ネット沸騰の「謎の大観音」捜索劇。感動秘話と投稿者の意外なホンネ
「謎の大観音」の投稿者は実は筆者の友人
たった1枚の写真から約80年前に建てられた大観音の正体が判明―! 先日、ネットをにぎわせた謎の大観音捜索大作戦。ツイッターユーザーの集合知によって真実にたどり着いた壮大な謎解きゲームは、解明の報がYahoo!のトップニュースになり、さらに当日のNHKニュースにも取り上げられるなど話題沸騰しました。
今回主役となった大観音の写真の投稿者、つるまさんは実は筆者の友人。しかも、コンクリート仏像つながりの交友相手なのです。
ネットユーザーの集合知が結集した壮大な推理合戦が展開
さて、あらためて大観音捜索の過程をおさらいしておきます。12月1日、つるまさんがツイッターに1枚の写真を投稿します。林を背景に建てられた巨大な観音像とそれを取り巻く大勢の人々。「この観音像が撮影された場所、年代を探しています。どこにあった(ある)ものなのか、全く不明なのです。年代は昭和初期~20年代と推定されます」。
ここからユーザーによる壮大な推理合戦が展開されます。
「参加者のほとんどが和装だから明治から新しくても昭和一桁のような気がする」「国民服や軍服が見えないので戦前なのは間違いない。ソフト帽の形状からおそらく1930年代前半」「スコップが明治~大正のものではない。持ち手があるから昭和」「僧侶の袈裟の形から禅宗のお坊さんのように見える」「写っている人の身長から観音像の高さを推測すると10m前後」「背景の植物はクロマツ、シロダモ、シラカシのよう。西日本の海岸沿いの植生と思われます」・・・。
服装、道具、宗教、さらには植生まで、多様な分野の知識が総動員され、話題があちこちへと広がりつつも真実へ向かって心がひとつになっていきます。
一件の投稿に解明の糸口が。そして感動のクライマックスへ・・・!
膨大な投稿をひとつひとつ丁寧に検証していったつるまさんは、ひとつの投稿から解明への糸口を見つけます。『観音の霊験』(昭15)という資料に、つるまさんが像の作者だと推測する福崎日精(ふくざきにっせい)に関する記述があるとの情報を得、そこにその仏師の師匠が「九州青ヶ島に滞在した」という一文を見つけ出したのです。
これはどうやら長崎県松浦市の青島のことらしい。つるまさんが直接問い合わせると、ほどなく島のまちおこしに携わっている人からこんな連絡が返ってきました。
「本日、島で確認をしてまいりました。ほぼ間違いなく青島の子安観音であると思われます。写真を見て“これ、たぶん爺ちゃんだわ”という方がいらっしゃいました」(要約)。
ついに解明された巨大観音の謎! 昭和9年に長崎県松浦市・青島に志佐鳳州(しさほうしゅう)氏が企画して建立された高さ16mの子安観音だったことが明らかになったのです。最初の投稿からわずか4日後、12月5日のことでした。
残念ながらこの観音像は昭和60年の台風で損壊、撤去され、現在は2代目の観音像が建立されているとのことでした。
「ネットの底力を見た!」「感動した」。ネットではこの歴史ミステリーの解明劇に、感動や賞賛のコメントが殺到し、さらなる盛り上がりを見せました。不特定のユーザーたちがひとつの目的に向けて知識や情報を惜しみなく提供した知的ゲームは、SNSのポジティブな方向へ注がれた時のパワーをあらためて知らしめることとなりました。なおかつたどり着いた先が人口200人余りの小さな離島で、島民たちが地元の史跡に光が当たったことを喜んでいる、というエピソードも、関心を持った人たちの心に温かいものを運んでくれました。
回答を導き出した第一投稿者の探究スタイル
さて、ネットユーザーの温かで熱意ある協力の集大成で解明にいたった今回の大観音捜索でしたが、決め手となったのはやはり第一投稿者であるつるまさん自身の分析・考察力でした。昭和の時代に活躍した福崎日精というコンクリート仏師にかねてより注目し、さらに『観音の霊験』という戦前の文献の存在まで知っていたからこそ、多くの情報を正解に向けて収れんさせることができたのです。
