「#若狭アナ」がトレンド入り。名古屋・CBCの名物アナはどんな人?
朝の情報番組で存在感を発揮! 池ポチャにドラゴンズ愛を熱弁
名古屋・CBCの若狭敬一アナウンサーが話題の人となっています。TBS系列の朝の情報番組『THE TIME,』で東海地方の中継キャスターを担当し、初レポートでいきなり池に落ちたずぶ濡れ姿で登場。プロ野球ドラフト会議翌日は中日ドラゴンズの情報一辺倒で、司会の安住紳一郎アナから「CBCのドラゴンズの番組じゃないから」とツッコミが入り、Twitterで「#若狭アナ」がトレンドワード入りするほど話題をふりまきました。
一躍、全国放送で存在感を発揮している若狭敬一アナとは、一体どんな人物なのでしょうか?
あの球界のレジェンドも認める(!)関係者が語る若狭アナ
本人を直撃する前に、まずは周囲の若狭アナ評から。
「私より16歳も年上ですが、最近はデッかい弟だと思っています。とにかく“ずっと面白い”。私、明石家さんまさんを卒論のテーマにしたくらい大好きなんですが、さんまさんがアナウンサーになったら若狭さんみたいな感じじゃないかな。老若男女に響く品のあるユーモアが一番の魅力です」(CBCラジオ『ドラ魂キング』で共演するカトリーナこと加藤里奈さん)
「若狭君とはプロ野球の中継やドラゴンズ番組などで結構コンビを組んでいて、リズムがあって非常にしゃべりやすいんだよ。何より野球が好きでよく勉強している。プロ野球だけじゃなく、高校野球にまで彼ほど詳しいアナウンサーは他にいないんじゃないかな。実況中よく話が脱線するんだけど、それも若狭! 逆にこれがなくなったら“らしく”なくなるからこのままでいい。番組の企画でピッチングの指導をしたこともあって、実力はアマチュアとしたらかなりハイレベル。大体草野球で130km/hを目標にする人なんていないよ(笑)」(『サンデードラゴンズ』などで共演する元中日ドラゴンズ監督、野球解説者の山田久志さん)
「彼が新人時代に私がパーソナリティのラジオ番組でレポーターを担当してもらいました。最初は教えてやろうというつもりだったのが、いつの間にかすべて吸収して、気づいたらスタッフがみんな彼の周りに集まっているんです。理論構築がうまく、対応力もあり、しかも準備を怠らず、一切手を抜かない。一方で“もっと売れてやろう”という欲はないのか、うまく立ち回ればもっとおいしい思いをできそうなのに決してそうはしない。ドラゴンズの選手ともべったりしすぎず適度な距離感を保っているので、辛口のコメントも言える。長いアナウンサー生活の中で、アッという間に抜き去られて“こいつにはかなわない”と思ったのは彼だけ。全国区でも十分評価されるべきスポーツアナウンサーです!」(1984年入社の先輩アナウンサー・塩見啓一さん)
トレンド入りは狙い通り(?)若狭アナにインタビュー
ここからがいよいよ本編。“旬の人”若狭敬一アナウンサーを直撃しました!
――『THE TIME,』では初登場でリハーサル中に池に落ち、プロ野球ドラフト会議の翌日にはコーナーをドラゴンズ番組化して話題に。多少なりとも“狙っている”ところはあったのでしょうか?
若狭「さんざんそういわれているんですが狙っていたワケではありません! 池に落ちたのは中継1回目だったので入念に準備をしようと、まだ真っ暗な時間帯に現場に行ったんです。そこで原稿を腹に落とし込むためにぶつぶつつぶやいていたら池に気づかず落ちてしまいました。楽屋落ちで恥ずかしいことなのでネタにするつもりはなかったんですが、ディレクターがスマホの動画を送ったところ、“是非使いましょうよ!”ということになったんです。ドラフトの時は当日の中継でもドラゴンズ愛を熱弁していて、それを見たスタッフが“若狭に好き勝手しゃべらせよう”という演出を提案してくれました。僕のドラゴンズ愛があふれちゃって、安住さんが冷静に止める。僕自身も内心そんな構図が一番美しいと思っていたのでよかったです」
――安住アナの絶妙なフリやウケも、若狭さんのキャラクターを引き出してくれていると感じます。
若狭「実は安住さんとはまだ一度もお会いしていないんです。でも、テレビはもちろんラジオの『安住紳一郎の日曜天国』もいつも聴いています。安住さんの素晴らしさはアクセルとブレーキの絶妙なバランス。自分のキャラを出しつつ、番組全体を俯瞰的に見て的確に進行していく。僕の中継の時も、からみすぎず、でも遠慮しすぎず、相手の個性を引き出しながら視聴者が安心して楽しめるところに落とし込んでくれるんです」
――そんなやりとりもウケて、ドラフト翌日の出演後は「#若狭アナ」がTwitterのトレンドワードにもなりました。
若狭「不思議な感じですね。名古屋ローカルでも全国放送でも、やることもアプローチも達成感も同じなんです。“今日は全国ネットだから”と何かいつもと違うことをしようなんて考えてもいません。ただ反響の大きさだけが違う。あらためて全国ネットの影響力の大きさを感じています」
アナウンサーになっていなければプロ野球選手かお笑い芸人?
