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「ガザからの報告」④「食料のない支援物資」(2023年11月27日)

土井敏邦ジャーナリスト
テント暮らしをする家族・両親と4人の子(撮影・ガザ住民)

【“寒さ”対策という新たな問題】

 今日で4日間の休戦期間が終わります。この3日間で、人道支援物資がラファから入ってきていますが、その支援物資が配布されるのは今のところガザ地区南部だけです。だからガザ北部には戻れません。イスラエルはガザ地区北部から住民を避難させたいからです。だから支援物資の配布は、ラファ市やハンユニス市、デイルバラ町が中心です。

 人びとは新たな危機に直面しています。着る衣服の問題です。冬になり、寒くなりました。避難してきた人たちはジャケットのような冬用の衣服もありません。毛布もないんです。 冬になり風も強くなりました。昨夜は雨が降りました。とりわけテント暮らしをしている人たちはどうやってこの状況の中で生き残っているのかわかりません。この寒さの中で冬服もなく暖房もありません。私には家があるけど、テントで暮らしている人はもっともっと苦しんでいます。

 毎日100台以上のトラックが入ってきています。戦闘の最中に比べられないほど、大量の支援物資です。

 しかし今、ガザ地区南部にはガザ人口の80%が集中しています。100万人以上が北部から避難してきたからです。だから南部町のスーパーなどに行っても、以前にあなたに報告したように、店頭はほとんどが空です。食料油やひどい食料だけです。野菜もない。だから食料危機はまだ続いています。

 ガザ北部最大のシェファ病院、インドネシア病院などガザ市内の7つの病院は閉鎖されたままです。ジャバリア難民キャンプやベトラヒヤ村などの病院もそうです。救急車や国際赤十字社の車によって北部から何百人という負傷者をイスラエルが移動させました。だから南部の病院は医薬品の危機に瀕しています。

(Q・支援物資は手に入りましたか?)

 私は一つだけ、支援物資の箱が手に入りました。その量は私の家にいる者には十分ではありません。

私の家には、私自身の家族5人と両親、きょうだいなど11人、さらに北部から避難してきた親戚など28人がいっしょに暮らしています。だから総勢39人です。彼らとその支援物資を分かち合わなければなりません。

(Q・39人に1つだけですか?)

 そうです。1つだけです。私が家に北部からの避難民が28人もいることを係官に告げたのですが、これを分かち合うように言われたんです。ほんとうに必要とするものがないのに。

 その「エジプト赤三日月社」という名前が貼られた箱を開けると、1リットルのミルクが入った瓶が2本、食用油、それにペットポトルの水6本、さらに少量の燃料だけでした。私たちは小麦粉や砂糖など食料品が入っていると期待したのですが、開けてみると、それだけでした。私には食べ物が必要なんです。だからがっかりしました。

 私たちはずっと、木切れを燃やして調理をしてきました。多くの人がその木切れの燃料を確保するために木を切り倒しています。墓地では全ての木が切られています。切った木を持ち帰り、調理の火を起こしているのです。道でもすべての木が切り倒されています。公園からも木が消えました。

 毎日4台の燃料トラックがガザ地区に運ばれてきています。だからこの3日間で燃料を積んだトラックは12台入ってきました。しかしこの大半のトラックはどこに行ったかわかりません。というのは、ガソリンスタンドに行っても、「ガソリンはない」と言われるんです。

 支援物資の中に食料がないために、買わなければなりません。店では棚が空なので、ブラックマーケットで買います。そこでは奪われた支援物資の食料が売られています。ハマスがトラックの支援物資の食料を奪い、ハマスと関係の深い商人に横流しし、それを販売させています。だからブラックマーケットが存在するんです。私たちはそこから食料を買わなければなりません。

 とても高いんです。1キロのジャガイモが2ドル半相当の値段です。1キロの玉ねぎが2ドル相当、モルフィーアは1キロが1ドル相当もします。その量では1食分にもなりません。だから食料を買うために、たくさんの金が必要になります。しかも食事は1日1食です。もちろん子どもたちが優先です。支援物資のビスケットも無料ではありません。買わなければなりません。少量のビスケットが0.5ドルです。だからビスケットを子どもたちに食べさせようとすれば、2~3ドルは必要になります。食べ物はみつかっても、高いんです。

