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ルポ「ヘブロン――第二次インティファーダから20年――」(第2回)

土井敏邦ジャーナリスト
ユダヤ人入植者の旧市街ツアーを警護するイスラエル兵。

【金網の中の住民】

 ヘブロン・ツアーをガイドするNGO「沈黙を破る」スタッフ、イド・イブンパズはシュハダ通りの沿道に並ぶパレスチナ人の家々の2階を指差し、参加者たちに解説した。

 「この地区にはパレスチナ人の50家族が暮らしていましたが、今は5家族だけです。パレスチナ人が住んでいるかどうか見分けるのは簡単です。洗濯物が干してあり、窓やバルコニーが金網で覆われているのは、まだ人が住んでいる家です。2000年の第二次インティファーダ以来、ユダヤ人入植者たちがパレスチナ人の家に向かって投石するために金網が張られたのです」

ユダヤ人入植者の投石や侵入を防ぐために、パレスチナ人の家のバルコニーは金網で覆われている。
ユダヤ人入植者の投石や侵入を防ぐために、パレスチナ人の家のバルコニーは金網で覆われている。

 ユダヤ人入植者たちの襲撃に怯え、金網の中で暮らすパレスチナ人たちは、どういう思いで、どういう生活を送っているのだろうか。住民の一人を訪ねた。

 ザレイハ・ムフタセブの家へはシュハダ通りからは辿りつけない。裏側の旧市街スーク側の入口から階段を昇って、2階のその家に入った。

 ザレイハは早速、シュハダ通り側の金網に覆われているバルコニーに私を案内した。金網の上には、拳ほどの石ころがいくつも転がっている。

 「入植者から投げ込まれたひどい『贈り物』です。2006年にここに移ってきたとき、誤ってシャッターを開けたままにしたら、入植者が家の中まで石を投げ入れていました」

 シュハダ通り側に面した金網の一部が直径20センチほど円形に窪んでいる。大きな石を道路側から投げられた跡だという。

 「金網を付ける前は、入植者がこの鉄棒を伝ってバルコニーに上って来たました。地上からとても近いんです。だからこの金網が、防御のためにとても重要なんです」

ザレイハのバルコニーを囲む金網は、大きな石の投石で一部が窪んでいる。
ザレイハのバルコニーを囲む金網は、大きな石の投石で一部が窪んでいる。

 ザレイハはいつもカメラを持ち歩いている。入植者の暴行をイスラエル警察に訴えるとき、警察は「証拠の写真はあるのか?」と訊く。入植者たちも、証拠写真を撮られて警察や裁判所に訴えられることを恐れる。「だから入植者たちは、カメラを見せると逃げていきます。カメラは私にとって大きな“武器”です」とザレイハは言った。

 「あそこに私の家の墓があります」と、ザレイハは金網越しに見える、シュハダ通りの反対側に広がる墓地の一角を指差した。「あそこに男性が動いているでしょう?あそこです。道路を横切れば 30秒ほどで行けます。しかし道路側に出ることができないため、一旦、パレスチナ地区に出て、ぐるっと遠回りしなければならず、45分ほどもかかってしまいます」

ザレイハの家の前にあるシュハダ通りと墓地。歩いて1分もかからない距離だが、遠回りして45分もかかる。
ザレイハの家の前にあるシュハダ通りと墓地。歩いて1分もかからない距離だが、遠回りして45分もかかる。

 なぜ入植者たちはパレスチナ人住民に暴行や嫌がらせを続けるのか。

 「私たちがここにいることを望まないからです」とザレイハは即答した。

 「私たちを、ここから追い出したいのです。それが狙いです。私たちに暴行を加え続けると、私たちが逃げていくと入植者は考えています。住民の中には家族や子どもたちのことを心配して、この地区をすでに逃れた家族もいます。家を維持するのが、以前よりずっと困難だからです。

 しかしここで暮らす私たちは、出ていくべき理由はありません。私は絶対に逃げません。ここは私の土地であり、私の家であり、私はここに住む権利があります」

ザレイハ・ムフタセブ。
ザレイハ・ムフタセブ。

 ザレイハは、ヘブロンを「H1」と「H2」に分割することを決めた「ヘブロン合意」(1997年)に調印したパレスチナ人の指導者たちに、激しい怒りを抱いている。

 「パレスチナ側の交渉団は、イスラエルと交渉する経験のない者たちでした。交渉のための地図さえ持っておらず、イスラエルが作成した地図に頼っていました。しかもそのパレスチナ人の交渉団長ハッサン・アスフールは、私の目の前で『初めてヘブロンを訪ねた』と言ったんです。私は『何ですって?初めてヘブロンを訪ねる人がどうして合意に署名ができるんですか!』と私は団長に言いました。すると団長は、『ヘブロンのことは、あなた以上に私は知っている。ビデオでヘブロンのことを十分知っている』と言い放ったんです。なんと馬鹿げたことか!」

