悲しみと怒りを呼ぶ、朴元淳ソウル市長の死
9日、家族による捜索願いが出され、日が変わる0時ころ公館裏手の北岳山で遺体となって発見された朴元淳(パク・ウォンスン、64歳)ソウル市長。
捜査にあたったソウル市警は「死者の名誉のため」詳しい死因は明かしていないものの、「他殺ではない」としていることから自死を選んだものと見られる。
突然の失踪、そして遺体発見。韓国で起きた現役ソウル市長であり、かつ献身的な市民運動家の死は、その死の原因とも相まって大きな悲しみと怒りを社会に巻き起こしている。
●人権弁護士から市民運動家、そして政治家へ
1956年(55年とも)、慶尚南道昌寧郡に生まれた朴氏は、名門の京畿高校を経て1975年ソウル大学に入学した。すぐに当時の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の独裁に反対する民主化運動に参加し、4か月間投獄された後で大学を除籍となった。
その後、檀国大学史学科に再入学するかたわら、1980年に司法試験に合格した。司法研修院の同期(12期)には、文在寅大統領や、韓国随一の人権弁護士として活躍した趙英来(チョ・ヨンレ、1990年没)氏がいた。
朴氏は検事として任官するもすぐに辞め、人権弁護士の道を歩む。当時、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領による軍事独裁政権下で、民主化運動にかかわる「時局事件」の弁護を積極的に受け持った。1988年に結成され今も韓国社会の問題を鋭く問う『民主社会のための弁護士会(民弁)』のの発足メンバーでもあった。
その後、積極的に市民運動の世界に入る。
1994年には今も韓国一のアドボカシー(政策提言)NGOとして影響力を持つ『参与連帯』の立ち上げに参加した。さらに事務局長を7年にわたり務め、同団体の基礎を築いた。特に2000年の総選挙で行った、民主主義や人権に反し不正腐敗の疑いがある候補者を厳しく批判する「落選運動」は大きな話題を呼んだ。また「小額株主運動」を通じ、財閥への監視を強める成果も残した。
2001年には『美しい財団』を作り、2010年まで代表を務める。これは過去の政策提言運動に比べ、より市民に近づくもので、韓国の寄付文化の裾野を大きく広げた運動として今も高く評価されている。さらに2006年には政策提言からその実現までを受け持つ新たな形態のNGO『希望製作所』を立ち上げた。
そして2011年にソウル市長の補欠選挙に立候補し、当初は圧倒的劣勢となるも途中、安哲秀(アン・チョルス)候補の「譲歩」により当選する。ソウルの革新を掲げる施政が市民に評価され二度の再選を果たし、任期を22年6月まで残していた。
●市民社会に与えたショック
このように、亡くなった朴元淳氏は著名政治家でもある以前に、韓国市民運動の歴史に輝くスーパースターであり「伝説」といっても差し支えない足跡を刻んだ人物だった。市長となってからも、市庁裏に市民団体が自由に使える建物を別途設けるなど、市民運動への協力を惜しまなかった。
私も2005年から2009年まで韓国ソウルを拠点に「人権に基づく開発」を掲げたNGOを運営してきたが、上記の『美しい財団』から資金援助を受けた経験がある。
さらに、『参与連帯』との北朝鮮の人権状況をめぐる討論会に参加するなど、あちこちで朴元淳氏の存在を感じていた。より直接的に表現するならば、市民運動に「成果」を残したという意味で同氏は私にとって大先輩であり、尊敬するロールモデルでもあった。
その薫陶を受けて今も市民活動を続ける人たちは多いため、ショックは大きいだろう。筆者の見た範囲でも、フェイスブックなどに哀悼の意を表明する市民運動家が少なくない。
