亡くなった赤ちゃんの撮影依頼はタブーか?死に顔を写真に残す行為から考えたこと
写真館でアシスタントをする、まだ駆け出しのカメラマンが、初めて撮影の仕事を任される。
それは、赤ん坊の遺体撮影だった、という、ちょっとドキッとするところから物語がスタートするのが映画「初仕事」だ。
ただ、こういう題材を興味本位に取り上げた作品では決してない。
避けることのできない死と、真摯に向き合った作品になっている。
なぜ、遺体撮影という行為を題材にし、そこでなにを描こうとしたのか?監督・脚本・主演を務めた小山駿助に訊く。(全五回)
赤の他人の遺体の写真は、あまりみたいと思わないのではないか?
前回(第一回)、「死者を撮影する」という行為について、「人それぞれ向き合い方が違い、考え方も違うのではないか」と思い、この題材に向き合っていったという話が出た。
そこから脚本作りははじまったそうだが、いろいろなことが複合的に絡んでひとつの物語が出来上がっていったと明かす。
「遺体を撮影する行為をひとつキーに、考えていったわけですが、実際、映画として描くとなると、わからないことだらけで。
リサーチはやはり必要で、遺体撮影について、いろいろと聞いて回りました。
そういう実際の人が思っていることを踏まえつつ、あらためて『遺体撮影』について自分の中で熟考してストーリーを考えていきました。
わからないことや疑問に思ったことを探って探っていって、そこにひとつ自分なりの答えを見出していくことを繰り返していきました。
恐れずに言うと、仕事で見慣れているといった場合でない限り、遺体の写真を前にしたら、いい気持ちはしないと思うんですよ。
肉親や知人であったりしたら愛着や愛情があるので違いますが、赤の他人の遺体の写真は、たとえ誰かの大切な人であったとしても、あまりみたいと思わない。
そのことは常に忘れずに、撮影を依頼された人物がいて、撮影を依頼した人物がいて、そういう人間が日本でいたらどういうことがおきるのか、どういう会話が交わされるのか、どういう感情のやりとりがあるのか、当事者となった彼らの頭の中はどういうふうな考えがめぐるのか、そういうことにひとつひとつ向き合って、自分なりの考えをだして、まとめていったら、いまのようなストーリーが出来上がっていきました。
そこに加えると、物語という点において、参考にしていたのは『さらば冬のかもめ』とか、『青春の蹉跌』などがあげられます。
それから、もうひとつ大きな影響を受けたのは、ノーベル文学賞を受賞しているトルコの作家、オルハン・パムクの『白い城』という小説です。
この小説は、カリスマ的な存在の男と、彼の弟子的な存在の男がいて、一緒に生活しなければならなくなった彼らの関係が描かれているのですが、『初仕事』の人物関係の配置はこの『白い城』がベースになっています。
あと、登場人物に関してはほぼ当て書きです。
『こういうストーリーを』とだいたい想定して書き始めて、ある時点で、『この人物は彼だな』となって人物のキャラクターも固まっていく感じでした」
作品は、写真館のアシスタントを務める山下が、初めて単独での仕事を受けるところから始まる。
ただ、写真館店主から言い渡されたその仕事は、赤ん坊のご遺体の撮影。一瞬戸惑うも、山下は今後のキャリアに置いて、いい経験になるのではないかと依頼を引き受ける。
こうして向かった先で出会ったのは、赤ん坊の父親で依頼主でもある安斎。しかし、古くからの友人である写真館の店主が撮影に来ず、新人カメラマンを送り込んできたことに安斎は怒り心頭。はじめは依頼をキャンセルしようとする。が、実直な山下の態度をみて心境が変化し、撮影を改めて依頼する。
こうしてはじまった「遺体の撮影」の行方が描かれていく。
この過程を前にしたとき、わたしたちは「死者を撮影する」行為を通して、いろいろと考えを巡らすことになる。
小山監督自身も、作品を作っている過程でいろいろと思考をめぐらせたと明かす。
「安斎さんについて考えて、まず初めに思ったのは、なぜ妻が、なぜ我が子が、他の人間ではなく、死ななければならなかったのか?その思いが彼の中にある。
なぜ悪いことをしていたとか、人に迷惑をかけていたとか、言ってしまえば天罰が当たってもしょうがないと思われるような人間は世の中に他にいるはずなのに、なぜ彼女たちなのか?その世の不条理に対する怒り、さらには、幸運な世の中の人々への憎しみが安斎にある。
安斎さん本人が実直であればあるほど、愛するものに対する美化も激しい。ほとんど神格化された妻と我が子に比べれば、普通に生きているような若者は苦しんでいないように見えてしまう。
