アメリカにおける政治思想と法哲学 ー保守とリベラルとはー
リベラルは退潮している?
去る11月9日にアメリカで大統領選が行われました。ヒラリー氏圧倒的有利という事前の下馬評を大きく覆して、なんと、不動産の共和党候補ドナルド・トランプ氏が大統領に。昨年夏の安保関連法案の成立、今年の参議院選挙・都知事選における野党の敗退、イギリスのEU離脱などという一連の事象を受けて、今、世界中で「リベラルの退潮」ということが言われています。
しかし、「リベラル」「リベラリズム」とは何なのでしょうか?先進国では「保守とリベラルの二大政党制」ということがよく言われますが、保守とリベラルとはどういった点を対立軸としているのでしょうか。ついつい使ってしまう、「保守」「リベラル」という用語ですが、ここで改めて、これらの思想が生み出された沿革などについて整理しておきたいと思います。
近代ヨーロッパにおける思想的状況とは
ヨーロッパでは、長らくモンゴルなどのアジア勢力やイスラム勢力に押されっぱなしでしたが、ルネサンス、大航海時代や産業革命を経て、次第に文化的・経済的・軍事的にその勢力が高まっていきました。その結果、18世紀に人権や自由といった啓蒙主義的な思想が広まり始めました。ロックやルソー、モンテスキューなどがその代表的な思想家です。
この啓蒙思想の発展が後にフランス革命などの市民革命につながっていきます。市民革命後に設立された議会においては、「政府権力の拡大を防ぎ、個人の自由を守り、広げていこう」という自由主義者(リベラル)の人たちと、古い王権などにしがみつき、急速な社会変化を嫌う保守主義の人たちとの対立が見られました。例えば、イギリスでは前者が自由党(ホイッグ)、後者が保守党(トーリー)の流れとなります。この頃(19世紀)の自由主義の支持層というのは、新たに台頭してきた産業資本家が中心で、彼らは、労働者や貧困層のことなど一ミリも考えていない人たちでした。王権や教会といった古い因習に縛られず、自由で気楽に生きていたい工場経営者、農場経営者などの新興階級がその中心で、「今までいばっていたキリスト教の坊さんや貴族の権威に縛られるのはくだらない。もっと新しいやり方を自由に認めるべきだ!」というわけです。「最大多数の最大幸福」という言葉にあらわれているように、人間がみな快楽主義に基づいて自分の幸福を追求する営みを行えば、社会全体の福祉も向上していくという考えを持っています。このようにジェレミー・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルが唱えた功利主義は、自由主義思想に基づいていて、今でいうと、ホリエモンみたいなヒルズ族とかIT社長などをイメージしてもらえるとよくわかると思います。
ジョン・スチュアート・ミル(Wikipediaより)
伝統的な保守思想
こうした自由主義的な思想に対して、保守派の人たちは、「そうはいっても伝統は大事だよ」「お前らのいうようにやったら道徳も文化もめちゃめちゃになっちゃうだろ」と反論するわけです。伝統的な保守主義者を代表する思想家に、フランス革命に対する透徹した批判で知られるエドマンド・バークがいます。
保守思想も、近代思想のひとつですから、自由とか民主というものを認めています。その上で、「人間社会にはそれを成立させて、社会を社会、人間を人間足らしめている自然のきまりやおきてがある」と考え、「この世に在るもの、在るがままに在るもの、それらすべてを永遠の相の下における、自然の秩序そのものとして認める」というものです。人間の理性には限界があるのだから、自由主義者たちがいうような、「自由や平等」という理念に基づいて計画的に社会を変革していくことは間違っていて、実際に「フランス革命は単なる虐殺・暴動にすぎなかった」と考えています。彼らは、「自然権」よりもむしろ「自然法」を大事にするわけです。そして司法の場では、予め決まった法律を適用するだけではなく、訴訟を通じて自然法を発見・創造していくという考えが根底にあります。
エドマンド・バーク(Wikipediaより)
社会主義が現れた
そこへ20世紀に入って、社会主義が現れます。保守かリベラルかというのは、所詮王族、貴族、そして新たに力をつけてきた産業資本家の間の対立に過ぎなかったのです。つまりいってみれば新旧の勢力争いなんですよね。これに対して、社会主義の台頭によって労働者の代表たちが政治に参加し始めたのです。自由主義者たちは、緩やかな社会構造の変化を目指してはいましたが、そうはいってもやはり一部の指導者層による政治を志向していましたし、資産家・実業家のサポートを受けていたので、彼らの権益を保護する必要があります。社会主義の理想の下に団結した労働者による社会構造の急激な変化が起きてしまうと、資産家・実業家も自分たちの身分や資産が危うくなってしまうのでとても困ります。なので、自由主義者(リベラル派)は、保守主義者と組んで、社会主義の進出を阻もうとしているような状況でした。