今も現役でバリバリと市民運動を行うある40代の女性活動家は「90年代中盤からほぼ5年単位で新たな形の団体を作るほどに、朴元淳氏が韓国の社会運動の現代化に与えた影響は強力だった。彼が外の世の中を考えると同じくらい、自身の内面をも見つめられていたらという、惜しい気持ちを禁じ得ない」と筆者の電話インタビューに答えた。
10日、『参与連帯』は「驚きのある痛ましい知らせに、悲しみと衝撃を禁じ得ない。故朴元淳市長の冥福を祈り、遺家族に深い慰労の言葉を伝える」と声明を出した。
●身勝手さへの怒り
同日夜、韓国のテレビ局『SBS』は朴元淳市長からセクシャルハラスメントを受けた女性が、亡くなる前日の8日に警察に告訴状を提出した事実を報じた。ソウル市警も「訴状の中身は明かせない」としながらも、この事実を認めている。
韓国紙『ハンギョレ』によると、8日夜、ソウル市では幹部が集まり対策会議を開き、市長職の辞任などを含める今後の対応が協議されたという。この場に朴市長はいなかったとはいえ、前日まで公務をこなしていたことからも、自死の引き金がこの一件にあったと見るのが妥当だろう。
『SBS』の報道では「2017年から継続に被害に遭った。性的なメッセージも送りつけてくることもあった。別の被害者も多い」という被害女性の訴えを伝えている。
今回の朴元淳市長の自死が「悲報」で済まされない理由はここにある。
10日未明、ソウル市警は「被疑者死亡により公訴権が消滅し、捜査は終了」と発表とした。つまり被害女性の訴えはこのまま明るみに出ず、訴えが事実である場合に償うべきだった朴市長の罪は永遠に問われないことになる。
こうした事実について、インターネット上では怒りの声が相次いだ。
「被害者に対する謝罪と反省、法の審判を受けることよりも、本人が築き上げてきた世界が先だったのか。なぜこんな極端な方法で別の暴力を加えるのか」、「朴元淳市長は結局、本人がした事に対する反省も謝罪もなく、この世を去らなければならなかったのか。無責任の極致だ」と厳しい。
実は朴市長は、1993年に韓国初のセクシャルハラスメント裁判の弁護団に無報酬で参加し、5年以上にわたる闘いを勝利に導き、セクシャルハラスメントの認識を韓国に根付かせるのに貢献した経歴がある。
2019年には韓国女性が直面する性差別を描いたベストセラー『82年生まれ キム・ジヨン』を読み「私はフェミニストだ」という発言もあった。捜査が進む場合、こうした社会的な印象とかけ離れた実像が明らかになる可能性もあった。
ツイッターではまた、自身は何の落ち度もないのにもかかわらず、はからずも今回の出来事の「引き金」となってしまった被害女性への連帯を呼びかけるハッシュタグも盛んに共有されている。
特に、メディアや朴元淳や与党の熱烈支持層による個人情報暴露などの動きに結びつかないか、注意が必要な状況だ。
●やりきれない思い
盧武鉉(ノ・ムヒョン、09年)元大統領、魯会燦(ノ・フェチャン、18年)正義党議員、そして朴元淳市長…ここ10数年で名だたるリベラル政治家が自死を選んだ。3人を一概に論じることは難しいが、自身と自身が信じて実行してきたものの名誉を守るために自死を選ぶ傾向があるように思える。
フェイスブックで人気を集める韓国の事業家は、故朴元淳市長の死の報に「どんな過ちがあったのかは明らかになっていないが、その功は明らかだ」と書いた。筆者もこの見方に一面で同意する。それだけに自らの過ちと向き合い、生を全うしてほしかった。
筆者は昨晩に行方不明の一報に接した後、いてもたってもいられず、ソウルの捜索現場や朴元淳市長の公館などを数時間にわたり歩き回った(一連の動きは下に貼り付けたツイートをたどると見られる)。
一晩明けた今も筆者の胸には「生きて罪を償うべきだろう」という怒りと、社会に尽くしてきた偉大な市民を失った悲しみが同居している。そしてこれこそがおそらく、韓国を包むやりきれない空気の正体でもある。葬儀は今日から5日間にわたって行われる。