米中貿易戦争が示すアメリカの黄昏―「アメリカが生んだ秩序」を壊そうとするトランプ政権、利用したい中国
- トランプ政権は中国への関税を一方的に引き上げることで、アメリカ自身が生み出してきた自由貿易体制を侵食し始めた
- 一方、反保護貿易を掲げ、「自由貿易の旗手」とも目される中国は、アメリカが負担し続けてきた、自由貿易体制を維持するコストを肩代わりする意志も力もない
- 米中貿易戦争は、「全体の利益すなわち自らの利益」という構造を生み出す超大国の不在を象徴する
7月6日、アメリカ政府は340億ドル相当の中国製品に対する関税を25パーセント引き上げ、中国政府は即日これの対抗措置として、やはり340億ドル相当のアメリカ製品の関税を引き上げた。トランプ大統領は関税引き上げの対象が最終的に5000億ドルにのぼる可能性を示唆しており、追加関税の応酬は今後も続くことが懸念される。
ヒト、モノ、カネが自由に行き来するグローバル化は、アメリカが作り出した秩序だ。今回の貿易戦争は、アメリカ自身が作り出したこの秩序を、一部とはいえ破壊しようとするトランプ政権と、この秩序を有効活用しようとする中国の間の争いといえる。その争いは双方に大きな損失をもたらすだけでなく、貿易戦争の勃発そのものが超大国の不在を象徴する。
トランプ政権の「原則無視」
トランプ政権は世界貿易機関(WTO)の規定で定められる上限を越えて関税を引き上げることを可能にする法案を作成していると報じられている。これが事実なら、世界全体で共有されるルールや原則を、アメリカの国内法だけで否定する試みといえる。
しかし、トランプ政権が否定しようとしている、WTOによって支えられる自由貿易体制は、もともとアメリカ自身が作り出したものだ。
第二次世界大戦末期の1944年、名実ともに超大国の座をイギリスから引き継いでいたアメリカは、連合国の代表をアメリカのブレトン・ウッズに招聘。このブレトン・ウッズ会議で戦後の秩序に関する議論を主導した。
この会議での議論にもとづき、1947年にはWTOの前身となる「関税と貿易に関する一般協定」(GATT)が成立。段階的に関税をお互いに引き下げることに各国が合意した。
ここで強調されたのが、「無差別」と「互恵」の原則だ。
このうち、「無差別」は「相手国によって対応を変えないこと」を意味する。これは政治的関係の経済取り引きの直結を抑えるための原則といえる。
一方、「互恵」は「相手がしてくれたことをそのまま返すこと」を意味する。これによって、関税などの条件をお互いに対等にすることが求められるようになった。
これらの原則は、1995年にGATTを改組して発足したWTOでも引き継がれている。そのため、相手を「ピンポイントで狙い撃ちにして」「関税を一方的に引き上げる」トランプ政権の方針は、アメリカ自身が主導して生まれた原則やルールに反するものといえる。
トランプ大統領の一理
トランプ氏は大統領選挙中から「アメリカが不公正な競争を強いられてきた」と強調してきた。この被害者意識が、中国との貿易戦争の勃発を正当化している。
トランプ大統領の主張は、全く事実無根とはいえない。
アメリカは自由貿易体制を維持するためのコストをどの国より負担してきた。
特に、アメリカほど外国企業に市場を開放してきた国は少ない。相手国の市場開放が進んでいなくても、アメリカが市場を率先して開放したことは、世界全体の貿易を活性化させ、他国が対米輸出を通じて経済成長できる土台となった。それは結果的に、日本やヨーロッパ諸国の戦後復興や新興国の成長を可能にした一方、アメリカ企業の輸出競争力を低下させることにもなった。
つまり、これまでアメリカは「互恵」をあえて強調しないことで、世界全体の貿易を活発化させてきたといえる。「相手が不公正なことをしているのだからそれを返す」というトランプ氏の言い分は、その限りにおいて不当でない。
超大国・アメリカの黄昏
ただし、注意すべきは、自由貿易体制からアメリカが小さくない利益をあげてきたことだ。
