現役法務教官が口にした「少年院でこれほどコミュニケーションを重視した体育は見たことがない」の意味
2020年2月20日、多摩少年院の会議室。日頃から少年の更生自立にかかわる関係者が集う空間には、トレーニングウェアに身を包み、名刺を片手に挨拶を交わしていく、元サッカー日本代表、現在はFC東京のクラブコミュニケーターを務める石川直宏さんの姿があった。
この日は、サッカーJ1リーグに所属するFC東京コーチングスタッフによるサッカー教室が開催された。今回で4回目となる。
参考:少年院でサッカー教室 「今度は自分がパスを出す存在に」(工藤啓) - Y!ニュース
これまでも全国各地でJクラブがサッカー教室を開催してきたが、FC東京では少年院の中でのかかわりに留まらず、出院が近くなった少年に対して院外実習(職場体験)の機会も開いている。
(少年院の外で社会経験、J1・FC東京の選手らと・・・TBS NEWS)
グラウンドでは石川直宏さんを含む8名のコーチングスタッフがマーカーの設置やサッカーボールの確認など、入念な準備を行っている。すると、グラウンドの後方から少年の「イチ、ニッ。イチ、ニッ」という大きな声が近づいてくる。
寮ごとに5つのグループにわかれ、色違いのゼッケンをつけた約100名の少年がコーチングスタッフの前に整列する。中学や高校の体育大会や体育祭のようだ。
この日、コーチングスタッフのリーダーを務めたFC東京育成部U-12育成担当コーチ権東勇介さんの挨拶でサッカー教室は幕を開けた。最初に三つの約束がアナウンスされる。
1. 怪我をしないこと
2. いつもと違う空気に自分を見失わず、節度を守ること
3. 全力で楽しむこと
そして、「楽しみながら、決められたルールの中で、全力で」の言葉に少年たちの大きな返事がグラウンドに鳴り響いた。
広いグラウンドに5つのグループが分かれ、短い間隔で多様なトレーニングが行われる。数名が列を作り、向かい合う。それぞれの列から前の二人が前方に走り出し、アイコンタクトとともに、身体を反転させる。すれ違う際にジャンプして高いところでハイタッチして駆け抜ける。
身体が温まってくると、サッカーボールを相手の上空に投げ、その間に投げた少年が指示したジャンケン(グー、チョキ、パー)に勝つ、または、負ける手を声に出してボールをキャッチする。さまざまなルールが課せられ、それに応じて判断とリアクションをする。
ボールの扱いを足に切り替え、同じように細かくルールを変えながらトレーニングは進む。うまくいったときも、そうでないときも、真剣な眼差しの少年たちからは歓声と笑顔がはじける。
楽しさと真剣さのバランスを絶妙に保っているのはコーチングスタッフによる声掛けだ。「いいよ」「ナイスプレー」「もう少しスピードあげていこう」と、個々の少年に対して、また全体に対して身振り手振りを交えながら声をかける。
筆者の横でFC東京社会連携推進部長の久保田淳さんは、
「サッカーはうまく行かないことばかりのなかで、目標を見失わないことが大切です。今日のトレーニングは、自分と相手の関係を感じて、考えて動くことを意識しています。一般のサッカー教室も同じですが、チームメイトがコミュニケーションを取って思考と動きを共有できるチームは強いです。」
と解説を交えながら各トレーニングの意図を話す。
実際、足元でのボールの扱いに長けた少年は目立つ。しかし、複数名が協力してボールを運ぶトレーニングでは、コミュニケーションを取り、ひとり一人が全体の距離感を短くするために細かく動きを修正したり、仲間がボールを運びやすい位置に身体を動かすことに意思統一がなされたチームは、目標達成までのスピードが非常に速い。
そのようなチームを観察すると、リーダーシップを発揮する少年がいれば、アイディアを言葉にしているような少年もいる。ボールを手足で扱う得手不得手はあっても、一歩でも先に、少しでも速くボールを運ぶためのコミュニケーション量が圧倒的に異なるように見える(遠方からの見学のため話の内容はわからない)。
同じ場所でサッカー教室の様子を見ていた法務教官で、現在、法務省矯正局少年矯正課の山本宏一さんの言葉が印象的であった。
「少年院でこれほどコミュニケーションを重視した体育は見たことがないですね。」