古い資料を徹底的に洗い出す。つるまさんのこのアプローチは、実はこの大観音捜索でたまたま発揮されたものではありません。彼のブログ『コンクリート像を見にゆきます(仮)』を読めばわかるのですが、これは几帳面で粘り強い日頃からの探究スタイルなのです。
筆者とつるまさんの交友は、私が主宰として2009年から行っている浅野祥雲(あさのしょううん)作品再生プロジェクトがきっかけです。昭和の時代におよそ800体ものコンクリート彫刻を作った故・浅野祥雲の作品を修復するボランティア活動に、彼も4年ほど前から参加してくれているのです。
つるまさんは愛知県内に住む公務員で、自身の地元にも浅野祥雲作の巨大仏があることから、独自の調査を始めることになります。昭和初期の古い新聞記事などを見つけ出し、さらには未発見の作品を探り当てるなど地道な調査によって、私の推測の域を脱しない研究の粗を埋め、揺るぎない史実で肉付けしてくれているのです。
つるまさんが追い続ける謎のコンクリート仏師
そんな中でつるまさんが着目したのが、浅野祥雲と並ぶもう1人のコンクリート仏師、福崎日精でした。福崎日精も祥雲と同じく明治生まれで、初代びわこ大仏(昭和12年)、新潟市の巨大弘法大師像(昭和40年代)など多数の巨大仏を作り遺しながら、その生涯は謎に包まれています。今回謎が解明された青島の巨大観音像も、現地で音頭をとったのは福崎日精だったのではないか、というのがつるまさんの推理です。昭和の文化・美術史の中でほとんど存在を知られていない幻の仏師の存在をつかんでいたつるまさんだったからこそ、謎の大観音の答えが導き出されたことは間違いありません。そもそも大観音の写真も、彼が福崎日精の足跡をたどる調査の過程で、滋賀県の寺の住職から写しをもらったものだったのです。
“時の人”つるまさんにインタビュー。意外なホンネとは?
一躍時の人となったつるまさんですが、今回の一件についてどんな感想を抱いているのでしょう? 尋ねてみると、意外な事実と思惑、そしてさらなる抱負が返ってきました。
「実は大観音の写真は1年前にもツイッターにアップしているんです」
何と!今回の騒動でネット上を駆け巡った写真は初出ではなかったとのこと。その時は250リツイートほどあったものの核心には迫れず、迷宮入りも止む無しという結果だったそう。1年たって再び情報を呼びかけた背景には、ある環境の変化があったといいます。
「11月にアメリカ人・モージャー氏が撮った戦後の日本の風景写真の情報をアップしたところ、国会図書館のデジタルライブラリーで公開されているものにもかかわらず“第一発見者”のように扱われ、1万件を超すリツイートがあり、フォロワーも200人程度から一気に1000人以上増えたんです」
再投稿の裏には、フォロワーの急増があったのです。さらにこのチャンスを活かすため、つるまさんはある策を講じます。
「あえて写真の入手経路などはふせて情報を最低限しか明かさず、みんなに想像を膨らませてもらおうと考えました」
思惑通り、謎めいた問いかけによって多くの人の興味を引きつけ、情報は爆発的に拡散したのでした。
大観音捜索を「楽しく、うれしかった」とふり返るつるまさんですが、今回の謎解きは「大観音の疑問はゴールできたけど研究の副産物に過ぎず、自分にとってはまだ全然ゴールじゃない」といいます。
「福崎日精は昭和の時代に10~20m級の大仏をボコボコ建てた人なのに、誰もその存在を知らない。彼の足跡や遺した作品を明らかにすることがひとつのゴール。同時期に活躍した浅野祥雲とのかかわり、さらに(祥雲の活躍の舞台だった)名古屋の産業界とコンクリート大仏のつながりも解き明かしたい。コンクリート仏像の時代的な存在価値を証明して、最終的には私の地元にある祥雲作と思われるコンクリート巨大仏による地域活性につなげたいんです」
昭和のミステリーの捜索劇はまだほんの序章というわけです。それでも「正当に評価されていないコンクリート仏像のすごさや時代的背景に、多くの人が気づいて共感してくれたのが何よりうれしい」というつるまさん。実をいうと、筆者にとっても、つるまさん自身がそういう存在です。身近な歴史や文化の面白さが1人1人の興味や好奇心がつながることで掘り起こされる。今回の痛快で感動的な“合同歴史発掘”がそのひとつのきっかけになれば、こんな愉快なことはありません。