「考える」か「覚える」かの二項対立を「どちらも」といいとこ取りした新学習指導要領が抱える明日
「受験」シーズンたけなわ。先月実施された大学入学共通テスト(共通テスト)も「難しかった」という声があふれました。
日本の戦後教育は「考える」か「覚える」かの不毛な二項対立を経て現在は「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力など」「学びに向かう力、人間性など」を三本柱にした新学習指導要領が順次導入されています。
しかし「三本柱」は要するに「考える」も「覚える」も大切だという形で二項対立を解消したとはいえ、学ぶ側からすれば単純に難しくなるという重大な課題を教育現場に影を落としているのです。
本項では戦後の学校教育を略述しつつ、目的は正しくとも、このままだと大きな禍根を残しはしないかという懸念を紹介していきます。
終戦直後の単元学習は問題解決学習で学力低下を批判された
戦後の占領下で一世を風靡したのが「単元学習」でした。暗記一辺倒を脱して問題解決能力を日常の探求を通じて得ていこうとの流れです。
ここで「学力低下」が批判派から提唱されました。学問の体系的を理解しないままの学習では体系の部分を囓るだけの途切れ途切れの学習にならざるを得ず、積み重ねられない「這い回る経験主義」に陥ってしまうと。戦前の教育レベルとの比較もなされてその訴えは次第に大きくなりました。
成功例もあります。中学国語の大村はま教諭の実践はいまだ語り継がれているほど。ただ「教師が誰でも大村はまになれるわけではない」のもまた事実。
結局、主眼の問題解決学習などは60年代前後から学習指導要領から削除されて「系統学習」が重視されるように変更されたのです。
系統学習は現代化カリキュラムに至って「詰め込み」「落ちこぼし」顕在化
新たに重んじられた「系統学習」は学問の成果である知識を段階を踏みながら教えていこうというもの。簡単な算数から始めて、基礎を固めてから次第に高次へと進んでいくちう多くの方が習い覚えている方法が取って代わりました。
過去の成果物を覚えていくのだから、どうしても知育ないしは暗記中心となりがち。効率よく教えていくにはその方が適切です。
世は戦後復興を乗り越えて高度成長期に突入。同時に米ソ両陣営の東西冷戦が激化します。西側陣営の日本も教育で後れを取ってはならないと70年代前後から「現代化カリキュラム」を進めました。前年まで中学1年で教えていた内容を今年から小学校6年生で習うといった濃密化が計られていくのです。最盛期には戦後最初の授業時間に比べて小学校で約6%、中学だと約16%も増加します。当たり前のように土曜も授業。
高校進学率が急速に上昇し、合わせて大学入試も活発化。「受験地獄」などと呼ばれる状況も出来した時期にも重なる頃です。
あまりの濃密さに7割ともいわれる児童・生徒がスピードについていけない状況へと陥り「詰め込み」「落ちこぼし」という批判が次第に高揚。「やりすぎた」と国も認めて80年代に授業時間を削減する大きな転換を迎えました。「ゆとり」の始まりです。
「ゆとり教育」で「問題解決能力」「体験的な学習」復活
この時期の「ゆとり」は今世紀初頭のそれと似たところも異なる点もあります。基本的には現代化カリキュラム時代の「何もかもドンドン」から方針転換してコマ数を厳選したという方針へ舵を切ったというのが特長といえるでしょう。
内容もいったん否定した思考力の重視といった単元学習的な発想が復活します。90年代には「新学力観」という言葉で明示され「問題解決能力」「体験的な学習」を大切にする方向性が示されたのです。単なるテストの成績のみならず「関心・意欲・態度」も評価すると改められました。
その総仕上げともいうべきが俗に「ゆとり教育」という言葉が浸透している2002年の学習指導要領改正。課題発見・解決能力などを「生きる力」と表現して中核に据えたのです。授業時間は現代化カリキュラム最盛期と比べて小学校87%、中学校83%まで減少。週5日制も完全実施されました。
再びの「学力低下」批判で「ゆとり」も「詰め込み」も、へ転換
03年に行われた経済協力開発機構(OECD)による学習到達度調査(PISA。15歳を対象)の結果が翌年末に公表されると世情は騒然。前回(00年)に世界一であった数学的リテラシーが6位へ、同8位の読解力も14位へと後退したからです。「PISAショック」と呼ばれて02年の要領改正が学力不足を招いたのではないかとの推測が席巻しました。
11年の要領改正より「脱ゆとり」へと方針転換。「ゆとり」とも「詰め込み」とも異なると二項対立には与しない姿勢を示したのです。
とはいえ「脱ゆとり」ですから授業時間数は80年代の減少から約30年ぶりに上昇へ転じます。対して「生きる力」の象徴的存在であった「総合的な学習の時間」は大きく削られたのです。20年の改正も流れを引き継ぎ中学校の授業時間を若干増やしました。結果として時間数は現代化カリキュラム以後の1980年代あたりまで復活しています。
授業時間を増やしながら教師には「大村はま」になれと
二項対立を否定して何が変わったかとうと結局「ゆとり」「詰め込み」のいいとこ取りをもくろんだ形。それが冒頭の三本柱で「知識及び技能」は「詰め込み」、「思考力・判断力・表現力など」および「学びに向かう力、人間性など」は「ゆとり」の趣旨が濃厚に漂う仕組みです。
二項対立から両立へとの方向性は正しいのでしょう。切り札として授業そのものを「主体的・対話的で深い学び」に変えると、かつての単元学習を思い出させる方向に切り替えました。多くの教科書は対話型の「問い」を発するところから始まるためページ数は激増。でも結局覚える「知識及び技能」は同じか増加。つまり以前より多くの学びを「大村はま」のように教えなさいというに等しい。それが無理だから系統学習へと転換した過去を忘れたのでしょうか。
変わらなかった「PISAショック」以降の結果
転換の大きなきっかけとなったPISAの結果はその後どうなったでしょうか。最新の18年実施のケースで数学的リテラシーは6位(03年は6位)、読解力は15位(同14位)とほとんど変わっていません。OECDの見解は「PISAショック」を含めて「有意差なし」です。
あれほど騒いで11年に要領を改正しても変化はなかったとわかります。こうなるともう「そもそもPISAで右往左往したのが間違いであった」とも言えそう。
現在、全国規模で既に教員不足に陥っている上に教員志望の学生も減っています。最大の理由は長時間労働や過酷な労働環境。おそらく新課程はそれに拍車をかけるでしょう。「いいとこ取り」のつもりが「過積載」では理想も空論に終わってしまいそうで心配です。