「美帆」を報じても起きなかった批判 京アニ放火事件の実名報道とやまゆりの実名発表の違い
障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺された事件の裁判を前に、犠牲者の遺族が名前を公表し、複数のメディアが実名を報じました。
いわゆる「実名報道」については、昨年も京都アニメーション放火事件で注目が集まり、警察に「実名発表」を求めた新聞やテレビが厳しく批判されました。
今回は遺族が「美帆は一生懸命生きていました。その証を残したい」と「実名発表」し、それをメディアが「実名報道」しました。これを批判する人は少ないでしょう。
では、どういうケースで「実名報道」が批判されるのか。
私はかつて新聞記者として事件報道を経験し、その後、アメリカのインターネットメディアの日本版編集長として様々な事例を見てきました。世界の事例やデジタル時代の新しい論点も含めてまとめます。
「実名発表」と「実名報道」は異なる
大前提ですが「実名発表」と「実名報道」は異なります。その上で、次のような論点があります。
- 「誰がなぜ『実名発表』するのか」
- 「誰がなぜ『実名報道』するのか」
まずは事件が発生して、報道機関が被害者の実名を報道するまでの流れを整理します。
警察が記者クラブで実名発表し、新聞やテレビが実名報道する
津久井やまゆり園の事件が発生したのは2016年7月。障害者を狙った大量殺人事件は大きく報じられましたが、その際、犠牲者の名前は匿名となっていました。
殺人事件の場合、警察が容疑者や被害者の名前を、その警察を担当する記者クラブで会見して「実名発表」するのが通常です。それを記者クラブ所属の新聞やテレビなどのメディアが「実名報道」する流れです。
やまゆり園の事件発生当初の報道で被害者の名前が匿名だったのは、警察が「家族の意向」を理由に実名を発表しなかったからです。
報道機関は警察だけではなく、関係者にも取材をし、被害者の名前を知ることもあります。しかし、被害者を取り違えたりすることがないように、公的機関からの情報を大切にします。いわゆる「裏取り」です。
なぜ「実名発表」するのか
「実名発表」がなければ「実名報道」はそもそも難しくなる。
ではなぜ、警察やその他の公的な機関は実名発表するんでしょうか。警視庁広報規定2条は、その広報活動についてこう定めています。
「警視庁に対する都民の印象、世論、態度などをより良くするため、民主主義の理念に基づき、警視庁の実態をあらゆる表現方法により都民に伝える活動」
また、広報活動実施要項第2の1にはこうあります。
「職員は、官公庁の運営や活動状況を正しく国民に知らせることが報道機関の使命であり、国民はそれを知る権利をもっていることを深く理解し、発表、連絡及び取材への協力に遺憾のないよう常に留意しなければならない」
つまり、民主主義の理念に基づき、国民の知る権利や報道機関の使命を深く理解して、自らの捜査に関する情報を広報する。容疑者や犠牲者は事件の捜査において重要な存在です。その名前はとても大きな意味を持ちます。だからこそ、警察は原則的に実名を発表しています。
2019年の京都アニメーション放火事件で京都府警が被害者の実名を発表したのも、こうした考え方に基づいています。
なぜ「実名報道」するのか
朝日新聞が社内研修用にまとめ、一般にも販売された「事件の取材と報道 2012」の冒頭には、事件を報道する理由が次のように書かれています。
「事件や事故、災害などが起きたときには、正確な情報をいち早く把握し、社会で共有することが求められます。事態にどう対処すべきか考える材料となり、原因や背景を知って予防や再発防止の手だてを考えるきっかけになります。隠された問題点を明らかにして検証することで、権力を監視し正義の実現を目指す意義もあるといえます」
その上で「実名報道の原則」として4つ挙げています。
- 基本要素(当事者の実名は事件の基本要素。人の尊厳や存在感を伝え、歴史に残す)
- 真実性の担保(実名は取材の出発点。取材で発表と異なる事実が判明することもある)
- 匿名による混乱防止(匿名によって犯人探しや疑心暗鬼が広がることを防ぐ)
- 権力監視(捜査機関などの恣意的な情報隠しや誤りがないかをチェックする)
これらの実名報道の原則とその理由は、世界中の多くの報道機関にとって当然のことだと受け止められているものです。その事例については改めて触れますが、ここでは実名報道の例外について説明します。
発表や報道が匿名になる「例外」
事件の被害者を支援するために2005年に策定された犯罪被害者等基本計画では、次のように定められています。