実は西ヨーロッパの状況は今でもそれほど大きく変わっていません。保守主義・自由主義・社会主義者(社民主義)が三すくみで互いに合従連衡を繰り返しています。たとえばドイツの主な政党としては、保守政党のドイツキリスト教民主同盟 (CDU) とバイエルン・キリスト教社会同盟 (CSU)、自由主義勢力の自由民主党(FDP)、そして社民主義政党のドイツ社会民主党 (SPD)が存在します。また、イギリスであれば、保守党と自由民主党、そして労働党が存在します。
カール・マルクス(Wikipediaより)
アメリカにおける思想のねじれ
ヨーロッパではざっくりいってこのような思想の対立状況だったのですが、これがアメリカに来ると、少しねじれて意味が変化します。
そもそもが、旧大陸から新大陸に渡った人たちは、王権やカトリックなどの既存権力から逃れた人たちでした。旧来の因習や王様が存在しないアメリカでは王党派や伝統的保守派であるトーリー(保守党)がいません。建国の精神からして、自由・平等を高らかに宣言しているので、この理念が、アメリカが保守すべき伝統となります。アメリカにおいて伝統に立ち返れというのは、建国の精神の礎となっている、自由主義(リベラリズム)なのです。そして、この自由主義思想を継承しているグループが、現在の共和党につながっています。初期のアメリカにおいて発生したのは、強く大きな連邦政府による中央集権型政治を目指す連邦主義者(フェデラリスト)と、州の独立性を維持したまま、連邦政府は小さな政府であってほしいという共和主義者(リパブリカン)の間の対立でした。前者の代表にアレグザンダー・ハミルトン初代財務長官、後者の代表にトマス・ジェファーソン第3代大統領がいます。
いずれにせよ、ヨーロッパの自由主義は、新大陸に渡ったときに、その立ち位置にねじれが生じ、保守主義へと変わっていることがポイントです。
トマス・ジェファーソン(Wikipediaより)
「リベラル」のアメリカにおける変容
その後、国家と産業が発展していくにつれ、アメリカでは、貧困層、労働者、移民、有色人種といったマイノリティの声を拾い上げ、貧困対策や医療保険制度の整備といった社会福祉政策を充実させていこうという流れが強くなってきました。こういった人たちが、民主党の支持基盤となり、F.D.ルーズベルトのニューディール政策というかたちで結実していきました。結果的にアメリカが世界一の大国となる屋台骨を創っていきます。
ここで大事なのは、従来、「国家からの自由」を意味していた「リベラル」という言葉が、20世紀アメリカにおいて意味が変容し、「国家による自由」を意味する言葉へと変わっていったことです。そのまま人々の自由や市場に委ねていては、どうしてもこぼれ落ちてしまう人々のために、政府が積極的に介入して救済措置・是正措置を行っていこうという、ヨーロッパで言うところの社会民主主義的な思想や主張が、アメリカでは、「リベラル」「リベラリズム」となったのです。
したがって、「コンサバティブ」については、「保守」ないし「保守主義」という訳ですんなりと納得できるのですが、「リベラル」は「自由主義」としてしまうと、微妙にずれが生じてしまっているのです。本来的な意味である自由主義とは離れて、国家が積極的に規制に介入していこうというのがリベラルとなってしまっているというわけです。その大元の原因が、本来の自由主義者がアメリカでは保守派であったところからの、玉突き事故が起きているところにあるわけです。
ハイエクの場合
フリードリヒ・A.ハイエクは、1950年代にアメリカに亡命してきましたが、彼は自分を「保守主義者ではなく、自由主義者(リベラル)である」と主張しています。しかし、ハイエクの思想は、反合理主義、理性の限界を主張するもので、ケインズ的な社会政策や計画経済・全体主義を強く否定していました。つまり、ハイエクの思想は、いわばアメリカにおける「保守主義」なのですが、これを「保守主義」といってしまうと、前述の通り、ヨーロッパでは古い伝統・因習にしがみついている人たちを指しますし、「リベラル」といってしまうと、今度はアメリカでは社会主義のようになってしまう。そこでハイエクの思想は、「ネオ・リベラリズム」とか「リバタリアン」というかたちで整理されていくことになります。
