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ロシアのプロパガンダ放送を止めろ! 国境を越えた民主的な情報空間のために。宇宙のウクライナ戦争【3】

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
欧州評議会の議員メンバーらが本部前でデモ。ウ大統領が遠隔演説した2022年3月(写真:ロイター/アフロ)

※この記事は【1】【2】の続きです。

欧州議会は2022年11月23日、ロシアに対する新たな制裁の実行を求めた

ロシアによる国連憲章、ジュネーブ条約、欧州の協定などのすべてを無視した人権侵害(一般市民や捕虜すべて)を非難して、EUのテロ支援国のリストにロシアを追加することを検討するよう、EUの閣僚理事会に求めている。

さらにEUのパートナー国に対しても同様の措置を講じるよう求めた。

さらに、EUとその加盟国に対し、ロシアの包括的な国際的孤立を開始するための行動をとること(国連安全保障理事会も含まれている)、またいかなる公式会合の開催も控えることなども求めている。

アンドレ・ランジュさんは言う。

「欧州議会では、フランス国民議会(衆議院に相当)よりも、たくさんの対話が行われます。フランスの議会では、異なる政党の議員は、直接議論を戦わせます。欧州議会は、政党が違っても対話をするのです。ストラスブールでも、ブリュッセルでも同じです。このことは、あまりジャーナリストには知られていません。これによって、彼らは共に議論して妥協案を作成したり、他の政党からの興味深い提案を受け入れることができるのです」

フランス・ストラスブールの欧州議会・本会議で投票する議員の様子。2023年6月13日
フランス・ストラスブールの欧州議会・本会議で投票する議員の様子。2023年6月13日写真:ロイター/アフロ

暗殺された人たち

採択文では、具体的にロシアが国際的な決まりを無視した行為を挙げているのだが、実に印象的だったのは、その中にプーチン体制に反対したために暗殺されたジャーナリストや活動家、政治家などの名前を列挙していることだ。

どんなに孤独で、家族に累が及ぶのが心配で、勇気が必要な闘いだっただろうか。暗殺されてこの世から消えてしまっても、国境を越えて欧州の市民や議員たちは、彼らのことを忘れずに訴えてくれているのだ。

採択文で名前が挙げられた人々を、一部紹介しよう。

◎チェチェン戦争の報道で世界的に有名なアンナ・ポリトコフスカヤ(Anna Politkovskaya)。

7年間、数々の脅迫や暴力行為にもかかわらず、彼女は戦争報道を諦めなかった。

ロシア軍に逮捕され、模擬処刑を受けたこともある。2000年以降、数多くの国際的な賞を受賞。 2004年ロシアについての個人的な説明をした『プーチンのロシア』を出版した。

二人の子供の運命を変えたことを、悩み続けていたという。自宅アパートのエレベーター内で暗殺。48歳だった。

彼女はロシアの政治と社会情勢に批判的な調査報道を特集した露の新聞『ノバヤ・ガゼータ』で活躍した。同紙は現在、紙でもネットでも発行ができない。編集部はラトビアで『ノバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ』を発行中
彼女はロシアの政治と社会情勢に批判的な調査報道を特集した露の新聞『ノバヤ・ガゼータ』で活躍した。同紙は現在、紙でもネットでも発行ができない。編集部はラトビアで『ノバヤ・ガゼータ・ヨーロッパ』を発行中写真:REX/アフロ

◎人権弁護士のスタニスラフ・マルケロフ(Stanislav Markelov)

彼は弁護士として、1990年代以来迫害されてきた政治活動家や反ファシスト、ジャーナリスト、警察暴力の被害者らの事件など、多くの公表された事件に参加した。ロシア法治研究所の所長。

上記の暗殺されたアンナさんの代理人、野党を支持する新聞の編集者で激しく乱暴されたミハイル・ベケトフ氏、ロシアのユーリ・ブダノフ大佐によって殺害された若いチェチェン人女性エルザ・クンガエワの家族の弁護士を務めていた。

クレムリンから800メートル未満の所で、記者会見を終え帰る途中に射殺された。34歳だった。

◎露のネオナチ調査をしたジャーナリストのアナスタシア・バブロワ(Anastasia Baburova)

25歳で暗殺された彼女の活動は、街で韓国人学生がネオナチによって襲撃されたのを目撃したことが始まりだったと言われる。「ジーク・ハイル」と叫びながらの外国人襲撃だったという。

