亡くなった赤ちゃんの撮影依頼はタブーなのか?死に顔を写す行為に恐れず正面から向き合って
写真館でアシスタントをする、まだ駆け出しのカメラマンが、初めて撮影の仕事を任される。
それは、赤ん坊の遺体撮影だった、という、ちょっとドキッとするところから物語がスタートするのが映画「初仕事」だ。
ただ、こういう題材を興味本位に取り上げた作品では決してない。
避けることのできない死と、真摯に向き合った作品になっている。
なぜ、遺体撮影という行為を題材にし、そこでなにを描こうとしたのか?監督・脚本・主演を務めた小山駿助に訊く。(全五回)
ひとりの演者としても作り手としても、
とても贅沢で有意義な創作過程をたどることができたのではないか
前回(第二回)の話で、作品を作る過程で「遺体の撮影」という行為に思考をめぐらせて、自分が「わからないこと」にひとつひとつ答えを見出して、ひとつのストーリーが出来上がっていったことを小山監督は明かしてくれた。
このような過程を辿ったことについていまこう振り返る。
「最初の時点では、この物語を描く上でのわたしの興味と感心は、山下と安斎の感情にしかありませんでした。
遺体の撮影という、カメラマンであったとしても頻繁にあるとは思えない仕事の依頼を戸惑いながらも引き受けた山下と、おおよその人はあまり依頼することはないであろう身内の亡くなった人間の撮影を依頼した安斎、この二人の感情がどう変化して、どういう動きを見せるのかにしか興味がなかった。
ただ、なぜ自分が二人の感情の動きに興味と感心を寄せるのか、わからなかった。だから、そのわからないを解決するために、考えていきました。
それから前回、少しお話しましたけど、安斎には家族への未練があって、それが遺体の撮影依頼というところへつながっている。
でも、最初は、そのことを説明する気はなかった。
それはなぜかというと、無言でも安斎の未練が伝わるのではないかと考えていた。
それと、もうひとつ、それを説明し出すと遺体撮影そのものの行為の肯定に少なからずつながってきてしまうのではないかと思ってもいたんです。
家族に対してすまないと思う安斎の気持ちをへたにみせてしまうと、『こういう経緯があるからいいじゃないか』とひとつ免罪符になってしまって、観た人の同情を集めてしまいかねない。
あまりそうしたくなくて、意図的に省こうと思っていた。
そして、少し大袈裟かもしれないですけど、この『初仕事』を観た方が、その後、実生活で大切な方を亡くされた際、こちらの意図していない『撮影する勇気』のようなものを与えてしまうのを避けたかった。
ひとつの解釈に流れていくのではなく、意見が分かれるのも当然という方向にしていきたいと考えていました。
でも、それも、最終的には安斎の未練を明確にした方がいいと判断して、『これはもう未練なのか』というセリフをつけることにした。
傍から見るとかなり手探りで、遠回りしたように映るかもしれない。
でも、わたしとしてはこういう過程を踏んだことで、『わからない』ことをひとつひとつ解明することができた。
そのおかげで自分が演じる安斎という人間についても、深く探究することができて、それを演じる上で投影することができました。
たぶん、この過程を踏んでいなければ、安斎という人間をつかめないままに演じることになっていたかもしれない。
そして、作っている私自身がよくわからないまま作られた空虚な人物像は、『この人は何を考えているのだろう?』という観客の目線に耐え得る人物像にならない。つまり、作品が面白くならない。
フィクションを作るにおいて、人物の行動が正当なものかどうかを考えたり調べたりするのは、当然やるべきことのように見えますが、実際問題それをきちんと行うというのは本当に難しい。
有名な監督の中には、経験したことのない感情や出来事以外を題材に映画を作るべきではないという方もいます。
きちんとした検証が不要な場合もあると思いますが、『初仕事』の場合は検証しないと渡れない橋でした。
なので、ひとりの演者としても作り手としても、とても贅沢で有意義な創作過程をたどることができたのではないかと思っています」
バッシングが起きかねない題材に敢えて取り組む「怖さ」はありました
とはいえ、「死者を撮影する」という、いわばバッシングが起きかねない題材に敢えて取り組むことに対しての怖さはなかったのだろうか?
