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セシルマクビーが店舗・ECともに事業終了、マルキューで14年間トップを独走、決断した木村社長を直撃

松下久美ファッションビジネス・ジャーナリスト、クミコム代表
ピーク時の2007年に開催したクリスマスパーティのワンシーンより すべて筆者撮影

90年代後半からギャルファッションやガールズカルチャーをけん引した「セシルマクビー」(CECIL McBEE)が店舗・ECビジネスから撤退する。ギャルの聖地・マルキュー(渋谷109)で、2000年度に年間売上高11億8300万円で館内1位になると、2013年まで14年連続でトップに君臨。売り場面積65坪で、ピーク時の売上高は14億円超、最高月坪売上高は248万円に到達。高速の企画調達とノベルティー戦略などもあり、ブランドのプロパー消化率が90%超えと、今の時代には考えられないほどの記録的な数字を残してきたブランドだ。

しかし、「デベロッパーと撤退の話し合いが進んでいる」との話が聞こえはじめたのが5月下旬のこと。ブランドの買収や事業譲渡などが進むかと注視してきたが、結局、今日(7月20日)、自力での事業再構築という形で閉鎖を発表するに至った。残すのは4ブランドと「セシルマクビー」のライセンス事業のみ。ただし、無借金経営で、従業員の給与や取引先への支払いはすべて行う、「きれいな幕引き」であり、「潔い終活」にも見える。ジャパンイマジネーションのオーナーである木村達央会長兼社長(71)に、決断に至った背景や真意、そしてこれからを聞いた。

ピーク時代の「セシルマクビー」渋谷109店。様々なテイストのトレンド服を扱う360度MDで、ギャルはもちろん、ギャルに憧れるティーンズやギャルマインドを持つOLなど幅広い世代から支持を集めていた
ピーク時代の「セシルマクビー」渋谷109店。様々なテイストのトレンド服を扱う360度MDで、ギャルはもちろん、ギャルに憧れるティーンズやギャルマインドを持つOLなど幅広い世代から支持を集めていた

――今回の「セシルマクビー」の店舗・ECでの販売終了と、事業再構築に至った経緯を聞きたい。

木村社長:真っ先に言っておきたいのは、会社を整理したり、清算したり、ましてや倒産したりすることではないということ。一方で、このままいくとそういうリスクも見えてきたというのも事実だ。そうならないうちにこういう形で再編を図った。子会社は2つあったもの(「ナイン」(NINE)、「デイシー」(DEICY)を手がけるD&N JAPAN社と、「スタニングルアー」(STUNNING LURE)を手がけるスタニングルアー社)をスタニングルアーに統合する。今後もジャパンイマジネーションは存続するし、何分の1かの規模にはなるが、事業も続けるし、役員や資本構成も変更はない。

では、何を残すのか。ジャパンイマジネーション内では「アンクルージュ」(Ank Rouge)と「ジェイミー エーエヌケー」(Jamie エーエヌケー)の2ブランド・13店舗だ。これは実質的には一体のようなもの。これと「デイシー」と、「スタニングルアー」だ。この4つのブランドをスタニングルアー社に集約して、会社も一つに合併して営業を続ける。新会社の規模は40数億円になる見通しだ。

――閉鎖する店舗数はどれくらいの規模になるのか?

木村社長:105店舗ある中で、「セシルマクビー」の43店舗を含めて、92店舗を撤退する。これは大事(おおごと)だし、社員が当面の職を失うことは事実なので、誠に申し訳ないと思っている。けれども、会社がつぶれたりすると、それ以上に迷惑をかけてしまうことになる。今のうちにこういった形にするのが正解ではなかろうかと判断した。従業員にも最後まで給与を支払うし、若い人が多い会社なので退職金の対象となっている人は少ないけれども、その人にもきちんと支給する。取引先にも最後まで支払いをしていく。従業員に対しては転職の斡旋など、十分ではないかもしれないけれども、やってあげられることは全部したい。転職支援企業などを通じてアパレル小売り数社と連携しながら、再就職をサポートしているところだ。粛々とリストラクチャリングしていけば、これ以上、迷惑をかけない状態で、着地できる方向だ。

――現在の従業員は何人?

木村社長:ジャパンイマジネーションで570人で、うち、継続する「アンクルージュ」と「ジェイミー」が70人なので、解雇対象になるのは500人になる。人員の大部分が現場の若い販売員だ。人手不足のところなどもあるので、近くのお店などから「紹介してください」といったところもあると聞いている。再就職サポートの申し込みもすでに何人かあった。僕としては従業員の行き先が一番気がかりなポイントで、できるだけのことをしたいと思っている。

――デベロッパーと正式に店舗撤退の手続きをしたのは5月とのことだが、決断したのはいつか?