モスクワの工場「スメナ」の元豚肉工場労働者と、貧困にあえぐ旧ソ連国からの移民の立ち退きに反対する抗議デモに参加したため、刑務所で一夜を過ごしたこともある。

上述の『ノバヤ・ガゼータ』や『イズベスチヤ』で執筆していた。後者はソ連崩壊後は自由な報道で知られたが、2005年からはガスプロム・メディアが、2008年からはナショナル・メディア・グループが所有している。

掲げられた写真右上がマルケロフ弁護士、左のバンダナの女性がバブロワ氏である。二人は一緒に射殺された。写真は2012年1月19日、モスクワで行われた暗殺2周年の集会の様子。横断幕には「追悼」とある。
掲げられた写真右上がマルケロフ弁護士、左のバンダナの女性がバブロワ氏である。二人は一緒に射殺された。写真は2012年1月19日、モスクワで行われた暗殺2周年の集会の様子。横断幕には「追悼」とある。写真:ロイター/アフロ

その他、モスクワ郊外の都市ヒムキの政権を批判していたジャーナリストのセルゲイ・プロタザノフ(Sergei Protazanov)、チェチェンの人権侵害を調査したナターリヤ・エステミロワ(Natalya Estemirova)、司法と行政の巨額横領事件を告発した弁護士のセルゲイ・マグニツキー(Sergey Magnitsky)、「自由ロシア党」を結成し、登録1時間後に殺されたセルゲイ・ユーシェンコフ(Sergei Yushenkov)、汚職調査と反戦のジャーナリストのユーリ・シュチェコチキン(Yuri Shchekochikhin)などの名前が、欧州議会の採択で挙げられた。

これらはごく一部の人達に違いない。それでも、こんなに多くのロシア人が汚職や反人権行為、プーチン独裁体制に反対したために、まだ若いのに殺されている。彼らの思いを受け止めるのは、もはや安全な所にいる市民しかできないのだろう。

フランス国務院の判決

そして12月9日。フランスの最高行政裁判所である国務院の判決が出た。

国務院は、国境なき記者団の言い分を認めた。そして、規制当局アルコムに対して、記者団とドゥニ・ディドロ委員会の要請を拒絶した決定を停止すること、そして、記者団による要請を再考するように命じたのだった。

フランスの国務院。ルーブル美術館向かいのパレ・ロワイヤルの中にある。写真は、ミツバチを殺すネオニコトノイド系殺虫剤の禁止を緩和する政府決定の差し止めを求める抗議活動。2021年3月
フランスの国務院。ルーブル美術館向かいのパレ・ロワイヤルの中にある。写真は、ミツバチを殺すネオニコトノイド系殺虫剤の禁止を緩和する政府決定の差し止めを求める抗議活動。2021年3月写真:ロイター/アフロ

大変複雑な内容なので、以下、最も重要だと思えるところだけを説明する。

判決文の中で、国務院は「アルコムもユーテルサットも、係争中の番組を放送することによって、それを受信する視聴者に生じる可能性のある結果の現実、現状、および範囲について真剣に争っていない」と厳しく批判した。

そして、国務院が判決のために指摘したのは、EUの「視聴覚メディア・サービス指令(旧・国境なきテレビ指令)」のほうではなかった。EUにはロシアもウクライナも入っていない。

そうではなく、1989年に欧州評議会(※後述)の枠組みで結ばれた「国境なきテレビ欧州協定」のほうであった。

ロシアはこの協定に署名だけしていて批准はしていないが、ウクライナは締結国なのだ。

こちらにも、【2】で説明したようなEUの指令と同じような内容が第5条にある。

この欧州協定を締結していない国があったとして(ロシア)、その国の放送が、もし協定締結国の1国ででも受信されていれば(ウクライナ)、この協定の対象となる、というような内容である。

ロシアに併合されたウクライナ領土では、ロシアのプロパガンダ放送が受信されているのだ。それはディドロ委員会がつくった詳細なレポートに描かれている。

だから国務院の判決文では、アルコムの記者団の要請を却下した決定は、1989年「国境なきテレビ欧州協定」の第5条を無視しており、決定の合法性に重大な疑義を生じさせる、と述べたのである。

こうして、記者団が訴えた要請は認められた。フランスは管轄権があるということになり、アルコムは再考することを命じられた。記者団とディドロ委員会の勝利、反プロパガンダの勝利であった。

放送が止まった!