医薬品も同じです。水もそうです。

 私の家で暮らしている28人の避難者たちは私たちにいくからのお金を支払っています。その避難者たちの家族や親戚がアラブ諸国など海外で働いていて送金しているのです。私は食料の買い物に出るとき、彼らが私についてきて、彼らは私たちの食料代を支払ってくれます。そのようにして私たちの家族のために支払っていれているのです。

寒い冬になっても、防寒服も毛布もないテント暮らしを100万人を超える避難民たちは強いられている。(撮影・ガザ住民)
寒い冬になっても、防寒服も毛布もないテント暮らしを100万人を超える避難民たちは強いられている。(撮影・ガザ住民)

【ハマスの支配はもうたくさん】

(Q・住民たちの心理状態、周囲の雰囲気はどうですか?)

 言うまでもなく、人々は疲れ切っています。この戦争が始まった当初は沈黙していましたが、しかし大多数の人々は道でもSNSでも自分たちの感情を口に出すようになりました。躊躇なくハマスを批判するようになりました。恐怖心もなく、です。「ハマスがガザを破壊した」と批判します。ハマスはパレスチナ人に新たな「ナクバ」(1948年のイスラエル建国によって、当地の先住民だったパレスチナ人が蒙った「災厄」。約60万人が故郷を追われた)をもたらしました。

 今までガザ地区の住民がすでに1万5千人が殺されました。瓦礫の下には約7000人が行方不明です。殺されているけど、遺体が発見されていません。だから本当の死者は2万人を超えています。これからもっと増えるでしょう。

(Q・この攻撃はどこくらい続くと思いますか?)

 この戦闘が終わるには、まだ何週も必要だと思います。1~2ヵ月はかかるでしょう。イスラエルの攻撃はとても「成功」しています。ガザ市内の60%がすでに占領され、イスラエル軍はガザ市東部からも侵入しようとしています。シャジャイーヤ地区やゼトゥーン地区などです。

(Q・住民はハマスに戦争を停止するように圧力を加えることはできないのですか?)

 もちろんできません。ハマスの現地部隊に指示を出す指導部はガザの外にいます。彼らが行動を判断しています。たとえば住民が「もう疲れ果てた。もう戦闘を止めてくれ!」と言っても、ハマスは聞かない。それは今に始まったことではありません。住民の声を無視するんです。住民の声など気にもかけません。

(Q・この状況の中で、絶望し自殺する住民が増えてくるのではないかと懸念しているんですが?)

 もちろんです。この戦争が終われば、多くの人が自殺するか、ガザを出ていこうとするでしょう。合法的にも非合法にもでもです。戦争が終わったら、必ず起きます。

(Q・もう50日が過ぎ、破壊されたガザ地区を観て、将来ガザ地区は再建できるでしょうか?)

 50日が過ぎ、ガザ市内など北部の全体のほぼ50%が破壊されました。戦争が長引けば、100%に近づくでしょう。ガザ地区南部の状況はそれより少しはましです。デイルバラ町やハンユニス市やラファ市などです。南部の破壊はガザ市など北部より少ない。それはまだ地上侵攻がないからです。ガザ市の破壊がひどいのは地上侵攻のせいです。空爆と戦車の砲撃で破壊されました。とりわけ戦車の砲撃による破壊は凄まじいです。

(Q・50日が過ぎたけど、ハマスは生き残れるだろうか?)

 ハマスはガザ市内や北部ではほとんど壊滅され、多くの指導者たちが殺されました。ジャバリア難民キャンプなどでです。中部の難民キャンプでも、アハマド・バハールというハマスの最高幹部の一人も殺されました。名前は公開していませんが、何千人というハマスの戦闘員も死にました。ジャーナリストによれば、ガザ北部にはたくさんの戦闘員の遺体があるとのことです。イスラエル軍がどこでもハマス戦闘員を殺しています。しかしハマスには政治部門は存在します。だから軍事状況だけではハマスが生き残るか判断できません。

 ネタニヤフ首相がハマスを本気でせん滅しようとしているのかどうか、わかりません。ただハマスの軍事部門は多くが破壊されたように見えます。

 ただ戦争が終わっても、ハマスはロケット弾などを保持していると思います。しかしその数は減少している。イスラエル軍はハマスの攻撃力を無力化することに成功しつつあるからです。