木村社長:正直に言えば、ここ1~2年、いろいろなことを模索していた。いくつかウワサも飛び交ったかと思うが、「会社全体」、あるいは、「このブランドだけ欲しい」という人が現れたり、「うちのプラットフォームに載せませんか」といった、買収、提携などいろいろな話があった。これらに対して、すべて、来るもの拒まず、全部正直に検討したという期間があった。だから、あるとき突然、膝を叩いて決めたわけではない。話によってはだいぶいいところまで行ったものもあったが、新型コロナにとどめを刺されてしまった。

――業績のピークと、直近の動向は?

木村社長:ジャパンイマジネーションの売上高のピークは2007年1月期で242億円あり、「セシルマクビー」も160億円までいった。だが、そこからずっと右肩下がりが続き、歯止めをかけることができなかった。利益面では2015年1月期赤字に転落してしまった(売上高192億円に対して、当期純利益は4億2500万円の赤字)。それまで大きな貯金を持っていた会社だし、無借金経営だし、今年の1月ぐらいまではなんとか乗り切れるんじゃないかという気持ちもないわけではなかった。けれども、最終的にはコロナがあり、全店舗が休業になってしまった。7月のものすごく悪い状況を見ても、これが一番の、そして、唯一の選択ではなかったかなという感じがしている。直近の2020年2月期の売上高は121億円になっている。「セシルマクビー」の売上高も今はピーク時の半分以下になっている。

――新型コロナによる営業自粛や売上げ低迷などの影響もあったと思うがが、そもそもどうしてこういう事態になってしまったのか?原因は何か?

木村社長:一言でいうと、「時代の急激な、しかも、大きな変化に対応できなかった」ということに尽きる。これはもう反省でもあるし、「セシルマクビー」については、ブランドの背景がなくなってしまった。

――「ギャルがいなくなった」と。

木村社長:1987年にデビューした30年ブランドであり、コロナもあった。一つのブランドがここで一つの幕を降ろすのはやむをえないのではないかと思う。とはいうものの、会社としては時代が変わったから、環境が変わったからなくなっていいわけではない。それなりの対応や努力が不十分だったという反省もある。

――企業として、時代に対応できなかったというのは具体的には?

木村社長:とくに大きかったのは、「企画力」「生産力」の問題だ。今までの「セシル」のやり方――ODMのような形で、(代々木オフィスの)近所のアパレルメーカーさんと上手にタイアップして、スピードで(売れそうなもの、売れているものを)買ってくる――みたいな商品調達背景も時代遅れになってしまった。「ユニクロ」「GU」はわれわれとは発想も仕組みも違う。ちょっと競争にはならなくなってしまった。また、プロモーション、広い意味での販促もすごく大きく変わってくる中で、「(デジタルマーケティングに)出遅れた」という反省もある。

「H&M」や「フォーエバー21」が日本に進出してきてそこに負けたのかとも聞かれるが、それも原因の一つではあるけれど、個人的な感じとしては、「ファストファッションブランドに負けた」というよりも、われわれ自身が日本発のファストファッションブランドでありながら、目の前のお客さまの変化率が大きく、それに対応できなかったということが主原因だと思っている。

――「アンクルージュ」とその派生ブランド「ジェイミー エーエヌケー」「デイシー」「スタニングルアー」の4ブランドを残した理由は?

木村社長:ブランドの特徴がはっきりしていて、顧客が明確だからだ。「セシルマクビー」も本来はそうだったが、今は全然…。また、この4ブランドともに、EC化率が高いという特徴もある。ジャパンイマジネーション全社ではEC化率が2割に満たないが、「アンクルージュ」は25~30%で、コロナ禍ではもっと高まっていた。この4ブランドが今後、「セシルマクビー」みたいな規模になるとは思っていない。どんなに大きくなってもワンブランドで40億~50億円程度だと思う。ただし、利益率が全然違う。「デイシー」はたった4店舗でもきちんと利益が出ている。40数店舗あって赤字の「セシルマクビー」とは違う。

これからのファッション界というのは、規模、売上げや店舗数で競争するのではなくて、本当に特徴がはっきりして、顧客が明確で、というブランドしか生き残れないと思う。あとは「ユニクロ」と「GU」があればいい、という時代だ。「ユニクロ」「GU」には逆立ちしても勝てない。マスを相手にしたものや、規模が大きいことが偉いでしょといったブランドは、これからは残らないし残れないと思う。うちの会社も今から「ユニクロ」や「GU」になれるわけでもない。だから、僕は今回、こういう選択しかないと思った。

――では、「アンクルージュ」の今後の成長戦略は?

