Yahoo!ニュース

日本人初のNFL選手を目指すUCLAの庄島辰尭

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
日本人初となるNFL選手を目指すUCLAの庄島辰尭(中央)(三尾圭撮影)

アメリカ4大スポーツで唯一日本人未踏のリーグ

 アメリカで4大スポーツと呼ばれるMLB(野球)、NBA(バスケットボール)、NFL(アメリカンフットボール)、NHL(アイスホッケー)の中で、唯一日本人選手が誕生していないのがNFLだ。

 今週末にはNFLの新人ドラフトが開催されるが、そこで日本人選手の名前が初めて呼ばれるのではと期待する日本ファンもいる。UCLAで2年間プレーした庄島辰尭の名前がNFLのドラフトで呼ばれれば、日本のスポーツ史に刻まれる快挙となる。

 しかし残念ながら、こちらの記事で説明したように庄島がドラフトで名前を呼ばれる可能性は高くない。それでもドラフトで指名されなくても、庄島がNFLを目指す姿勢には何も変わりはない。

今週のNFL新人ドラフトでUCLAの庄島辰尭(58番)が指名を受ければ日本人初の快挙となる(2017年9月、三尾圭撮影)
今週のNFL新人ドラフトでUCLAの庄島辰尭(58番)が指名を受ければ日本人初の快挙となる(2017年9月、三尾圭撮影)

これまでにNFLへ挑んだ日本人選手たち

 アメリカでは最も人気が高いNFLだが、日本では日本人選手が数多く活躍するMLBの人気がダントツで高く、大きく間を空けられた2番目がNBA。NFLはさらに引き離された3番目という位置づけでしかない。

 NFLが日本マーケットに力を入れていた1990年代には、「アメリカンボウル」というNFLのプレシーズンゲームが毎年夏に日本で行なわれていた。

 1989年に東京ドームで初めて開催されたアメリカンボウルは5万人の観衆を集めた。

 1996年からは出場2チームが日本人選手を特別にロースターに加え、3度出場した河口正史など10人の日本人選手がアメリカンボウルでベンチ入りを許された。

 また、NFLの海外普及と若手選手育成を目的に1991年にNFLが下部組織として創設したNFLヨーロッパ(創設時の名称はワールドリーグ・オブ・アメリカンフットボールで、1998年にNFLヨーロッパに名称を変更)では、リーグが解散する2007年までに10人の日本人選手がプレー。

 NFLヨーロッパはNFL歴代最高のキッカーと評されるアダム・ビナティエリ(現インディアナポリス・コルツ)や殿堂入りした名QBのカート・ワーナー(セントルイス・ラムズ他)などの偉大な選手を始め、何人もの選手をNFLに送り込んだが、日本人選手はNFLのキャンプに招集された例はあったが、ロースターには入れなかった。

 例えば、河口は2002年のアメリカンボウルで来日したサンフランシスコ・49ナーズの一員として、自身3度目となるアメリカンボウルでプレー。それまでの2回はアメリカンボウル終了後にチームを離れたが、このときはナイナーズと一緒にアメリカまで帯同して、アメリカ本土でのプレシーズンゲーム(オープン戦)にも出場した。2003年にもナイナーズのトレーニングキャンプに呼ばれたが、プレシーズン初戦前にケガをしてしまった。

サンフランシスコ・49ナーズのキャンプに参加した河口正史(2003年8月、カリフォルニア州にて。三尾圭撮影)
サンフランシスコ・49ナーズのキャンプに参加した河口正史(2003年8月、カリフォルニア州にて。三尾圭撮影)

 NFLに対抗するアメフト・リーグとして、プロレス団体最大手のWWEが2001年に創設したXFLでは山田晋三がプレー。2003年にはタンパベイ・バッカニアーズの一員としてアメリカンボウルに出場して、その後はNFLヨーロッパでもプレーした。

 NFLヨーロッパでリターナーとしての地位を確立した木下典明は、NFLヨーロッパが消滅した2007年にアトランタ・ファルコンズのキャンプに参加。翌2008年はファルコンズの国際練習生として1シーズンを過ごして、日本人選手としては最もNFL入りに近付いたが、ロースター入りとはならなかった。