そして12月14日、アルコム規制当局は、ユーテルサットに対して、ロシアの3つのチャンネル、ロシア1、ペルヴィ・カナル、NTVの放送停止を決定、ユーテルサットは規定の7日以内に、これらの放送を停止した。

アルコムは発表の中で、これらは憎悪と暴力を繰り返し扇動し、また多数の情報の正直さの侵害を伴う、ウクライナ紛争を専門とする番組を放送していたとし、具体例を列挙している。内容は【1】で紹介したとおりである。

そして、ほぼ同時の12月16日、EUの閣僚理事会が、第9次制裁パッケージを決定。ロシアの3つのチャンネルに加えて「REN TV」が、制裁の対象となった。

国務院で争っている最中に、このEU側の動きは、フランスに伝わっていたようである。フランス国家とEU機関の二人三脚というべきだろう。

「民主主義のロシア」を夢見た時代

筆者は、1989年の欧州評議会による欧州協定が、ウクライナの市民を、そしてロシア市民をも救ったのだと考えている。

欧州評議会とは、1949年に設立された。EUとはまったく別の組織で、本部はフランスのストラスブールにある。

EUの前身となる「欧州鉄鋼石炭共同体(1952年設立)」や「欧州経済共同体(1958年)」よりも古い。

アンドレ・ランジュさんは、この欧州評議会に属する欧州視聴覚研究所(European Audiovisual Observatory)のディレクターだった。

「欧州評議会は、第二次大戦後につくられた、最初の欧州の組織なんです。欧州の人権を守るために、表現の自由のためにつくられました。反ユダヤ主義、人種差別・・・表現の自由は大きく制限されていました。そしてソ連の全体主義。これらは国の安全保障に関わる問題です。人権と文化に携わる組織で、かなり理想主義的でした。EUやNATOよりも、スタッフの数でも予算でも影響力でも、ずっと小さい組織ですけどね」

欧州評議会のロゴマーク
欧州評議会のロゴマーク

フランスのドイツ国境の近くの街、ストラスブールにある欧州評議会の本部。芝生の所に加盟国の旗が並んでいる。向こうの川はライン川の傍流。上下ともPhoto: Council of Europe
フランスのドイツ国境の近くの街、ストラスブールにある欧州評議会の本部。芝生の所に加盟国の旗が並んでいる。向こうの川はライン川の傍流。上下ともPhoto: Council of Europe

ロシアが欧州評議会に加盟したのは、ソ連崩壊後の1996年である。

フランスのミッテラン大統領の主導で、欧州評議会の機関として「欧州視聴覚研究所」がつくられたのは、1992年である。当時はケーブルテレビや衛星放送が登場し始めた時代だった。世界が、国単位の放送、国営や公共放送が中心の世界から、国境を越えた放送へと、大変化する時代だった。

「私はベルギーのリエージュ出身ですが、ベルギーはテレビ映画の国際流通が最も早かった国の一つだったのです。ケーブル放送が盛んな国で、フランス、ルクセンブルク、ドイツ、オランダ、英語のチャンネルを受信していました。そのため、私は非常に早い時期から規制問題に関心を持つようになったのです。1986年に博士論文を書き、先駆的な専門家になれたのです」

視聴覚研究所について「その使命は、経済的・法的な観点から、常に視聴覚部門を観察することでした。映画やテレビに関するこの発展が、どのように進展するかに関するレポートを作成するためだったのです」と説明する。

特筆するべきは、ロシアが、96年に欧州評議会に加盟するよりも前に、この視聴覚研究所に所属したことだ。

「欧州の33の国が集まって、92年に欧州視聴覚研究所は創設されました。ロシアは創設国の一つです。当時1割の予算を負担していました。少なくない額です。その数年前、ソ連最後の指導者、ミハイル・ゴルバチョフがストラスブールの欧州評議会の本部にやってきて、『欧州共通の家』構想を演説しました。当時は民主化したロシア、という夢があったのです」

ゴルバチョフ書記長はペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を実行した。東西の緊張は大いに緩和した。彼は、『欧州共通の家』演説の中で、(核による)抑止ではなくて抑制を訴え、欧州の発展を訴えた。

ゴルバチョフ氏の政策が無かったら、ベルリンの壁が乗り越えられることはなかったし、東西冷戦が終わりを告げ、民主化の波によってソ連が崩壊することもなかっただろう。

ゴルバチョフ書記長。特に現在のロシアではソ連崩壊の張本人として評価が大変低いが、西側からは一定の高評価を得ている。ライサ夫人と共に。1989年4月
ゴルバチョフ書記長。特に現在のロシアではソ連崩壊の張本人として評価が大変低いが、西側からは一定の高評価を得ている。ライサ夫人と共に。1989年4月写真:REX/アフロ