例えば、1940年代後半から日本や西ヨーロッパ諸国に市場を開放することで、アメリカはこれら各国を、東西冷戦の構造のなかで自陣営に引き込むことに成功した。そのうえ、これら各国との貿易が活発化したことで、競争力の高い農業やサービス業の分野で、アメリカ企業は大きな市場を手に入れた。
つまり、世界全体の利益を生み出すなかで、アメリカは自国が最も利益をあげられる状況を作り出したといえる。「全体の利益すなわち自国の利益」という秩序を形作れたのは、アメリカが超大国と呼ばれるにふさわしい意志と力を備えていたことの表れだった。
これと対照的に、トランプ政権は「米国の利益」を強調することで、世界全体の利益に背を向ける傾向が強い。これは、超大国としての役割の放棄を宣言するに等しい。
この論調の大きな背景には、自由貿易体制によってアメリカ自身の首が締まってきたことがある。グローバル化によって企業の流出によって中間層が失われたことや、中国に代表される反米勢力の台頭までも促されたことは、その典型だ。
とはいえ、中国を狙い撃ちして一方的に関税を引き上げることは、アメリカが生んだ自由貿易体制を自ら侵食するものでもある。アメリカは現在でも世界最大の大国だが、世界全体の秩序を作り出す超大国としては長い黄昏の時期にあることを、米中貿易戦争は示している。
中国は「自由貿易の旗手」か?
これに対して、「反保護貿易」を掲げる中国は、いまや「自由貿易の旗手」として振る舞うことさえある。しかし、それは中国が超大国の座をすぐさまアメリカから引き継ぐことを意味しない。現状の中国が、これまでアメリカがしてきたように、自由貿易体制を支えることは不可能だからである。
先述のように、アメリカは国内市場を開放し、「世界最大の輸入国」となることで自由貿易体制を支えてきた。
これと対照的に、中国はエネルギーや食糧に関して世界の大口顧客だが、それ以外の輸入に関しては制約が多い。中国市場には、進出する企業に対する技術移転の強要や映画フィルムの国別割り当て制など、いまだに閉鎖的な特徴が目立つ。これらに関して中国政府は「開発途上国であること」を前面に押し出して正当化する。
その一方で、中国は「世界最大の輸出国」として各国への貿易や投資を活発化させてきた。たとえ政治的に対立していても、貿易に制限を加えることを禁じるWTOの「無差別」原則は、中国の成長にとって有利な条件になってきたといえる。
それだけでなく、中国の場合、WTOで開発途上国に認められている「一般特恵関税」を最大限に利用して輸出を増やしてきた。この制度は先進国に、開発途上国からの輸入に対する関税率を先進国からのそれに対する関税率より低く設定すること求めるもので、技術水準などの低い開発途上国と先進国の間の競争力のギャップを埋めるために導入されている。
つまり、中国はWTOの「互恵原則」に縛られない形で貿易を行うことが公式に認められている。この一般特恵関税の適用を受けることは、中国は現在も自らを開発途上国と称している最大の理由の一つだ。
このように中国の自由貿易へのコミットは輸出に軸足があるため、その裏返しとして、これまでのアメリカと異なり、中国には国内市場を開放することで現状の自由貿易体制を維持するためのコストを負担する意志も力もない。むしろ、トランプ政権によって自由貿易体制が骨抜きにされ、アメリカ市場を閉ざされたとき、最も困るのは中国ともいえる。
時代の狭間
トランプ政権のもと、アメリカはいまだに他国をしのぐ力をもちながらも、自由貿易体制を維持するコスト負担を避け始めている。一方、中国は自国の利益のために国際的な秩序を活用しながらもコスト負担を避けており、「全体の利益すなわち自国の利益」という構造を作り出す超大国にはほど遠い。
こうしてみたとき、米中貿易戦争はアメリカにとっては長期的な衰退を、中国にとってはいまだに遠い超大国の座への道のりを、それぞれ印象づけるものだ。言い換えると、世界をリードする超大国が実質的に不在になりつつあることが、米中貿易戦争でさらに鮮明になったといえる。ただし、アメリカ主導の秩序が長期的に形骸化した後、どんな世界が生まれるかは、まだ当分みえてこない。