アトランタ・ファルコンズのキャンプに参加した木下典明(2007年7月、ジョージア州にて。三尾圭撮影)
アトランタ・ファルコンズのキャンプに参加した木下典明(2007年7月、ジョージア州にて。三尾圭撮影)

 NFLヨーロッパがなくなってからは、日本人のNFL挑戦へのハードルはさらに高くなっているが、2013年には栗原嵩がボルティモア・レイブンズの新人ミニキャンプに招待された。また、2015年にはNFL主催のベテラン・コンバインにも声がかかり、コンバインでは良いパフォーマンスを披露したが、NFLチームから契約の話はこなかった。

NFLのベテラン・コンバインに参加した栗原嵩(2015年3月、アリゾナ州にて。三尾圭撮影)
NFLのベテラン・コンバインに参加した栗原嵩(2015年3月、アリゾナ州にて。三尾圭撮影)

 これまでに、河口、山田、木下、栗原の4人が「NFLに最も近い日本人」と呼ばれてきたが、現在その称号に最も相応しい選手は庄島辰尭だ。

 筆者は河口が参加した49ナーズのプレシーズンゲームも、山田が出場したXFLの公式戦も、木下が参加したファルコンズのトレーニングキャンプも、栗原が招待されたNFLベテラン・コンバインも全て身近で撮影してきたが、日本人がNFLの公式戦でプレーする姿を撮るという夢はまだ叶えられていない。

 その夢を叶えてくれそうなのが、ジオの愛称で知られる庄島だ。

日本人として初めてアメリカの強豪大学で公式戦出場を果たした庄島

 これまでの4人と庄島の最も大きな違いは、庄島がアメリカの大学でプレー経験がある点。それも大学フットボール界の名門、UCLAでプレーした。

 UCLAが属するパシフィック12カンファレンスは強豪チームが揃うリーグで、毎年何十人もの選手をNFLに輩出している。NCAA(全米大学体育協会)の強豪校はNFLヨーロッパよりもレベルが高く、そこで鍛えられてきた経験は何ものにも代えがたい。

 世界でも最も身体能力が高いアスリートが集うNFLだが、NFLで成功するには身体能力の高さだけでは十分ではなく、賢さも兼ね備えていなければならない。各チームが用いるプレーの数々が記されたNFLのプレーブックは電話帳ほどの分厚さがあると言われており、選手たちはその全てを理解することを要求される。

日本人アメフト選手として初めてアメリカの強豪大学で公式戦出場を果たした庄島辰尭(58番)(2017年10月、三尾圭撮影)
日本人アメフト選手として初めてアメリカの強豪大学で公式戦出場を果たした庄島辰尭(58番)(2017年10月、三尾圭撮影)

 NFLヨーロッパでは2年連続でオールNFLヨーロッパ・チームに選ばれるなどトップ選手として活躍した木下だが、ファルコンズでは英語力が高い壁となった。

 河口は小学校と高校でアメリカの学校に通っていたし、山田も小学校時代をアメリカで過ごした帰国子女なので、英語でのコミュニケーションには問題がなかった。

 小学校4年生のときにアメリカに移住してきた庄島は日本語と英語を自由に操る本物のバイリンガルなだけでなく、世界屈指の学業レベルを誇るUCLAで環境科学と地理学を専攻。成績も優秀で、文武両道のアスリートとして毎学期表彰されてきた。

 UCLAを優秀な成績で卒業する庄島を高待遇で迎え入れたいと願う企業は多い。それでも、庄島は高給が保証される大手企業への就職よりも、アメフト選手としての夢を追う道を選択した。

NFLスカウトも面白い存在だと注目する日本人アメフト選手、庄島辰尭に続く

関連記事:NFL挑戦に向けて大きな一歩を踏み出した庄島辰尭

関連記事:新人ミニキャンプは「呼ばれなくてはいけない」ものと庄島辰尭

スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

三尾圭の最近の記事