――アナウンサーを目指したきっかけは何だったのでしょう?
若狭「もともと全く考えてもいなかったんです。子どもの頃はプロ野球選手にあこがれていたんですが、中学3年の時に後輩にショートのレギュラーの座を奪われて“自分には才能がないんだ”とあきらめました。以来、試験や受験、大学に入ったらサークルやバイトと、目の前のことだけを頑張る、楽しむだけの青春時代を過ごしていて、将来の仕事のことも一切頭にありませんでした。大学3年の秋に、野球部でバッテリーを組んでいた先輩が“就きたい仕事がないならまず自分が好きなことをノートに書け”とアドバイスをくれた。そこであらためて考えると、サークルの飲み会で進行役をしたり、野球部ではムードメーカー的立場だったりと、しゃべること、場を盛り上げることが好きで、そういうことなら少しは人の役に立てるんじゃないかと気が付いた。その自己分析の結果、浮かび上がってきたのがアナウンサーだったんです。そこからアナウンス学校に通い、全国の放送局の就職試験を受け、唯一受かったのがCBCでした」
――ダジャレを連発したりチアドラゴンズの衣装でダンスを披露したりと、笑いを取ることにも積極的なイメージがあります。
若狭「実はアナウンサーの他にお笑い芸人という選択肢も一瞬考えたことがあるんです。原点は父。野球中継かお笑い番組しか見ない人で、僕もいつもそれを見ていました。でも僕、大喜利が死ぬほどつまらないんですよ(苦笑)。ゼロから笑いを生み出す才能はないので、お笑い芸人はあきらめました。でも、笑いの絶えない家庭で育ったので、生活や会話の中に笑いがあるのはとても自然なことだったし、人を楽しませることをしたいという気持ちもありました」
ドラフト会議時の滝行は今や名古屋の秋の風物詩
――最初からスポーツアナウンサーを目指していたんでしょうか?
若狭「自分としてはやりたかったんですが、当初は情報番組のレポーターなどが中心でした。しかし、入社8年目に社内で『若狭をどうするのか?問題』がひそかに持ち上がり、上司からスポーツをやる気があるか打診されました。やっとという思いで“やります!”と即答し、2006年にリニューアルした『サンデードラゴンズ』の司会になり、同じ年に野球中継の実況デビューもしました。その前からひそかに自主トレを積んでいて、草野球をしながらベンチでずっとぶつぶつ試合の実況をしていました。ある試合中、審判に『うるさい!』と注意されたことも(笑)。でも草野球はエラーや悪送球などあり得ないプレーの連続なので、それと比べたらプロ野球の実況は簡単です。あのトレーニングは大いに役に立ちました」
――CBCはラジオとテレビがあって、若狭さんは現在も双方でレギュラー番組がある。ラジオとテレビ、2つのメディアで話すことのメリットや相乗効果はありますか?