いまのこのネットでの言論などを前にすると、躊躇してもおかしくないと思うが。
「正直なことを言えば、怖かったです。
ですがその怖さがなければ、この映画の面白さは生まれなかったとも思います。
面白おかしい題材ではないのは明らかだったので、重い題材の重さはそのままに、作品自体は気持ちよく見れるようにするという努力が必要でした。
また、題材を扱う怖さを、僕自身の好奇心が上回ったというのもあります。
もちろん目先の興味で軽く扱っていい題材ではない。でも、だからといって描くことを諦める題材でもないと思うんです。
自主の作品ですし、変に自分を縛る必要はない。ほかにとらわれる必要はないわけですから、そこでは自分の興味のあることを自分を信じて描きたい。
そこは映画作家として躊躇してはいけないし、こういう題材こそ描いてみないとなにかが始まらない気がする。
あまり距離を取りすぎていると、いつしか誰も触れられてはならないものになってしまうと思うんです。
観ていただいた方から、『実は私も撮っていました』というお話をいただく機会が何度もありました。
実際にお会いしているときが多いので、割とみなさんフランクに話してくださるのですが、中には勇気を出して話してくださった方もいらっしゃったかもしれません。
たぶん、この映画がなければ、そのような事実を表に出すことはあまりなかったんじゃないかなと思います。赤の他人に明かせば、変だと思われる可能性が高いと思いますし、親しい方にも、明かしにくい場合もあるとも思います。
わたしとしては、遺体撮影という『行為』を肯定しているつもりはありませんが、その『感情』は肯定していますので、『こういう感情を持っていても良いのかもしれない』と感じて話してくださったのだと想像しています。
だから、今回、怖かったですけど、取り組んでみてよかったと思っています。
もちろん、そう言った経験があったとしても、『そういうのは一人で心にしまって置くものだ』という方もいらっしゃると思います。わたしも個人としては概ね同意見です。
ですが、世の中全体としてまったく話題にされないで、各々が悶々と抱えているというのも少し不健康な気がするので、姿勢は様々あるかと思いますが、総じて、観てくださった方の重荷のようなものを少し減らすことができていたとしたら、うれしいです。
それから、ちょっと変な話になるのですが、この作品で『死』ととことん向き合ったことで、今後の自分の作品において『死』を扱うことが怖くなくなった気がします。
死を軽んじたくない気持ちがあって、映画においても安易に扱うべきではないと、わたしは常々思っていました。それはいまも思っています。
作り手は、たとえフィクションの中とはいえ、世の中に実在するような人物として命を作ることができるし、その生き死にを決めてしまうことができる。
しかも映画は、実在の世界にとても『似た』光景が映るので、小説などにR指定がないのと比べ、とてもデリケートです。
ただ、そこまで深刻な事柄にしなくてもいいこと、どう扱えばきちんと向き合えるうことができるのかが、今回の作品を通して、少しだけわかったところがある。
そういう意味で、作品で『死』を扱うことが怖くなくなった。
『初仕事』を経験していなかったら、もしかしたら、一生、(自身の作品において)作中で人が亡くなることができなかったんじゃないかと思います」
(※第四回に続く)
「初仕事」
監督・出演・脚本・絵コンテ・編集:小山駿助
出演:澤田栄一 小山駿助
橋口勇輝 武田知久 白石花子 竹田邦彦 細山萌子 中村安那
撮影:高階匠 照明:迫田遼亮 録音:澤田栄一
メイク:細山萌子 衣装:細山貴之 美術:田幸翔
音楽:中村太紀 助監督:田幸翔/逵 真平
プロデューサー:田幸翔 角田智之 細山萌子
全国順次公開中
写真はすべて(C)2020水ポン