木村社長:札幌、仙台、東京、名古屋、大阪に店舗があり、今はなくなってしまった福岡に欲しいと考えている。そういう大都市にショールームのような店舗を持ち、あとはECやWebで販売していく。いずれにしろ、売上げ、収益の柱ブランドとして期待している。

――「ナイン」ではなく「デイシー」を残すというので、少し驚いた。

木村社長:ファッション業界のプロの方々からの知名度もデベロッパーからの出店要請も圧倒的に「ナイン」のほうが注目度が高いが、現実の数字になると断然「デイシー」のほうが好調だ。僕は「過去の栄光」があるブランドを建て直すのは難しいなと思っている。これは「セシルマクビー」と共通項があると思う。売れなくなると、過去に戻りたがってしまう。「昔、こんなのが売れたよね」と。でも、「セシルマクビー」は短期大学のようなブランドで、入学もあれば卒業もある。当時とはお客さまの世代も感覚も変わっているから、受け入れられない。「ナイン」にも同じような感覚があったと思う。

――「スタニングルアー」はもともと、リステア傘下のブランドで、瀧定大阪の子会社を経て、ジャパンイマジネーションのグループ入りをしている。

木村社長:2017年に譲り受けたもの。今年3月に(社長兼ディレクターだった)婦木なつこさんがディレクターに専念し、二人三脚でやってきた河合剛さんが社長に就任している。とても優秀でスタッフ思いの人物だし、婦木さんはマーケティングにも長けている。僕も役員の一員でもある。6月には久々に横浜の「ニューマン」に新店舗を出店するなど明るい話題もあり、期待している。

――それにしても、「セシルマクビー」をやめるのは惜しい気がする。

木村社長:ブランドって、そんなに変身できないという思いもある。マルキューの変身などに合わせて、うちのスタッフも「ニュー・セシルマクビー」への転換などを考えてリブランディングもしたけれども、中途半端だったし、それで戦えるようにはなっていなかった。ブランドには旬があり、寿命があるような気がしている。

何よりも、頂上が高すぎた。15年前に一時代を築いたが、今とは本当に状況が違った。当時は支持してくれたり、憧れてくれる人々がいた。そこが消えてしまった。「ギャルが消えた」と言われた通りだ。

ただ、今でも「『セシルマクビー』という名前をぜひ使わせてください」「『ニュー・セシルマクビー』をやるので譲ってください」という人もいるので、「当社の持つすべてのブランドについて、新たな展開の可能性を模索していきます」と話している。もちろん、ジャパンイマジネーションがやってきた「セシルマクビー」とはだいぶ中身が違うものになるかもしれないけれども、僕はそれでもいいと思う。コンセプトもデザインもスタイリングも違うものになるかもしれないし、展開場所も日本ではなく、中国だけ、といった形でもいいかもしれない。ただし、どこであっても、いい形で発展してくれることが条件だ。今でもお金を出してくれる、というところはあるけれど、そういうところではなく、ブランドの次を見据えて、育ててくれるところがあれば幸いだと思っている。

――ちなみに、靴や寝具などライセンス事業は継続すると。

木村社長:ライセンスは現在、ステーショナリーや靴、サングラス、浴衣、着物、学習参考書、昭和西川の寝具、ベビー服や子供服、イギンによるフォーマルウエアまで広範囲に広がっている。売上げ的に大きいのは、東京デリカなどのお財布や小物類。化粧品がドン・キホーテなどで売れているとも聞く。これも「セシルマクビー」の店舗や渋谷109のお店がなくなって、いつまでどうなるかはわからないが、今は売れていると聞いているので契約を守り、ジャパンイマジネーションでライセンス事業を行っていく。

――1996年ごろから取材してきたが、「セシルマクビー」に続く第2、第3となる売上げ・収益の柱となる事業の確立にもかなり挑戦していたが、「あの施策がうまくいっていれば」「ブランドポートフォリオが拡大できていたら」など、惜しい事業がたくさんあった。

木村社長:今さらと言われるかもしれないが、「セシルマクビー」がピークのときに、僕も「こんなことはいつまでも続かないな」と思っていた。あのときはあまりにも異常だった。それ以外の事業を準備していかなければと思い、「セシルマクビー」の卒業生向けの「ビーラディエンス」を作ったり、大人向けの「ソフィラ」や、M&Aで「ナイン」「デイシー」や「スタニングルアー」をグループ傘下に入れて、テイストや客層の幅を広げようと努力もしてきたけれども、結果として何が生き残ったのかというと…。