 オスロ合意に対するザレイハの評価は辛辣だ。

 「オスロ合意は、私にとって『もう一つの占領』です。私たちがPA(パレスチナ自治政府)という自分たちの政府を持つことはいいことです。しかしこんな状態の政府ではありません。私たちの夢はいつも “独立”です。しかし私たちの指導者たちは、独立した決断ができません。イスラエルの決断や合意にパレスチナ側は『ノー』と言えないんです」

 「オスロ合意の内容を読み、ニュースも追っていました。しかしパレスチナ人にとっての“光”を見出せませんでした。『平和と土地との交換』と明記されていました。しかしどんな『平和(peace)』でしょうか。私は『和平(peace)合意』ではなく、『一片(piece)合意』だと言うんです。実際に私たちが手にしたのは、西岸のここの一片(piece)、 あそこの一片です。人びとは当初、オスロ合意をとても喜びました。独立して平和に暮らせると思ったのです。しかし真の平和が来るとは、私は一度も思いませんでした。とりわけ1997年にヘブロン合意でイスラエル軍の再配備がされた時にそれを痛感しました」

【入植者の“政治力”の誇示】

 「沈黙を破る」のヘブロン・ツアーをガイドするイドは、参加者たちをシュハダ通りにあるユダヤ人入植地の前に導いた。ヘブライ語と英語で書かれた広報看板の前に立つと、イドは、こう説明した。

入植者の看板の前で説明するNGO「沈黙を破る」スタッフ、イド・イブンパズ。
入植者の看板の前で説明するNGO「沈黙を破る」スタッフ、イド・イブンパズ。

 「これは入植者が作ったものです。英語とヘブライ語です。ここを通るのはイスラエル人と外国人だけだからです。

 この看板で、『西岸でパレスチナ人最大の街なのに、なぜこの中心街がパレスチナ人に放棄されたか』『なぜパレスチナ人が全くいないのか』を説明しています。

 『アラブ人がオスロ戦争(注・第二次インティファーダ)を始めたため、セキュリティー(安全保障)の理由で』『2000年9月の第二次インティファーダで、ユダヤ人がこの道路で攻撃されたため』と書いてあります。

 入植者たちの“神”を信じない世俗派のユダヤ人や非ユダヤ人に対して、『神が命じたから』というのでは説得できないことを彼らは知っています。だからもっと世俗的な言語を使って説得しなければなりません。人びとが一番、理解できる言葉は『セキュリティー』なのです。入植者が主張するのは『我われが望んで店を全部閉鎖したんじゃない。我われは西岸最大の街の主要なマーケットを閉鎖したくはないのだ。第二次インティファーダ、つまりパレスチナ人の暴力のために閉鎖を強いられているんだ。パレスチナ人が我われを殺そうとするから、防衛のために店を閉鎖しなければならないんだ』と言うのです」

 「この建物の向こう側は肉屋の市場でした。肉屋市場が閉鎖されたのは、1994年のゴールドシュテイン虐殺以後であり、2000年の第二次インティファーダ以後ではありません。店が閉鎖され、この地区が無人化されたのは、第二次インティファーダの前からだとわかっています。つまりゴールドシュテイン虐殺というイスラエル人によるテロの後であって、パレスチナ人のテロのためではないんです」

パレスチナ人が通行を禁じられているシュハダ通りを、入植者たちは自由に往来できる。ここはかつてパレスチナ人住民でごったがえする市場だった。
パレスチナ人が通行を禁じられているシュハダ通りを、入植者たちは自由に往来できる。ここはかつてパレスチナ人住民でごったがえする市場だった。

 「入植者は『セキュリティー』を入植地の拡張のために利用しています。

 私自身の兵役体験の実例をあげましょう。私が兵役でイスラエル北部のレバノン国境にいたとき、基地の中に大きな看板がありました。『君たちの主要な任務はイスラエル北部の国境を防衛することだ」と書いてありました。

 しかしここ西岸で兵役についたとき、基地の看板には『主要な任務は 入植地とそこに出入りする人たちを守ること』と書かれていました。つまり兵士たちは国境を守ることではなく、入植者を守ることが任務だったのです」

