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<医師の過労問題>医師の数を正確に把握し、抜本改革を!

柳原三佳ノンフィクション作家・ジャーナリスト
過労死はもちろん、医療事故にも直結する医師の過重労働。市民の側からも問題提起を(写真:アフロ)

 8月末、ラジオから親しい友人の声が聞こえてきた。

 この日、NHKジャーナルという番組にゲスト出演していたのは、中原のり子さん。

 1999年、東京都内の病院に小児科部長として勤務していた夫の利郎さん(当時44歳)を過労自殺でなくし、現在は、「東京過労死を考える家族の会」の代表として、過労死をなくすための活動を続けている女性だ。

 

 当時、全国的に小児科の廃止や小児科医のリストラが相次いで行われ、利郎さんが勤務していた病院でも小児科医が6人から3人に削減された。

 さらに、利郎さんは子育て中の女性医師に代わって、自ら当直を引き受けることも多々あり、32時間連続勤務を週に2回以上行うこともあったという。

「小児科医は僕の天職だ」

 そう言って、真剣に仕事に向き合っていた利郎さん。しかし、超過勤務で疲労は限界に達し、不整脈や高血圧、うつ病を発症。家族に遺書を書き残し、勤務先の病院の屋上から飛び降りて自ら命を絶ったのだ。

 私はのり子さんから、彼の残した遺書を見せていただいたことがある。

 育ちざかりの3人の子どもを残し、命を絶った利郎さんの無念……、こうした貴重な人材を守れなかった日本という国に、疑問と怒りを感じざるを得なかった。

 のり子さんはラジオでこう訴えた。

国は長い間、医師不足の問題にきちんと向き合ってきませんでした。医師を増やし、交代制勤務を行えるようにするべきです。また、病院ではタイムカードを使わず自己申告にもとづいた勤務管理が横行していますが、医師の過労死をなくすために、一般の労働者と同じレベルの法規制を適用してほしいのです」

 

親子二代で医療過誤被害に

                                               

 実は、私は親子二代で医療過誤の被害に遭うという経験をした当事者だ。

手術から10年後に発見され、筆者の体内から取り出された遺残ガーゼ
手術から10年後に発見され、筆者の体内から取り出された遺残ガーゼ

 1993年、私の実父(当時62)は、喉の痛みを訴え、県立病院の耳鼻科に通院していた。ところが通院から7日目、大量に吐血。出血性胃潰瘍と診断され、胃や小腸を切除する緊急手術を受けたが、救命救急センターから出ることのないまま亡くなった。

 原因は、過剰に投与されたステロイド等(ソルメドロール・ボルタレン)の副作用だったが、病院側からは納得できる説明がなかった。

 結局、民事裁判を起こすこととなり、父の死から6年後、私たち原告側の主張は認められ、高裁で逆転勝訴した。

 ところが、奇しくも父の裁判を闘っている最中に、もうひとつの医療過誤事件が私自身に忍び寄っていた。

 1995年、私は卵巣のう腫の手術を受けたのだが、そのときに使われたガーゼが、腹部に置き忘れられたのだ。

 時間と共に体内で大きな腫瘤となった遺残ガーゼ。腹痛や腰痛を訴えたものの、いくつもの病院に見逃され、やっと発見されたのは2005年、手術から10年後のことだった。

 私はまたしても、緊急の開腹手術を余儀なくされた。

 後に、一度目の手術時のカルテを見ると、そこにはしっかりと「ガーゼカウントOK」と書かれていた。

『ガーゼカウントOK』と明記された筆者の手術時のカルテ。1枚でも重大なミスに
『ガーゼカウントOK』と明記された筆者の手術時のカルテ。1枚でも重大なミスに

 それだけではない、入院中、私の病室を巡回した際の深夜の看護記録に「授乳中」と記入されていているのを見たときは、思わず背筋が寒くなった。私の娘は当時5歳。そもそも、私は出産で入院していたわけではないのだ。

 いったいこれはどの患者の記録なのか……?