――フレンチカジュアルの「クーカイ」(KOOKAI)の日本での総発売元として店舗展開したこともあった。

木村社長:ありましたね。

――郊外型ショッピングセンターなどで展開した「セシルデイズ」も伸び悩んだ。

木村社長:郊外向けの、広い意味でのライフスタイル型ブランドを目指したが、あれも短命で終わった。今振り返ったら、「セシルマクビー」との距離感が難しくて、担当者たちの間でコンセンサスがとれなかったという事情もあった。狙いそのものは間違っていなかったと思うが、残念だ。

――業界全体でオーバーストアという問題もある。

木村社長:ショッピングセンターも店もブランドも、最近は商品の点数自体も過剰だという話になっている。お客さまが変化して、自己表現が衣料品だけではなくなっている中で、衣食住のバランスをとるようなことも必要だし、商業施設自体も淘汰される時代になると思う。穏やかになだらかに変化が起こって来ていたものが、新型コロナによって変化がドラスティックになった中での判断だ。

――ちょっと聞きにくいのだが、テレビ番組の「ガイアの夜明け」で外国人技能実習生の労務問題でやり玉に挙げられたことがあった。事業への影響はあったのか?

木村社長:番組自体の影響や、実害みたいなことはなかったと思う。ただ、僕もあれからこの問題は大事なことだからと、逆にいろいろと調べたり発信したり、経産省の課長とも相談させてもらったりもした。僕の基本的なスタンスは、少子高齢化になる日本はこれから外国人の方々に気持ちよく働いてもらわないと成り立たない状態になっているのでルールをきちんとつくり、喜んで学んだり働いたりしてもらえるようにしないとダメだというものだ。これは個々の企業で手に負えるものではないし、とくに繊維業界はものすごく細分化していて、号令をかけられる人も、かけられる機関もない。だから行政に旗を振ってもらい、業界全体で何とかしようと動いてきた。テレビなどで取り上げているような、すごく悪い縫製工場が悪徳弁護士と組んで酷いことをしているケースなどは、少数だけれどあることは事実だ。きちんとした法制度で網をかけるなど指導していかないと是正されない。対策を打ち、今年は効果測定をするタイミングだったが、新型コロナの影響で、技能実習生が来られない、来ても帰れないという状態になり、動きが止まってしまった状態だ。

――今後のスケジュールは?

木村社長:デベロッパーに正式に申し入れをしたのが5月なので、半年以内に撤退、ということで11月末までにほぼ全店舗の営業を終了する。ただし、よその会社も同じだと思うが、この秋の商況は厳しくなると計算しているため、ここまで来たらできるだけ早くやめたい。デベロッパーとしても撤退は2月、8月が好ましいということもあるので、4分の3は8月末でクローズすることになるだろう。最後の在庫処分は年内はECで販売し、長くても来年1月の福袋で売り切り、2月決算を迎える予定だ。

――改めて、今の気持ちを。

木村社長:あのキラキラしたセシルマクビー時代が終わって、ニューノーマルの時代が始まる。それに合わせた事業展開をしていくつもりだ。そして、従業員の再就職にもできる限り力を尽くしていきたい。

木村達央ジャパンイマジネーション会長兼社長(2007年撮影)
木村達央ジャパンイマジネーション会長兼社長(2007年撮影)

木村達央(きむら・たつお)会長兼社長/PROFILE:1948年10月22日生まれ。東京都出身。71年に学習院大学経済学部を卒業後、三菱商事に入社し、機械管理部や化学品管理部で経理を担当。76年、大蔵省出身だった父が起業・経営するデリカ(現ジャパンイマジネーション)に入社。銀座コア店や新宿ペペ店などでの店長を経て、83年取締役営業部長、85年専務、88年には代表取締役専務となる。90年に社長に就任。2010年に代表権のある会長に就くが、16年に社長に復帰。スタニングルアーの取締役も務める。

ファッションビジネス・ジャーナリスト、クミコム代表

「日本繊維新聞」の小売り・流通記者、「WWDジャパン」の編集記者、デスク、シニアエディターとして、20年以上にわたり、ファッション企業の経営や戦略などを取材・執筆。「ザラ」「H&M」「ユニクロ」などのグローバルSPA企業や、アダストリア、ストライプインターナショナル、バロックジャパンリミテッド、マッシュホールディングスなどの国内有力企業、「ユナイテッドアローズ」「ビームス」を筆頭としたセレクトショップの他、百貨店やファッションビルも担当。TGCの愛称で知られる「東京ガールズコレクション」の特別番組では解説を担当。2017年に独立。著書に「ユニクロ進化論」(ビジネス社)。

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