 しかし、戦争がどうなるか予想できません。ナタニヤフがハマスを完璧に破壊さるかどうかにかかっています。

(Q・しかしハマスの戦闘員が南部の住民の中に紛れ込んだら、全員をせん滅するのは困難になると思いますが?多くの一般住民を犠牲しなければならないからです)

 その通りです。イスラエルの政治家が言うように、「せん滅」はとても難しい作戦です。現在、南部の人口密度がとても高い。ガザ人口の大半が今、ガザ南部に集中しているからです。だからとても困難な作戦になるでしょう。

 その通りです。イスラエルの政治家が言うように、「せん滅」はとても難しい作戦です。南部の人口密度がとても高いからです。ガザ人口の大半が今、ガザ南部に集中しているからです。だからとても難しい作戦になるでしょう。

 それに北部でのイスラエル軍の作戦もまだ完了していません。ジャバリア難民キャンプを包囲し、さらに戦闘が起こるでしょう。ガザ市内だけではなく、ハマスはガザ市の東部にも存在します。シャジャイーヤ地区、ゼトゥーン地区などです。これらの地区はまだハマスが支配しています。そこにはハマスの戦闘員がいます。イスラエル軍はまだそこにはまだ地上侵攻していません。

 南部も侵攻するのは容易ではありません。避難民が道路や庭、空き地でテントに寝泊まりしているからです。だからそこに簡単に地上侵攻できない。徒歩で侵入するしかない。避難民のために南部はとても混雑しています。だからそこでの「ハマスせん滅」作戦はとても困難なのです。

破壊尽くされた街に住民が戻れる日が来るのか、それはいつなのか誰にもわからない。(撮影・ガザ住民)
破壊尽くされた街に住民が戻れる日が来るのか、それはいつなのか誰にもわからない。(撮影・ガザ住民)

(Q・この戦闘の後も、ハマスがガザ地区を支配する力が残ると思いますか?)

 私の答えは「イエス」です。ハマスに対抗する他の運動組織がないからです。ファハタはガザ地区では脆弱です。左派もそうです。イスラム聖戦はハマスの友好組織です。だからガザにはハマスに対抗できる組織はありません。だからハマスは戦後もガザ地区をコントロールすると思います。

 イスラエルがハマスの戦力を破壊したとしても、ハマスはガザをコントロールし続けるでしょう。

(Q・そのことをイスラエルはわかっているから、イスラエル軍がガザ地区、とりわけガザ北部に留まると予想するのですが?)

 イスラエルのクネセト(国会)の議員の中には、ネタニヤフ首相に「イスラエル軍が北部にとどまり、イスラエルとの境界に「フリーゾーン」を作るべきだ」と進言している者もいます。ハマスを南部に閉じ込めるというのです。しかしイスラエル軍はガザ地区の“再占領”はしないと思います。

 イスラエルが目指すことは2つあると思います。最優先は、人質を解放すること。この休戦でいくらか解放しても、まだ190人の人質がいます。イスラエルはこの人質を全員、解放したい。

 2つ目は、イスラエル軍がハマスの軍事的な基盤をすべて破壊することです。トンネルを破壊する。それはもっとも大きな挑戦です。ハマスがこのトンネル内に指導者たちをかくまい、ロケット弾を生産し、そこから発射している。だから第二の目的はこのトンネルを破壊することです。そうすることでハマスの軍事的な力をそぐ。

 3つ目の使命は、今後、ハマスがガザ地区を支配することを阻止すること。だがネタニヤフ首相がそこまでやるかどうかわかりません。

(Q・住民はハマスがせん滅されることを望んでいるのか? それとも生き残ることを望んでいるのか?住民はハマスに対してどういう感情を抱いているのか?)