 医療不信、まさに怒りの頂点に達していた私。

 しかし、当時の病院長は誠意をもって謝罪し、今回の事故を決して無駄にはせず、再発防止の取り組みを行っていることを説明した

 さらに、医師不足による医療崩壊の危機に瀕しているという深刻な話も赤裸々に語られた。

 ちなみに、このときの当該病院は、まさに医師の研修制度改変のあおりを受け、内科医が12人から2人に激減していくまっただ中だった。

 私は、院長自ら休む間もなく、深夜まで外来患者の診察に当たっているという過酷な現状を初めて知り、大きな衝撃を受けた。

 医療者が疲弊していては、結局、こうして患者に跳ね返ってくる。  

 医療を受ける側の市民として、患者として、何ができるだろう。もっと応援していかなければならないのではないか……。

 ふと気づくと、医療不信で悶々としていた苦しい気持ちは、いつの間にか過去のものとなっていたのだった。

過労死や医療過誤の防止は医師の環境改善から

 中原のり子さんは番組の最後に、こう語っていた。

医師だって人間であり限界があります。むしろ人の命に関わるため、責任が重く、緊張感とストレスの多い職業です。30時間を超える連続勤務、当直明けの医師に手術の執刀を願う患者はいません。いまも医師の過労自殺のニュースが相次いでいますが、1か月に160時間、170時間も時間外労働させるのは責任者の管理能力を問うべきです。1か月に80時間の時間外労働は過労死基準。医師も時間外労働の上限規制の適用が急がれるべきです」

欧米と日本で違う医師のカウント方法

 欧米ではリタイヤした医師などはカウントせず、実働する医師数をベースに医師の過不足等に関する議論がなされているが、日本では、医師免許を保持しているすべての人数をカウントしているという

 つまり、分母となる数は、実働する医師数よりかなり多いということになり、それをベースにこの問題を論じでも意味がない。まずは、日本で医療に従事する現役医師の数を診療科ごとに正確に把握し、医師が疲弊しないための対策を練るべきだ。

 その上で、医療者が抱える過酷な労働の現状や家族の声なども開示し、市民側に正確に、積極的に伝えてほしいと思う。

医療現場の窮状を語ってくださった医師・平井愛山(元院長)と講演会で語り合う筆者
医療現場の窮状を語ってくださった医師・平井愛山(元院長)と講演会で語り合う筆者

 私自身は、自分の医療過誤被害をきっかけに『地域医療を育てる会』というNPO法人で活動し、病院側の協力を得て夜間救急外来の現場を密着取材したことがある。たった一晩の体験だったが、医師の連続勤務がいかに過酷であるか身を持って痛感し、広報誌を通してレポートした。

 また、前出の院長とともに講演会でこうしたテーマについてディスカッションを行う機会もいただいた。

 敵対したり、一方的に依存しているだけではなんの解決にもならない。互いに歩み寄り、相手の立場を理解し対話することで、自分の行動もおのずと変わってくるものだ。

 今回、中原のり子さんのお話を聞き、市民の立場からも改めて声を上げていかなければならない、そう思っている。

ノンフィクション作家・ジャーナリスト

交通事故、冤罪、死因究明制度等をテーマに執筆。著書に「真冬の虹 コロナ禍の交通事故被害者たち」「開成をつくった男、佐野鼎」「コレラを防いだ男 関寛斉」「私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群」「コレラを防いだ男 関寛斎」「自動車保険の落とし穴」「柴犬マイちゃんへの手紙」「泥だらけのカルテ」「焼かれる前に語れ」「家族のもとへ、あなたを帰す」「交通事故被害者は二度泣かされる」「遺品 あなたを失った代わりに」「死因究明」「裁判官を信じるな」など多数。「巻子の言霊~愛と命を紡いだある夫婦の物語」はNHKで、「示談交渉人裏ファイル」はTBSでドラマ化。書道師範。趣味が高じて自宅に古民家を移築。

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