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就活生「なりたい社会人像がない」が54.1% 離職率を下げる絶好のチャンスだ

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 5月28日、株式会社ディスコは「キャリタス就活2019 就活生の職業観とライフスタイル調査」を発表した。

 「なりたい社会人像がない」と回答した就活生は、「やや近い」と「近い」を合わせると、54.1%。実に半数を超える就活生が、自らの将来像をイメージできていないのが現状だ。

 はっきり言って、この結果は当然である。多くの学生は、せいぜいアルバイトくらいしか、仕事の経験をしていない。また、身近な社会人と接する機会も、大学のOB・OGに話を聞くことくらいが関の山である。なりたい社会人像といわれても、彼らは曖昧にしか想像することができない。尊敬する経営者や成功者の姿は、社会人像というにはあまりにも大きすぎる。

 したがって、この結果をふまえて「今どきの若者は」と嘆くのは、酷というものだ。あるいはまた、もしもそのように感じた人がいるのだとすれば、その人は経営のセンスがない。この結果は、こと企業にとっては、むしろラッキーだと考えたほうがよいだろう。

 なぜか。良し悪しはともかくとして、もともと日本企業が新卒を好むのは、仕事において余計なクセがついていないことが理由の一つだったではないか。なりたい社会人像が、利己主義によって成果を上げるような人物であったならば、組織の秩序は乱される。よき社会人になってもらうために、教育を施すことで、高い成果を上げる社員になることが可能となる。

 なりたい人物像に向かって、成果を上げることで、成長している実感と適正な評価が得られる会社であれば、社員は辞めようとは思わなくなるだろう。社員教育によって、彼らの理想とする人物像を思い描けるようにすることが、離職者を減らすための有効な手段である。

カッコイイ先輩社員との対話

 ある企業の新卒社員研修では、丸一日かけて、希望する職種における多くの先輩社員の話を聞く機会が設けられている。

 例えば営業職であれば、扱う商品群やサービスに応じて、様々な部署がある。それらの部署における何らかの成果を上げた社員に、新卒研修として、仕事に関する短いプレゼンを行ってもらうのである。プレゼン後は、新卒社員らと親身になって会話をする。終わったら、新卒社員は別の部署の先輩社員のもとに移る。このように、ローテーションによって、多くの部署の先輩社員と触れあってもらうのである。そうすることで、仕事のイメージや、よき社会人像が徐々に鮮明になっていく。

 ここで重要なのは、部署内で最も高い成果を上げた社員を選ぶのではない、という点である。顧客のために、ひたむきな姿勢で、失敗しながらも諦めずに前に進んで、成果を上げた社員を選ぶのである。「成功者の物語を教えれば、新たな成功者が生まれる」で述べたように、成果のみにフォーカスする人は、成功者にはなれない。すべての成果は、試行錯誤の結果であることを、新卒社員に印象づけなければならない。

 悪事をなすことを好む人はいない。基本的に人間は、いい人が好きであり、自分もそうなりたいものである。したがって、よいマインドで仕事をしている先輩社員を選ぶとよい。すなわち、他者のために献身する姿勢をもつ社員を、新卒に会わせるのである。かくして新卒社員は、先輩社員のように世のため人のために働きたいと思うようになる。よいことを行って、成果を上げている人の姿こそ、理想的な社会人像といえよう。

 自社の模範とする人物ではいけない。なぜなら人は、自己の特性に応じて目指すところが異なるからである。組織には多様な人材がいる。彼らの強みを活かし、相乗効果を高めることで、成果は上げられる。模範とする人物ばかりでは、金太郎飴のような人間の集団が出来上がってしまう。よって、他者のためという基本的な心もちさえあれば、その人の強みや特性は、選択の基準に入れないほうがよい。そうすることで、多様な新卒社員の要求に対応できるようになる。

 自社に理想とする人物がいれば、その会社に誇りを持つことができるようになる。同じ会社で働いていて、ビジョンを共有できているという実感が、働く意欲を高める。新卒社員は、日々の仕事に責任をもち、高い成果を上げるために動機づけられる。

人の心を育むことで成果は生まれる

 私たちは得ることで生計を立て、与えることで生きがいをつくる。ウィンストン・チャーチルの言葉である。

 経営とは、諸々の資源を最適化して、高い成果を上げるように努めることである。とりわけ人的資源は、成長に向けて促すことによって、質的に異なるものとなる。育成すべきは、能力だけではない。マインド形成もまた、社員教育においては重要である。

 しかも人の成果は、外面的な資質や能力よりも、マインドによって左右される。いかなる能力をもっていても、それを正しい方向に用いる姿勢がなければ、成果にはつながらない。ようするに、包丁は美味い料理をつくる道具にもなれば、人殺しの道具にもなるということだ。あるいは、切れ味のいい包丁を持っていても、腕を振るおうと思わなければ、料理は完成しない。目的なくして、手段の良し悪しは語れないのである。

 仕事とは、人を喜ばせることで、ありがとうと言われることである。そうすることで、働く人には二つのものが与えられる。生計の資と、生きている実感である。能力などは身に着けようと思えば、いくらでも身に着けられる。しかし、人を喜ばせようと思い、切磋琢磨する姿勢がなければ、能力は身に着かず、よって成果も上がらない。心の育成が、成果のためには不可欠なのである。

 自己を超えたところにあるものに目を向けて進むとき、自己実現に至る道は拓かれる。その道が目の前の仕事であると実感できるとき、その仕事は最高の仕事となるだろう。生きがいをもって働く人が増えることを、筆者は願ってやまない。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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