もちろん安斎以外のすべての人間にとってはお門違いの感情ですし、そのことを安斎も分かってはいます。普段はそんなことはお首にも出さない。なぜなら、自分の身の上を案じてくれる優しい人たちを反対に傷つけることになる場合があるし、意地悪な見方をすれば、安斎にとっては他人が優しく接してくれる可能性のある立場をかなぐり捨てることにもなるから。
ですが、ひと度許し難い行動を目の当たりにすると、普段蓄えている幸せそうな人たちへの怒りと憎しみ、この場合は生きてるだけで幸せそうに見えてしまうという周囲の人間にとってかなり迷惑な状態ですが、そんな人たちに対する感情が噴出してしまう。
よくコンビニや飲食店で働いていると、唐突に憤りを示すお客さんに遭遇することがありますが、新人カメラマンである山下君との出会いのシーンは、そのような状態をイメージしました。
このように、自分の生活圏内にある現象から、バックグラウンドを膨らませていきました」
正直なことを言うと、安斎がなぜ子どもの亡骸を写真として保存することに
執着しているのかも、ほんとうのところはわかっていなかった
ほかにもこんな思い至ったことがあったという。
「たとえば、のちのち安斎の家族に対しての未練が撮影依頼の原動力であったことが明るみになる。
でも実は、彼の愛に、というより愛そのものに、人をこういった行動に走らせる力があるということや、彼の愛が既に世間一般で言われる未練というものになっているという事実に彼自身が気がついていないということを、わたしは分かってなかったんです。
正直なことを言うと、自分で書いていながら、安斎がなぜ子どもの亡骸を写真として保存することに執着しているのかも、ほんとうのところはわかっていなかった。漠然と、人と比べて保守的であったりといった性格の違いかな程度に思っていました。
ただ、安斎を演じることになって彼の気持ちになっていろいろと考えるわけです。どういう中でこういう心境になっていったのかと。
こんなことを言っていいのか分からないですけど、制作当時の20代中盤の私は、それまでの人生においてあまり大きな後悔がなく生きてこれたところがあった。
だから、最初は安斎の気持ちがいまひとつわからないところがあった。
ですが、自分自身の人生を振り返り、また、現在の自分の状態を客観的にみて、他ならぬ自分自身も愛に突き動かされて映画を撮ったり、未練と気付かずに題材を選んでいたりしている事実について、認めたくなかったが認めざるを得なかった。
制作で歳月が過ぎていくことによって、次第に安斎の行動に違和感を抱かなくなっていきました。『安斎を突き動かしているのは既に届くことのない愛である』と言い切れる自分になっていた。
はじめはわからなかったのですけど、実際に撮るかどうかは別として、今は、亡くなった我が子の遺体を撮りたいと思うぐらいは当たり前だと思っている自分がいます。
で、安斎と山下がアルバムをみていて、安斎が『これは未練なんだな』とつぶやくところがある。それは最初はなかったセリフなんです。なくて無言だった。
無言でも安斎の未練が伝わると思った。
ですが撮影時に伝わると思っていたのは私が安斎さんのことを深く知っていたからで、それらのバックグラウンドを安斎さんは話そうとしません。
私も自分だったらこんな苦労があってなんて話そうとしませんので、みている人には明確にはわからない。そこをスタッフに指摘してもらえた。こうして、辛うじてつけることができたのが、『これはもう未練なのか』でした。
このように、そういう人物の気持ちを探ることで気づかされることがたくさんありました」
また、こういうことも考えたという。
「さきほど、仕事で見慣れているといった場合でない限り、遺体の写真を前にしたらいい気持ちはしないと思う、と話しましたけど、その感覚はおそらくわたしだけではない。
もしかしたら人類共通でもっている感覚ではないかと思ったんです。
特に亡くなった方に対する愛が感じられる写真の場合はなおさらです。何故なら、そこには出口のない執着への恐怖が感じられるからです。日常生活がままならなくなるほどの感情に対する、生き物としての警戒がそうさせるのではないかという考えに、自分としては至りました。
そういう僕なりの考えも物語には反映させたところがあります」
(※第三回に続く)
「初仕事」
監督・出演・脚本・絵コンテ・編集:小山駿助
出演:澤田栄一 小山駿助
橋口勇輝 武田知久 白石花子 竹田邦彦 細山萌子 中村安那
撮影:高階匠 照明:迫田遼亮 録音:澤田栄一
メイク:細山萌子 衣装:細山貴之 美術:田幸翔
音楽:中村太紀 助監督:田幸翔/逵 真平
プロデューサー:田幸翔 角田智之 細山萌子
全国順次公開中
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