1989年11月9日、156kmに及ぶコンクリート製の壁「ベルリンの壁」は乗り越えられた。写真は11日、東ベルリンの国境警備隊がブランデブルク門の上から見守る中、デモ参加者がベルリンの壁を打ち破る様子
1989年11月9日、156kmに及ぶコンクリート製の壁「ベルリンの壁」は乗り越えられた。写真は11日、東ベルリンの国境警備隊がブランデブルク門の上から見守る中、デモ参加者がベルリンの壁を打ち破る様子写真:ロイター/アフロ

1991年3月、東京・赤坂の迎賓館で、訪日中のソ連のゴルバチョフ大統領と握手する海部俊樹首相
1991年3月、東京・赤坂の迎賓館で、訪日中のソ連のゴルバチョフ大統領と握手する海部俊樹首相写真:Fujifotos/アフロ

「当時は何の問題もありませんでした。モスクワでセミナーも行われました。連絡事務所もロシアにありました。研究所のロシア人専門家は、自由に選べたのです」

しかし、「人権問題に関するたくさんの訴えが、ロシア人から欧州評議会に送られました。ロシア人が一番多かったのではないか。ロシア政府は、常に人権問題で非難されて、不満だったと思う・・・」

昨年2月、ロシアはウクライナに侵略、2022年3月15日、欧州評議会でロシアの除名を巡る採決の実施を予定していた日、採決の数時間前に自ら脱退してしまった。

ロシア反体制活動家、アレクセイ・ナワリヌイ氏がロシアの人権侵害を訴えていたのは、この欧州評議会のメンバーで構成される欧州人権裁判所である。

それでも、ナワリヌイ氏がまだ生きている(らしい)のも、彼の動静が西側に伝えられることがあるのも、「ロシアは欧州の一員」として、この欧州評議会で築いてきたつながりと影響力が、残っているからではないだろうか。たとえ首の皮1枚だったとしても。

ヨーロッパ人もロシア人も「民主化されたロシア」を夢見ていた時代に結んだ、「国境なきテレビ」と呼ばれる欧州協定。このおかげで、ウクライナ人も心あるロシア人も、独裁政権による虚偽に満ちたプロパガンダ汚染から救われたのだと思う。

欧州視聴覚研究所の建物。アール・ヌーヴォー様式が美しい。Wiki.frより。Photo:Ji-Elle
欧州視聴覚研究所の建物。アール・ヌーヴォー様式が美しい。Wiki.frより。Photo:Ji-Elle

私事になるが、筆者は日本での学生時代、ロシア人や東ヨーロッパ人との交流をはかる大学のサークルに所属し、日露学生会議にもいた。

我慢強くて素朴で、温かく親切で、細かいことを「ニチェボー」と言って気にしない大らかなロシア人たちに大勢出会った。彼らは、大陸の人たちだった。

筆者はそんな彼らが、プロパガンダに毒されて、召集令状に従い軍隊に入り、その手でウクライナ人を殺すのが嫌なのだ。

知らない人間にも、騙される人間にも、お上に従順に従う人間にも、一定の責任はあるかもしれない。しかし、軍もメディアも掌握した独裁権力の国で、それに抗うことのできる人間は、どれほどいるだろうか。私達は、民主主義国家にいるのに、職場の上司にすら逆らえないでストレスを溜めているのだ。勇気ある人々への称賛は惜しみたくない。

しかも、衛星放送は、格差の問題もはらんでいる。

衛星放送が普及している所は、都市部以外の地方や田舎が多い。都市部ではケーブルテレビが発達しているからだ。そして、そういう所ではテレビが主要な情報源であり、召集令状が届くのも、そういう地域なのだ。

「ネットで情報を収集するのは、都会の若い人が多い。それ以外は、テレビが大きな位置を占めているのです」とランジュさんは言う。

国境を越えた民主的な情報空間のために

闘いはまだ終わっていない。

ユーテルサットはすべてのロシア発の放送を止めたわけではない。

チャンネルの一部は、アンゴラやアルメニアに、そしてアラビア語で放送され続けている。ユーテルサットはロシア子会社を持っており、ネットで配信されている。

ルクセンブルクの人工衛星の運営会社SES SAは、あのRT/ロシア・トゥデイすらインド・メキシコ・南アフリカで放送しており、EUの制裁を十分に尊重していない(EUでは、RT/ロシア・トゥデイもスプートニクも、開戦後の3月という早々に制裁の対象となった。RTは日本でも削除されている)。

