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医師を目指す島津有理子さんに送るエール

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
医師になる道は厳しく長いが…(写真:アフロ)

44歳での決断

 驚きのニュースだった。西郷どん紀行の語りなどでおなじみの島津有理子アナウンサーがNHKを退職したことが明らかになったのだ。なんと医師を目指すと言う。

私事で恐縮ですが、NHKを退職いたしました。20年間勤めてきた組織を離れ、医師を目指して大学で勉強することにいたしました。

出典:100分de名著「島津有理子のゆりこ’s EYE」

 年齢を強調するのはばかられるが、44歳での決断だ。

 私は数日前に高齢で医学部受験をすることの意義を記事に書いたばかりだったので、このタイミングに驚いてしまった。

 基本的には、記事に書いたとおり、その決断に敬意を表し応援したい。

 けれど、医師の価値は現役でいられる時間の長さだけではない。学生時代に若い同級生たちに大きな刺激を与える。もちろん外科など一部できない科はあるにせよ、他分野での経験が生きる科もある。若い医師が敬遠する医師が少ない地域に行くことも、一つの活躍の道だろう。

 何より、ほかの仕事などを経験してきた人が医療に加わることは、多様性の少ない医療現場を変えるポテンシャルを秘めていると思う。

出典:群馬大医学部入試年齢差別疑惑~文科省回答の不誠実さ

 ただ、その道は決して楽ではない。今回は、高齢で医学部に入った人たちが直面する現実について、学士編入学試験で医学部に入り、医学部学士編入学の受験に関するメーリングリストを運営した経験を持つ立場から書いてみたい。

受験の厳しさ

 ご存知のように、昨今の医学部(医学科)入試は厳しく、簡単に入れるものではない。最初の大学受験からのブランクが長い場合は、受験科目の基本的な事項を思い出すのも一苦労だ。記憶力の減衰もいかんともしがたい。仕事をしながらの受験だと、勉強時間が限られてしまう。だから東大や京大出身者でも、再受験する人全員が合格できるわけではない。

 私も受験した学士編入学試験を受験するという手もある。人文社会科学系のバックグラウンドを持つものを受け入れる大学もあるが、おおむね定員は少なく、合格には大学の求めるものと受験者の経歴などがたまたま合致したというような運の要素が左右することも大きい。

 2年次の秋から編入するという大学もある。島津さんもどこかの大学の学士編入学試験に合格されたのだろうか。

 数多くの受験生をみてきて思うのが、受験のやめどきの難しさだ。

 なかなか受からなくて、何年も受け続ける。たまにもう少しで合格という点数が取れたりもするが、合格には至らない。こうなると、受験をやめるのがもったいなくなる。こうして10年以上も受験を続ける人がいるのだ。

 だから、受験は3回まで、などと期間を区切ることをお勧めしたい。

 仕事を辞めて背水の陣の覚悟で自分を追い込む人もいるが、リスクは高い。基本的に仕事を辞めるのはお勧めしないが、あとは自分の覚悟の問題なので止めはしない。

 このほか、医学生になれば収入は大幅ダウンするうえ、学費のみならず生活費や参考書代などの出費も大きい。医師になっても数年間は安い給料で働くことになる。こうした経済的な問題は大きな課題なのだが、個別の事情が大きいのでここでは触れない。受験前に十分な資金計画を立てることが必要だ。

過酷な医学部のカリキュラム

 なんとか受験を突破して、医学部に入ることができた。しかし、受験以上に大変な勉強が待っている。

 医学部はある種「専門学校」のようだ。選択できる講義の範囲は狭く、学年全体が同じ講義や実習を受ける。毎週のように試験がある時期もある。覚えるべきことは多く、若い頃ほど簡単に記憶できなくなった脳には辛い。

 関門も多い。CBTやOSCEといった試験があり、これに受からなければ病院実習を受けられない。卒業試験に受からなければ医師国家試験を受験することもできない。高齢医学生の留年は珍しいことではない。

 医師国家試験も9割が受かる試験とはいえ、2日かけて500問の問題を解く負担の大きな試験だ。なめてかかると痛い目に遭う。

 だから、高齢医学生は留年率が高く、国家試験の合格率も低いではないか、と、高齢医学生に批判的な医学部教員は少なくないのだ。

意外に難しい人間関係

 歳の離れた同級生たちや年下の先輩との関係も意外に難しい。

 無理に溶け込もうとしても痛々しいし、かといって孤立してしまうのはよくない。

 年齢が上だからといって、同級生たちに上から目線で説教したり自慢したりするのは最悪だ。また、社会人を経験した人たちで固まってしまうのも問題だ。

 無理に溶け込もうとせず、謙虚な姿勢でいることで、程よい距離感を保つことが重要だ。

果てしない研修

 医師国家試験に受かり、医師免許を取得した。しかし、これはスタートラインに立ったにすぎない。医学は日進月歩だから、一生学び続けなければならない

 初期臨床研修では、体力的にはしんどい当直業務を行う必要がある。子供くらい年下の指導医に厳しく指導されることもある。腐ってはいけない。どんなに年齢が違っても、医療現場では新人であることを自覚しなければならない。

 試験は医師国家試験が最後ではない。自分の専門とする科の専門医を目指す場合、2年の初期臨床研修後、数年の専門研修を受け、実技も含めた試験を受けなければならない。ある程度のことができる医師になるまでに、医学部卒業後10年はかかるというのが、多くの医師の実感だ。

選択肢は限られる

 高齢で医師になった人にとって、体力や技術が重要な外科医になるのはやはり厳しいと言わざるを得ない。手術手技を習得するのには長い年月がかかるからだ。

 病院によっては、高齢新米医師を採用しないところも多く、研修先などが限られてしまう。

 だから高齢新米医師の多くは精神科などの一部の科に集中する傾向がある。精神科ならこれまでの人生経験がプラスになると思うからだ。

 ただ、人生経験が多いからといって、すべてがプラスに働くわけではない。老害になる場合だってあるだろう。要はその人が自分の経験をどう消化するかということに尽きる。患者さんあっての医療だ。自己満足や自己実現を優先させるような医師は害でしかない。それは年齢を問わずすべての医師に言えることではあるが…。

腹をくくれば…

 少々ネガティブなことを書いたが、こうしたことを知ったうえでそれでも医師になりたいと腹をくくっているなら、様々な障害は乗り越えられるはずだ。

 一度大学を出てから大学受験の問題を解くと、簡単に感じることが多い。記憶力の減衰は、その他の能力で補うこともできる。

 だから、高齢で医学の勉強をしたりすることは、必ずしも不利ばかりではないのだ。

 大学によっては「長老会」といった名前で、高齢医学生や高齢で医師になった人が集うグループがある。情報交換したり励まし合ったりしながら困難を乗り越えている。

 今後人工知能やロボットが医療現場に導入されていくが、これは高齢で医師になった人たちにとっては朗報だ。落ちていく体力や記憶力をロボットや人工知能が補うようになれば、高齢医師の活躍の場も増えるだろう。技術や記憶力を機械が補うことになれば、医師の価値を決めるものは「人間性」なのかもしれない。そうなれば、医療以外の世界を知り、多様な経験を持っていることは逆に有利に働くことになる。

 最近私の職場にも50代の新人医師が加入したが、私たちに大きな刺激を与えてくれている。

 アナウンサーから医師になった人は何人かいる。島津さんが医師になり、医療現場に一石を投じる日が来ることを楽しみにしている。

参考

 どちらも私が管理しています。開店休業気味で恐縮です…。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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