「警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を総合的に勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」
被害者の実名が広く知られ、世の中の関心を集めることで、被害者や家族ら関係者に重圧がかかることを防ぐための配慮です。
朝日新聞社でも、1990年8月5日付朝刊「読者と新聞 編集局から」において、匿名の範囲を広げることを読者に報告しています。
それまでは「未成年の容疑者」「精神障害のある容疑者・被害者」「参考人・別件逮捕者」「婦女暴行事件の被害者」「自殺・心中未遂者」「容疑者の家族」「刑期満了者」などについて多くを匿名にしてきました。その範囲を以下のように広げる内容です。
「微罪・軽過失事件の容疑者や、ひったくりのような単純な一過性の被害者で、実名が報じられることで当事者の不利益や迷惑が大きいと考えられるようなケースは、できるだけ匿名で報じることにしました」
さらに2004年には「被害者の再被害への恐怖」に配慮して、空き巣や強盗などの事件でも、被害者の匿名報道を個々のケースで判断することとしています。つまり、実名発表をする警察も、実名報道をする新聞も、被害者側への配慮から匿名のケースがありうるという考えでは一致しています。
では、両者が一致しないのはどこなのか。
実名と匿名を判断するのは誰か
先程紹介した犯罪被害者等基本計画の匿名発表に関する項目について、日本新聞協会や日本民間放送連盟は反対する共同声明を出しました。
「匿名発表では、被害者やその周辺取材が困難になり、警察に都合の悪いことが隠される恐れもある。私たちは、正確で客観的な取材、検証、報道で、国民の知る権利に応えるという使命を果たすため、被害者の発表は実名でなければならない」
この共同声明では、さらに次のように述べています。
「実名発表はただちに実名報道を意味しない。私たちは、被害者への配慮を優先に実名報道か匿名報道かを自律的に判断し、その結果生じる責任は正面から引き受ける。これまでもそう努めてきたし、今後も最大限の努力をしたいと考えている」
新聞もテレビもときには匿名報道が必要なことは認めています。ただし、実名にするか匿名にするかの判断は警察ではなく、報道機関がするべきであると主張しています。
報道機関が実名匿名を判断することへの批判
京都アニメーションの放火事件で批判が最も広がったのは、まさにこの「実名か匿名かは報道機関が判断する。警察は実名発表をせよ」という考え方であり、京都府内の報道12社が2019年8月20日に府警に対して実名公表を申し入れたときでした。
この点についてはライターのdragonerさんがYahoo!ニュース「【#実名報道】なぜ必要? 一貫しないマスコミの根拠、実名公開より「申し入れ」に反応したネット」でツイート数のデータをもとに指摘しています。
報道機関は「実名報道の責任」を引き受けているのか
批判の多くは、次のようなものでした。
- 大切にされるべきは遺族や被害を受けた関係者の意向
- 報道機関は被害者側の心情を無視してさらなるダメージを与えている
- 自分たちの利益のために実名を暴こうとしているだけではないか
3については、報道機関は利益のためではなく、事実を伝えることの重要性から実名報道の原則を守っていることはすでに説明しました。そもそも事件報道で得られる収入は「利益のため」と言えるほど多くありません。むしろ、大量の記者を投入することで大きなコストを払っているのが現状です。
問題は1と2です。警察の匿名発表を批判する新聞・テレビの共同声明では「被害者への配慮を優先し、その結果生じる責任は正面から引き受ける」と宣言したものの、本当にそうなのか。
そう思われていないからこそ、批判を受けたのではないでしょうか。そして、その後も実名報道について、読者や視聴者を納得させる努力を続けているようには見えません。
私自身が新聞記者をして現場を知っているからこその感想ですが、遺族や関係者への配慮は年々強まっています。丁寧な関係性を結ぼうと努力する記者たちもいます。
しかし、それでも報道全体として、読者からしてみたら、悲しみにくれる人たちに取材し、その名前を報じ、さらなる重圧をかけることに対して、理解を得られるレベルではありません。
見逃されたデジタル時代の論点
実名報道は世界中の報道機関の大原則ですが、デジタル時代には新たな論点も生まれています。
- ネットがこれだけ発達しているのに、警察の実名発表の場は従来の記者クラブのままで良いのか。
- ネットで情報が拡散し、検索され、アーカイブされる中で、実名を報じられることの影響をどう考えるのか。
これらについては改めて記事にします。
(追記)後編を公開しました。