他の国の衛星運営会社の問題もある。

また、ロシア正教会のチャンネルが2つあり、キリル総主教からのメッセージを放送、戦争を扇動し、戦争責任はウクライナの同性愛者ということになっているという。

EUの制裁は、運用の仕方は各加盟国に任されている。企業が率先して制裁に沿った形で活動をやめることはできるのだが、EU域外、ましてやロシアやウクライナの外だと、批判の目も届きにくい。

さらに、ネットの問題もある。ポータルサイトやウェブサイト、インターネット・プロバイダー・・・。

衛星放送運用会社であるユーテルサットに「我々は顧客に対して中立の立場で、コンテンツを判断する立場にない」と言われると、一定の説得力はある。出版における印刷会社のようなものだろうか。

しかし、同じことをフェイスブック社(現メタ社)やツイッター社(現X)は主張したが許されず、利用者の猛批判にあい、方針を変えたのだった。

ネットの難しさは、独自のものがある。

7月29日、プーチン大統領と南アフリカのラマポーザ大統領。両国の関係には衛星放送による露プロパガンダ放送が一役かっているかもしれない。サンクトペテルブルクで行われた露アフリカ首脳会談で。
7月29日、プーチン大統領と南アフリカのラマポーザ大統領。両国の関係には衛星放送による露プロパガンダ放送が一役かっているかもしれない。サンクトペテルブルクで行われた露アフリカ首脳会談で。写真:ロイター/アフロ

記者団とディドロ委員会には、もう一つの目ざす目標がある。「衛星の空き容量を利用して、ロシアに西側のメディアの声を伝える」ことだ。

こちらのほうは、まだまだこれからである。記者団とディドロ委員会は、現在こちらの課題に取り掛かっている。

ロシアの放送を止めさせることには、多くの支持が得られた。しかし、衛星を使って、ロシアへ自由で公正な放送を流すべきという両者の主張には、ロシアの放送停止ほどの賛同は、まだ得られていないようだ。

ランジュさんは、ある政治家の名前を出した。

チェコ人のヴェーラ・ヨウロヴァー氏だ。EUのデアライエン委員長を支える副委員長の一人である。

チェコの地域開発大臣を務めたのちに、EUの執行部である欧州委員会の委員(国の大臣に相当)となり、現在は価値・透明性担当委員を務めている。

ヴェーラ・ヨウロヴァー氏。2021年6月ルクセンブルクの総務理事会での記者会見
ヴェーラ・ヨウロヴァー氏。2021年6月ルクセンブルクの総務理事会での記者会見写真:代表撮影/ロイター/アフロ

ブリュッセルのあるカンファレンスのことである。ランジュさんは語る。

「質疑応答が始まったとき、私はヨウロヴァー氏にこう尋ねた。『ヨーロッパの衛星通信事業者についてどう思いますか』。すると彼女は次のように答えたのです。『それはスキャンダラスで、受け入れがたいことです。私たちはそれについて何かするつもりです』。そして彼女は、冷戦時代にラジオ・フリー・ヨーロッパを聴いていた当時のことについて言及し、ラジオ・フリー・ヨーロッパと同等のことをしなければならないと言ったのです」

ラジオ・フリー・ヨーロッパとは、アメリカ合衆国政府が資金を提供している放送である。冷戦期には、西側の情報をソ連の衛星国(東欧・バルト3国)に送ると共に、反共活動のメディアでもあった。

日本の第二次大戦期のヴォイス・オブ・アメリカ(アメリカの声)と似ているだろう。

ベルリンの壁が崩壊したとき、ジュローバ氏は20代だった。

1968年、社会主義体制の中での民主化を求めた「プラハの春」を、ソ連の戦車で踏みにじられた歴史を背負う国、チェコスロバキア。東西を分断する壁の向こう、東側のチェコで、彼女はラジオ・フリー・ヨーロッパを聞いて、西側に思いをはせていたのだった。

ランジュさんは語る。

「私にとって、それは一瞬の出来事でした。彼女が宣戦布告をするとは思っていませんでした。躊躇なく賛成したのは、彼女が初めてでした。EU執行部の一員でありながら、メディアの前で「はい」と答えるなんて、普通では考えられないことです・・・」と、大変感慨深い様子で語った。