若狭「大いにあります。ラジオは足し算、テレビは引き算なんです。前者は映像がなくても聴く人が状況を思い浮かべられるよう情報を足していき、テレビは言葉は最小限にし、一番的確でキャッチーな言葉をチョイスする。すなわちラジオは映像を意識し、テレビは言葉を意識して伝えます。小学校の算数と同じで、足し算を覚えてから引き算を教わった方が理解しやすい。JNN系列局でも、ラジオで鍛えてからテレビを担当させる局は多く、どんな中継でもこなせるアナウンサーの底力につながっていると思います」
――ドラゴンズの情報が豊富で選手とも信頼関係を築いていることが放送からも伝わってきます。2011年の大逆転優勝での祝勝会のビールかけでは、落合博満監督に「お前だけだな、うちが優勝すると言い続けたのは!」といわれて抱き合い、「あの落合監督が認めたアナ」としてプロ野球ファンの間で話題になりました。
若狭「それまで落合博満さんと仲がいい、なんて自覚はゼロだったんです。携帯の番号も知りませんし、食事に行ったこともない。でも、あの人はそういう個人的付き合いは関係なく、相手がプロとしての仕事をしているかだけが物差し。番組でドラゴンズの優勝を信じて発言してきたのは確かで、それを見ていたってことですよね。僕は落合政権時の2006年から『サンデードラゴンズ』を担当してきたので、それまでの放送も全部見られていたのかと思うと、認められてうれしいというよりも背筋が冷やッとしました」
――ドラフト時期の滝行は今やドラゴンズファンの間で名物行事になっています。しかし、あれはもともと若狭さんがドラフトの会場や有力選手の元へ取材に行くとことごとく指名にいたらず縁起が悪いと悪評がたち、現場に行かせないようにすることがきっかけでした。
若狭「2013年くらいから5年連続でクジを外すか僕が訪れた先の選手が指名されない、ということが続き、“疫病神”とまで呼ばれるようになってしまいました。2018年はとうとう社内に軟禁されることになり、悔しい、歯がゆい、そして“僕のせいじゃないでしょ…!”という忸怩たる思いでいっぱいでした。そんな時、ふと新人時代に名古屋市内のお寺で滝行のレポートをしたことがあったと思い出し、邪気をはらってもらおうと行ったんです。その成果か、その年は4球団競合した根尾昂選手を見事引き当ててくれた。この瞬間、それまでのもやもやがすべて吹き飛びました。以来ドラゴンズは4年連続で希望する1位指名選手の交渉権を獲得しているので、今では僕が取材に行かないことが逆にゲン担ぎになっていて、清々しい気分で堂々と社内待機し、喜んで滝に打たれています!」
アナウンサー、草野球のエースとしての意外な抱負
――若狭さんの2年後輩の石井亮次アナが、『ゴゴスマ』の放送エリアが広がって全国で名前を売ったのを足がかりにフリーに転身して成功しています。若狭さんも『THE TIME,』をきっかけにフリーに…なんて下心はないのでしょうか?
若狭「ないですね!(即答)一度だけ、M-1グランプリの初期の頃、石井君に“2人で漫才やりましょうよ!”と誘われて、一瞬“それも楽しいかも”と思ったんですが、すぐに“無理無理!”と思い直しました。アナウンサーは基本的に受け身で、指名された仕事を一生懸命やるという立場で、僕自身あれもやりたいこれもやりたい! という気持ちはないんです。それよりも、後輩から相談を受けた時に的確にアドバイスできるアナウンサーでありたい。自分が一線でしゃべっている方が説得力があるので、現役で元気なうちにできるだけ後輩に自分の培ってきた経験などを伝えていきたいと思っています」
――草野球プレイヤーとしての抱負はありますか?
若狭「50歳までピッチャーとしてマウンドに立ちたい! 2チームかけもちで年間20試合ほどするんですが、いつも球場に一番乗りでストレッチ~キャッチボールのルーティーンも常に守り、毎試合真剣に勝ちたいと思ってやっています。僕の草野球は、子どもの頃にあきらめた夢を大人になってやり直している“プロ野球選手ごっこ”なんです。これまでの最高球速はナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)のスピードガンコンテストでの127km/hで、今は110km/hくらい。真剣にやっているからこそ、思い通りのボールが投げられなくなったらいさぎよくユニフォームを脱ごう、そう思っています」
――大学入学にともない名古屋に来て、今では人生で一番長く住んでいる土地になっていますが、名古屋に対する思いは?
若狭「名古屋という町の個性を初めて強烈に意識させられたのは、1994年の大学1年の時。かの『10・8』の日です(中日ドラゴンズと読売ジャイアンツがシーズン最終戦で優勝を賭けて激突した伝説の試合)。当時古いアパートに住んでいて、両隣の声援がうるさくてうるさくて! 名古屋はドラゴンズが文化として根付いている町なんだ、と思い知らされました。今ではもちろん名古屋が好きです。僕にとっては大人として育ててもらった町。日ごろドラゴンズファンの声を聞くことが多いからそう思うのかもしれませんが、皆さん“是々非々”ですよね。いいものはいい、悪いものは悪い。ドラゴンズだってダメなところはダメ! アナウンサーとしても滑ったら滑ったとダメ出しし、うまくハートをつかめれば評価してくれる。文化やパフォーマンスに対して厳しくもフェアなんです。そんな町で、CBCという放送局の幅広いフィールドで仕事をさせてもらっているので、本当にありがたいな、と感謝しています」
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“やらかし”エピソードに事欠かず、コミカルでお調子者のイメージを抱かれがちな若狭アナですが、笑顔とメガネの奥には熱いアナウンサー魂が秘められ、周囲の信頼、評価も高い実力派であることが伝わってきました。名古屋をはじめとする東海地方ではその活躍を目や耳にする機会も多く、今後は全国の人にもその個性や魅力を感じてもらうチャンスが増えそう。クセ球使いと見せかけて実は熱血さもクレバーさも合わせ持った本格派、“名古屋のエース”にますます注目です!
(写真撮影/筆者。若狭アナ・加藤里奈さんの写真は(C)カトリーナ。ミニチュア姫路城と滝行の写真はCBC提供)