 イドはさらに参加者たちをシュハダ通りと旧市街のスークをつなぐ、現在は封鎖された道路の前に案内して説明を続けた。

 「この通りは、かつては人々や車が行き交う主要な中継道路でした。しかし今は封鎖され、もう中継道路ではなくなり、パレスチナ人は通れません。だから店を開く経済的な理由はなくなり、沿道のほとんどの住民は『H1』(パレスチナ人地区)に移りました。つまり旧市街の人口の半分は、もうここに住んでいません」

 「ヘブロンの入植地は3%でパレスチナ人側は97%なのに、なぜそんなに怖れるのかという意見があります。ここは、それが半分は嘘であることを示すいい場所です。

 たしかに入植地はヘブロン全体の3%です。しかし実質的な損害を考えると、パレスチナ人は3%以上の地域で損害を被っています。イスラエル人が入ることができないH1の中にです。800人の入植者を600人の兵士と警察が守っています。だから入植者1人あたり、1人の兵士と警官が守っていることになります」

賑やかだったかつての通りの写真を見せながら、シュハダ通り封鎖の実態を説明するイド。
賑やかだったかつての通りの写真を見せながら、シュハダ通り封鎖の実態を説明するイド。

 「旧市街スークには、あなたたち外国人は入れますが、私のようなイスラエル人は入れません。しかし入植者は入れるのです。彼らはそこで旧市街ツアーができます。大きな政治力を持っているからです」

 「とても興味深い、兵士の証言があります。イスラエル人が入れないはずの地区で、入植者がどのようにツアーをやるかの証言です。

 入植者は休日、特に『仮庵祭』や『過ぎ越しの祭り』などユダヤ教の祭日の時にツアーをやります。そのために厳重な兵士の警護が必要です。一例をあげましょう。ゲートを開け、入植者を旧市街に入れる前に、兵士たちがその地区を立入り禁止にします。両側の通路を塞ぎ、車の通行を禁止します。そしてツアー予定地の周辺で、怪しそうなパレスチナ人を検査します。さらに2〜3人の兵士がパレスチナ人の家の屋上に上り、狙撃の場所を確保します。何かが起これば、狙撃兵がすぐに反応できるようにするためです。その後に入植者が入り、それを兵士たちが輪を作って入植者たちを囲み守ります。そのように入植者は兵士に守られ、旧市街やH1地区に入ります」

 「想像してみてください、入植者が兵士の輪で守られ、パレスチナ人地区を歩く様子を。 

 自分たちの存在を誇示し、誰がこの地区の“オーナー”かを示すのです。このツアーが入植者とパレスチナ人との軋轢を生み出していることは軍もわかっています。それが入植者や兵士たちの安全を脅かすとわかっていても、実行しなければならない。実際、パレスチナ人が入植者や兵士を攻撃したことがあります。

入植者の旧市街ツアーを警備するイスラエル兵。
入植者の旧市街ツアーを警備するイスラエル兵。
入植者たちはたくさんの兵士に守られながら、スークのパレスチナ人住民の中を練り歩く。
入植者たちはたくさんの兵士に守られながら、スークのパレスチナ人住民の中を練り歩く。

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入植者の旧市街ツアーを警備するイスラエル兵。
入植者の旧市街ツアーを警備するイスラエル兵。
ツアー中の入植者たちを取り囲んでガードするイスラエル兵。
ツアー中の入植者たちを取り囲んでガードするイスラエル兵。

 そのツアーは誰が最も“政治力”を持つかを示すためのものです。入植者は、旧市街でのツアーを決断する政治力があることを示すのです」

 「それは、軍と密接に関連しています。イスラエル軍ヘブロン地区の司令官や軍の高官たち、西岸の軍のトップには、二つの選択肢があります。イスラエルの最高裁判所に従うか、入植者の意思に従うかです。どちらを選ぶかの決断です。彼らは入植者を選びます。

 最高裁判所が、道路の通行制限を解放するように軍に命じてもです。法によれば、最高裁判所の判断は最も権威があるはずです。もちろん、それは入植者の推薦よりも優先されるべきです。

 入植者の提案は、私の提案と違いはないはずです。しかし実際は違うのです。つまり入植者は強大な“政治力”を持っているのです。ヘブロンや西岸の軍司令官はそれを理解しています。彼らは馬鹿ではありません。最高司令官など軍での昇進を目指すなら、最高裁判所より、入植者に従った方が有利なのです」

【注・写真はすべて筆者撮影】

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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