1989年11月10日、東ドイツ国境の開通を祝い、ブランデンブルク門のベルリンの壁に登る東ドイツ国民。
1989年11月10日、東ドイツ国境の開通を祝い、ブランデンブルク門のベルリンの壁に登る東ドイツ国民。写真:ロイター/アフロ

確かにラジオ・フリー・ヨーロッパは、アメリカ側のプロパガンダだった。でも、「プロパガンダ」が、ある国家の主張で宣伝であると承知した上で聞くのなら、抑圧され自由がない国々には、西側の強力な電波と放送を必要とする人々がいるのかもしれない。

プロパガンダは決して報道ではない。そこを絶対に一緒にしてはいけない。

ただ、聞く側にとっては、プロパガンダが国家の宣伝と知り、少しでも警戒した上で聞くこと、内容を吟味すること、そして何より発信する側にとっては、それが唯一発信する情報ではなく、沢山あるものの一つにすぎず、選択の自由があり、強制力がなく批判が自由であることが必須である。それが西側と東側のプロパガンダの違いであり、東側は人心が離れて負けたのである。

「プロパガンダは、所詮プロパガンダだ」という意見には説得力があるのは認めるし、筆者も反対しないが、何事も十把一絡げは危険ではないだろうか。

個人的には、自由で公正なメディアをロシアに流すのは賛成だ。たとえ西側産でも「プロパガンダ」を流すのは諸手を挙げて賛成はできないが・・・。

ラジオ・フリー・ヨーロッパは最初は東ベルリン向け、ついでチェコスロバキア、東欧に放送された。ラジオリバティはソ連向けで、露語以外の各民族の言語でも放送。冷戦終了で両者は合併、現在本部はチェコのプラハ。
ラジオ・フリー・ヨーロッパは最初は東ベルリン向け、ついでチェコスロバキア、東欧に放送された。ラジオリバティはソ連向けで、露語以外の各民族の言語でも放送。冷戦終了で両者は合併、現在本部はチェコのプラハ。

EUは7月、ロシアとベラルーシから逃れ、EU内で活動している複数の独立系メディアを支える支援策を立ち上げた。

彼らは亡命先で、出身国に向けて真実を伝えようと努力し、本国で多くの視聴者を維持している。プロジェクトでは、EUの助成金が出ることになった。

7月18日、(今後2年間で)220万ユーロを超える援助金が与えられると、EU側が発表したのだ。

さらにEUは、域内で「欧州報道自由法(the European Media Freedom Act)」を実現することにも熱心だ。

この法律は、昨年9月に欧州委員会が提案したもので、公共財としての情報の原則を法律に明記しようとするものだ。

チェコがEU議長国だったときの、主要なテーマの一つだった。

チェコ人であるジュローバ氏は「ジャーナリストは、彼らの仕事のせいでスパイされるべきではありません。公共メディアをプロパガンダチャンネルに変えるべきではありません。これが私たちが今日初めて提案するものであり、EUにおけるメディアの自由と多元主義を守るための、共通の保護策なのです」と述べた。

また、彼女は「我々は、国家や政党の傾向のない、強力で独立した公共サービスメディアを維持するよう加盟国に警告する」という「正しいことをしている」と語った。そして、これらは「ポーランドやハンガリーで見られることだから」とも述べたことがある。

EUの規範をつくる力や影響力は大変大きい。「欧州報道自由法」は、法律という力と形になることで、EU内だけではなく、将来はロシアを含む周辺の欧州諸国や、他の地域にも影響を及ぼす可能性がある。日本にも、何かの影響は表れるかもしれない。

* * * * *

国境を越えた闘いは続いている。

日本では、RTニュースはいつのまにか消えたが、スプートニクは未だに続いている。

国境なき記者団が毎年発表する「世界報道自由度ランキング2023年版」では、日本は68位だった。

国境を越えた闘いどころか、国内の記者クラブ制度が排他的だと批判されている。記者団は、この制度は記者の自己検閲を誘発し、フリーランサーや外国人記者に対する露骨な差別を表していると主張している。

日本は言葉や地政学的なハンデが大きいから、ヨーロッパのようにはなかなか行かないとは思う。

しかし今、高まる緊張のなか、中露の隣国で、唯一の非西洋のG7先進国ということで、日本への期待が膨らんできている。

そんな状況下で、日本のメディア界や市民たちは、連帯しようとする欧米ジャーナリストや市民たちの期待に応えられるだろうか。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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