【新型コロナと経済】公衆衛生の教え、2つのリスクの折り合いはどこか?
景気の悪い話ばかり……
「夏場の仕事で数百万のキャンセルが出たよ」「契約期間を2ヶ月切られて……」「ここを辞めないといけない」
緊急事態宣言が出てから、私の周囲ではこんな声ばかりが聞こえてくる。新型コロナが直撃し、景気は上がる要素が見られない。政府が10万円の一律給付は政策としては「遅い」以外の文句ないし、国による休業手当の100%補助も素晴らしい。
だが、これは「ひとまず」急場凌ぎの政策であり、これで何とかなるというものではない。
内閣府の発表(2020年3月9日)によると、2019年10~12月期の国内総生産(GDP、季節調整値)改定値は、前期比1.8%減、このペースが1年続くと仮定した年率換算は7.1%減。この数字は、新型コロナウイルスショックが直撃する「前」の数字であり、消費税増税ショックにコロナショックが加われば、景気は確実に減退する。
緊急事態も1ヶ月なら耐えられる、数ヶ月なら耐えられるという人もいるだろうが、一年ならどうか。
自粛せよ、接触を8割削減せよと専門家は言うが、このままいけば経済的な不況は確実にやってくる。それも前例のないクラスの不況がやってくる。大学に所属している専門家は耐えられると思うが、数ヶ月先すら見通せない会社は少なくないのが現実だ。
海外の専門知
「専門家が望む感染症対策を実行すれば、その分経済活動は停滞し、感染症ではなく経済リスクも膨らみます。その二つのリスクについてどう考えていますか?」
旧知の医療系の取材先や、方々で会う感染症や公衆衛生の専門家に聞いて回っている。政府の専門家会議や厚労省クラスター対策班に関わっている人もいるが、大多数の回答をざっくりまとめると「経済も大事なのはわかるけど……。経済は専門外なのでわからない」になる。経済は経済学者の領域であり、バランスを考えた決断は政治家するもので自分たちには関係ないことだ、という思いだけは共通している。
最後は政治の責任というのはその通りだ。だけど、専門外だから関係ないという態度はどうか。海外には公衆衛生、疫学の専門家がきちんと経済政策と人の健康について分析を施している例がある。
それが『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』(草思社)だ。著者は2人。デヴィッド・スタックラーは公衆衛生の専門家であり、サンジェイ・バスは医師で医学博士号を持っている。彼らの結論は極めてシンプルだ。
経済政策の失敗もまた人の命に直結する。特に、不況下で財政緊縮策を取った場合、財政刺激策を取るよりも死者が増大する。自殺のリスクも当然ながら高まる。それだけではない。スタックラーらの分析では、失業そのものだけでなく、失業への不安、家を失いそうになる不安があるだけで健康に影響を及ぼす。自粛と補償がセットになるのは当然だが、経済活動そのものが再開しなければ、常に不安を抱える層は残り続ける。
感染症対策でワーストのシナリオを発表されているが、ではこのまま経済活動が停滞したらどのくらいの死者がでるのか。医療崩壊も問題だが、生活の崩壊も同じように問題が起きる。どちらにしても、しわ寄せが最初に行くのは、政治家や官僚、大学からの給与や研究費が確保されている専門家ではない。
経済問題としてのペスト
『ロビンソン・クルーソー』で知られる小説家、ダニエル・デフォーは1665年のロンドンを恐怖に陥れたペスト禍をテーマに『ペストの記憶』(研究社)という小説を書いている。より正確に言えば、小説の技法を使って、限りなくノンフィクションに近い作品を書いている。その中には、ペスト禍のなかで仕事を失った人々も出てくる。
親方衆は、弟子たちをー現代風に言えばー解雇し、家の建築が滞ったことで、関連するすべての職人たちの職は途絶え、人々は生活を切り詰めた。
仕事を失った人々の中には、義援金のおかげで、苦境は改善されたという人もいたが、義援金でロンドンから避難を選んだ人のなかにペスト感染者もいた。彼らの移動は、疾病を隅々まで広げ、やがて死が追いついた。
そして、その後は「ペストそのものではなく、ペストが引き起こした災いのせいで」絶命する人々が出てくる。「空腹と苦境に襲われ、全てが欠乏するなか亡くなったのだ。住む家もなく、金もなく、友もなく、パンを得る術もなく、パンを施す人もなかった」(デフォー『ペストの記憶』)
スタックラーたちは、冒頭で紹介した著書の最後にこんなことを書いている。
「どの社会でも、最も大事な資源はその構成員、つまり人間である。したがって、健康への投資は、好況時においては賢い選択であり、不況時には緊急かつ不可欠な選択となる」
感染症対策は人間という資源を守るにあたり、必要なことだが、同時に経済政策、生活の回復もまた健康への投資になる。2つのリスクに同時に対処しなければならない理由、そして折り合いを模索すべき理由がこの言葉に詰まっている。