スペインで残念な評価の映画『禁じられた遊び』。世界のNAKATAはどこに?
「見ない方がいいよ。怖くとも何ともないから」
上映前ポスターを見ていると、Jホラーオタクらしい見知らぬスペイン人から助言された。
もちろん見た。で、彼の言う通りだった。
※以下、ネタバレはありませんがストーリーには触れています。見ていないとわかりにくいところもあるので、ぜひ見てから読んでください。
まず気が付いたのは、主演の二人は俳優ではないということだ。演技を本業としている人ではない。だって、怖がる演技も、驚く演技も、目を大きく見開くことでしか表現していないのだから。
↑スペイン語版の予告
■ホラーなら美男美女のままではダメ
化け物と出会ったらもっと凄い顔になるはずだ。体だって凄い反応になるはずだ。
目を背けつつも見てしまい、口が変な形にゆがんで、どういうわけか涙と震えが止まらず、頬が痙攣してよだれが垂れるとか、腰が抜けて失禁してしまうとか……。
普段の美男美女像を醜く壊すことこそが、ホラーならではの演出の力であったはずだ。
「怖い!」って女が男に抱きつくシーンも、恐怖だけではなく、“本当はいけないのに思わずやってしまった。ちょっとうれしい”という背徳感があるはずなのに、それが表情や仕草から見えてこない。
演技者の腕の見せどころは、単純な喜怒哀楽ではなく、二つ以上の感情が入り混じった複雑なところをいかに伝えるか、だと思う。このシーンであれば、「女:恐怖+背徳感」、「男:戸惑い+背徳感+恐怖」なのだが、女は恐怖だけ、男は戸惑いだけに矮小化されていた。
過去作を見ると二人とも重要な作品に出演している。今回だけ調子が悪かった、ということなのだろう。
■家はボロボロでも身なりは清潔?
このお話だったら男は滅茶苦茶、複雑な感情に苛まれるはずだ。
『ペット・セメタリー』(1989年)ってありますよね? スティーブン・キング原作の名作で、ぜひ、この作品と比べて見てほしい。
要は、葛藤ですよ。
死んだ者が生き返るはずがない、化け物であることが常識人である私にはわかっている。それでも、妻に会いたい、という強い愛に、眼球が腐っていて液が垂れてくるような腐敗した姿なのに彼には美しい妻に見えている、という愛の強さに、見ている私たちは胸が締め付けられ、戦慄するのである。
本作の男も葛藤しているかのようなシーンがある。
何週間も欠勤し、アルコールに溺れ、家はゴミ屋敷になっている。だけど、驚くべきことに無精髭一つ生えていない。髪はボサボサではなくきちんと櫛が入っていて、小ざっぱりした服を着ている。
掃除はしていないが、洗濯はしているのだろうか?
身だしなみを整える余裕があるのでは、ボロボロになっているとは言わない。ボロボロにならないと妻への愛が伝わってこない。幻覚や幻聴に苦しみ狂気寸前にいってこそ、愛は恐ろしいものに、怨念に、高まるのである。
愛の怖さとか狂気を語ることができたストーリーだった。『禁じられた遊び』とは不倫のことではなく、生と死をもてあそぶことだったはずだ。
もったいない。
■クライマックスで笑いが起きた
女の方は7年間で成長したところが見えない。ファインダーを覗いている時は怖くない、逃げないという、映像ディレクターとしてのプロ意識描写もうやむやなまま、手に持っているカメラは単なる脱出の邪魔になっていた。
クライマックスに近いところで、客席からは笑いが漏れた。Jホラーとしてはこれは屈辱だろう。
逃げては行けない方向へ逃げる。これはホラー映画のあるある狙いか?
残虐シーンを見せないのはPG-12に収めるためだろうが、生き返りにまつわる死体とか腐敗などの生理的な嫌悪(=禁じられた遊びのタブー感)を軽減する結果となっていた。
追われている最中に一休みして恋愛ドラマが始まる。捕まったら死ぬという切迫感がゼロ。これもホラーあるある?
笑わせたいのか、怖がらせたいのかわからなかった私たちは笑うことにした。笑ってからはヤジでツッコミを入れる観客も現れた。
この作品は今年のシッチェス国際ファンタスティック映画祭で上映された。
中田秀夫監督は『リング』で最高作品賞に輝き、今回も功労を称える「タイムマシン」賞を受賞。スペインのホラー映画界では知らぬ人がいない有名監督である。
その世界のNAKATAがなぜこんな作品を撮ったのか? 日本映画はどうなっているのか?
スペインでは驚きの声が上がっている。
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※写真提供はシッチェス映画祭