普段の体育指導では、伝統的に心身を鍛えるサーキットトレーニングのようなものも少なくなく、これほどコミュニケーションを取ることはないと言う。
「コミュニケーションが苦手なため、他者との協調や協働することがうまくいかずにここにいる少年もいます。もちろん、サッカーが好きという少年もいますが、少年院がJクラブの力を借りたい一番の理由はコミュニケーションの大切さを頭と心、そして身体を使って学ぶ機会を提供してくれるからです。」
最後はゲーム形式のトレーニングでサッカー教室を終えた。少年の額には汗がにじみ、それぞれが何かを学び取ったものと願いたい。
グラウンドに整列して少年に向き合ったコーチングスタッフを代表して、石川直宏さんが言葉を投げかけた。
「みなさんの笑顔と額から流れるキラキラした汗が印象的でした。楽しい時間はあっという間です。それは一生懸命に夢中だったからこそ。きっとこれからまた自分自身と向き合う時間があると思います。自分自身に矢印を向けて向き合う時間が、また一生懸命に夢中になれる姿につながること。
私は約16年間FC東京でプロサッカー選手として過ごしました。小学生の頃からの夢が叶ったにもかかわらず、その80%〜90%は苦しかった。苦しく辛いときこそ自分と向き合い続け、乗り越えることができたからこそ、残りの10%〜20%、試合で勝利することはもちろん、たくさんの方々に応援してもらえたことがより大きな喜びにつながりました。
自分と向き合い、自分自身を乗り越える。目の前の事に真摯に取り組み、周囲に感謝とリスペクトを持ってこれからの人生を歩んでほしいと思います。
今日、とても嬉しかったことがあります。それはボールを取られて、ゴールを決められてしまった。それでも君たちはゴールを決めた選手に拍手をしていたことです。相手がいて自分がいます。支えてくれる周囲のひとたちに感謝をしてください。
またどこかで、成長した姿の皆さんと合うことを楽しみにしています。」
代表の少年がコーチングスタッフに感謝の言葉を述べる。そして、グラウンドに来たときと同じように整列し、声をかけながら少年院の施設に戻っていく。彼らの学びと、今後の成長を期待する。
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後日、コーチングスタッフのリーダー権東さんに感想と、各トレーニングのポイントをお聞きした。
「少年院でのサッカー教室で心掛けていることは、怪我などのトラブルがないこと。最低限のルールを守ること。そして、楽しむだけではなく、終了後に少年たちに何かが残ることです。
トレーニングは、自由に動くことが許されていないなかで、自分たちから考えて動くことにチャレンジしています。仲間と協力をすること、考えてプレーすることが少年にとって大切だと考えています。
そういった狙いが自然と少年に入るようなメニューを考えました。サッカーをプレーするうえで最も大切な部分を少年に感じていただきたいです。私たちコーチ陣も普段とは異なる雰囲気のため、どっしりと少年の前に立つことを意識しています。
新しい気付きが毎回ありますが、今回は想像以上に仲間と協力することにポジティブな部分を見ることができました。サッカーというスポーツを通じて意図したメッセージが伝わっていたら嬉しいです。
少年院の先生方との信頼関係が築けてきているなかで、もっとよいものを生み出していけるように継続していきます。」
・トレーニングのポイント
1. ウォーミングアップ
・身体だけでなく心をほぐす時間にする
・笛ではなく、仲間と目を合わせてスタートすることで、自分たちから動くことに慣れてもらう
・スタートで仲間を意識してもらい、徐々に2人で協力するもの、2人でなくてはできないものに変化をさせていく
・一緒にやることへの抵抗をなくしていく
・楽しさを重要視する
2. トレーニング
・少年が楽しめるもの、自分たちで考えること、協力することに夢中になれるものを取り入れる
・最低限のルールのなかで行うこと
・勝敗をつけることで、自分の気持ちをコントロールしながらプレーできるようにする
・さまざまなパターンのトレーニングを意識した
3. ゲーム
・ナンバーゲームでサッカーの試合を行った
・ウォーミングアップ、トレーニングという流れつかみ、ゲームに取り組めるようにした