アメリカン・リベラルの黄金時代
先程書いたように、リベラルが輝きを見せ始めたのは、F.D.ルーズベルトの時代です。世界恐慌を受けたあと、ルーズベルトはニューディール政策と呼ばれる一連の経済政策を実行し、公共投資による景気の回復を狙いました。このケインズ理論の実験的実践は奏功し、その後の世界における経済政策の模範となっていきます。
その後、アメリカは、世界大戦に勝利し、世界の経済の半分を占めるほどに繁栄を極めます。ハリウッド映画やジャズ音楽といった大衆芸術を世界中の人たちが楽しみ、軍事的にも超大国の地位を得ることとなります。戦後の60-70年代を支えたのは、引き続きリベラル思想でした。この当時、「保守」というのは蔑称でしかなく、「アメリカにはリベラルの伝統しかない」(ルイス・ハーツ)とまで言われました。しかしその超大国を支えたリベラルの輝きもケネディ−ジョンソン政権によるベトナム戦争の失敗やカーターによる内政・外交の失策によって、色あせていきます。
保守の逆襲
そんな中、80年代にアメリカのレーガン、イギリスのサッチャーとともに、新自由主義がにわかに光を放ち始め、「保守」という言葉が、再び脚光を浴びるようになりました。規制緩和と減税を同時に行って小さな政府とすることで、民間の活力を促進させ、双子の赤字を解消し、一方で、共産圏に対しては強硬姿勢に出ることにより、冷戦を終結させ、社会主義・共産主義に対する自由主義・資本主義の勝利が明らかとなりました。戦後しばらく続いたリベラルの全盛期が終わったのです。冷戦と湾岸戦争の勝利を経て、新世界秩序の構築というキャッチフレーズとともに、新自由主義(ネオ・リベラリズム)は、輝かしい保守のイメージを取り戻すことに成功したのです。
その後、ネオ・リベラルを受け継ぎつつ産業政策論を主軸においたクリントン政権や、ネオコンと呼ばれるタカ派外交路線を貫いたジョージ・W・ブッシュによるイラク政策の失敗、リーマンショックというグローバル金融主義の破綻などを経て、オバマのリベラル新時代へといたりますが、社会的な価値観はともかく、政治・経済の面で言うと、一貫してアメリカでは保守が大勢を占めるようになっており、リベラルは追い詰められ、自己変革を余儀なくされているのが現状といえるでしょう。
ロナルド・レーガン(Wikipediaより)
このように大きな流れで言えば、戦後の隆盛期から一貫してリベラルは退潮路線にあり、変革した保守が復権してきたのが80年代以降のアメリカでした。ですから、直近になってから、保守・自由主義勢力が台頭してリベラル(ここでは社民主義という意味の)が弱くなったのではなく、すでに80年代からずっと世界中で保守ないし自由主義が強かったのです。
日本における政治思想
日本では、自民党は保守政党と言われていますが、長らく、護送船団方式に代表される官主導の計画経済や、終身雇用、公共投資による景気刺激策を続けるなど、2000年ごろまで社会主義ともいえる経済政策を続けています。途中には、中曽根政権や橋本政権下で行われた行財政革などの試みもありましたが、このケインズ的な経済政策が本格的に転換されるのは、小泉改革まで待たなければなりませんでした。
同時に思想においては、明治維新以降ずっと急速な近代化を果たしてきたため、英米のような保守思想は根付きませんでした。伊藤博文の考え方は、英米流の保守思想に近かったかもしれませんが、日本における社会科学は基本的にマルクス主義の影響を強く受けていましたから、これに対抗するようなものは一種の復古主義・国粋主義に陥りがちでした。近代においては、一貫して「進歩」「民主」「自由」が唱導され、それに対して打ち出されたものは「日本」であって、「保守」を正面から標榜する論客も政党がほとんど存在しなかったことは、このことを象徴しています。結果として、それはどうしても「反西欧」「反近代」とならざるを得ませんでした。
最後に
さて、保守主義、自由主義、社会主義(社民主義)といった思想史の流れについて、本当にざっくりとではありますがみてまいりました。さらにアメリカでは、これらから派生していった、リバタリアニズムやコミュニタリアニズム、ネオ・リベラリズム、ネオ・コンサバティブなども存在します。
これらの政治思想・法哲学を押さえておくことは、今後の混迷した政治状況について、ふと立ち止まって考え、理解する際のフレームワークとしてとても役立ちます。ご興味を持った方はより詳しい本などを読まれるとよいでしょう。