 大多数の住民は、ハマスが永久に消滅することを望んでいます。「もうハマスはたくさんだ!」という思いです。ハマスから受けた苦難はこの戦争だけではありません。2007年にガザを支配してからずっと、です。だからハマスのために、住民はいやというほど苦しんできました。自爆テロの影響などでもそうです。もちろんハマスを排除したいと願っています。この戦争が住民のそんな感情を増幅させました。

 大多数の住民はハマスのガザ地区支配が終わることを望んでいます。ハマスがガザ地区を17年間支配してきたが、ガザ地区を破壊しました。ほとんどの住民は貧困に苦しんでいます。子どもたちは栄養不良で苦しんでいます。多くの住民は失業中です。しかもハマスは腐敗しています。だから多くの住民はハマスがこの戦争のあとに完全に消滅することを望んでいます。

(Q・将来、だれがガザ地区を支配するだろうか。イスラエル軍?アッバス自治政府大統領?それとも地元のリーダー?)

 いろいろな意見があります。ある者はPA(自治政府)が戻ってきてガザを支配することを望み、他にはガザに民主的なリーダーが出てきてコントロールすることを望む。だからたくさんの意見があります。

 今、ガザ住民は2つのグループに分類されます。1つはこの戦闘で、すでに殺されたか、殺される人たち。いま2万人が殺されました。これからも戦闘で殺されていくでしょう。

 もう1つのグループは飢餓で死んでいく人たちです。今は1食しか食べられません。ひどい食べ物しかありません。十分な食べ物がないんです。とりわけ子どもたちは栄養不足で貧血などに苦しんでいます。

だから1つ目のグループは戦闘で死に、もう一つのグループは飢餓で死につつあります。

 だから人びとがハマスの支配が終わることを要求するのは当然のことです。

テント暮らしの少年。もう50日もシャワーを浴びていない。(撮影・ガザ住民)
テント暮らしの少年。もう50日もシャワーを浴びていない。(撮影・ガザ住民)

【土井後記】

 このインタビューの翌日(11月28日)、2009年の第一次ガザ攻撃の取材、2015年の「2014年夏・ガザ攻撃の1年半後」の取材のコーディネーター・通訳だったWから突然、SNSの電話が入った。ほぼ8年ぶりである。彼は、2017年に、3人の子どもたちの将来のために、経済が破綻し将来が見えないガザ地区から脱出し、妻、末息子を連れてスイスに亡命した。4年過ごしたが、他の子どもたちの滞在ビザが取得できないために、ガザへ戻った。その後、通訳、コーディネーターなどの仕事で生計を立ててきたが、今回の攻撃が始まってから4日後に、ガザ市西部のビーチ難民キャンプの自宅を逃れ、ハンユニス市内の親戚の家に避難していた。

 そのWに、Mからの報告で、「ハマスが支援物資を奪い、商人を通して売っている」という微妙な問題について訊いた。

 するとWは「自分は小麦粉など食料も支援物資として受け取っている。『ハマスが略奪して、それを売っている』というのは、ハマスに批判的な住民たちの間に広まっている噂に過ぎないのではないか」と答えた。

 私にそう報告してきたMは、2018年、2019年の私のガザ取材のコーディネーター・通訳を務めたジャーナリストで、人間としてもジャーナリストとしても最も信頼できる現地パレスチナ人の一人である。彼が私に根拠のない情報を流すとは思えないし、嘘を私に伝える理由もない。

私はこう判断した。

 「大半の支援物資は国連機関に渡り、その機関を通して住民にきちんと配給されている。しかし一部、その物資がハマス側に横流しされ、販売されているケースがあるのだろう。だからMの周辺地域では、実際にそういうことが起こっているが、それが全体で起こっていることではないのだろう」と。

 MとWの報告で共通することの1つは、「ガザにこれほどの惨劇をもたらしたあんな襲撃事件を起こしたハマスに、住民がひじょうに怒っている」ということ。もう1つは、「この戦闘が終わっても、ハマスはガザを支配し続けるだろう。なぜなら、ハマスはガザ住民の中に深い根を張っていて、しかもハマスに対抗できる政治組織がガザ地区には存在しない」ということだ。

とりわけWが指摘したのは、ガザの民衆には、「占領を続けるイスラエルへの抵抗運動(武装闘争)を支持する」深い心理が根深く存在していることだ。

 いま、改めて読者の方々に伝えておかなければならないことは、この「ガザからの報告」は、ガザ地区中部のある町で暮らす元コーディネイターのジャーナリストによる、移動できない限られた町からの個人的な見方である、ということである。

      (続く)

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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