甘っちょろい「家族の絆」の話ではない残酷さ。映画『酸性雨』(ACIDE)
壊滅的な災害を前に、離婚をした夫婦が一緒に娘を助けにいく。いわゆる「家族サバイバーもの」と聞くと悪い予感しかしない。
離婚をした夫婦、という設定がすでにあざとい。これ、伏線でしょ?
■『カリフォルニア・ダウン』という悪い例
どうせ、サバイバルしているうちに「僕の愛は変わらないよ」、「あなたのこと誤解していた。ごめんね」となって元夫婦がヨリを戻し、ラストは力を合わせて救出した娘と3人で抱き締め合って、めでたしめでたし。
人がたくさん死んで街は壊滅したけど、壊れていた家族は再び一つになった。もうこれで大丈夫(何が?)という、甘っちょろい予定調和だと想像がつくからだ。
この典型が『カリフォルニア・ダウン』だった。
↑ヘリだって家族のために私物化
マッチョの男がスーパーヒーローで優しく犠牲的精神にあふれていて災害救助に大活躍。「なんでこんな素晴らしい人物が離婚するんだろう?」って明らかに不自然な人物設定。で、離婚調停中の元妻の愛人というのが、自分の命が危うくなると女を見捨てる、どうしようもないクズ。「なんでこんなクズ男を選んだんだろう?」という、こっちも負けない不自然さ、だ。
つまりこれは「2人はヨリを戻す運命なんですよ。みなさんも納得でしょ」ってダメ押ししているのである。
↓予定調和ではない『酸性雨』(ACIDE)
世の中のリアルというのは、男がDV夫だったり、女が不倫妻だったりして、夫婦関係は修復不可能だったりするのだろうが、それではまずいのだ。
テーマが、家族の絆だから。
不自然なことはまだある。
■他人は死ぬけど家族は死なない
大災害なので周りの人はバンバン死ぬけど、家族の誰も死なない。家族の絆をうたうにはメンバーが欠けるのはやはりまずい。
あと、とてつもない巨大災害においても、お話のスケールは凄く小さい。
数十メートルの津波やカリフォルニアが真っ二つになる地割れは、家族が絆を深めるための「舞台装置」に過ぎない。人類的な視点で巨大災害とどう立ち向かい、復旧していくかよりも、男と女が向き合って家族をどう修復していくか、の方が大事である。
そんなのリアルではない。
災害は家族と他人の線引きをしない。家族だって命を落とすし、家族が無事であることは大事だけど、だから、めでたしめでたし、ではない。
ハリウッド製のゴジラにもありがちだけど、余計な家族のお話は入れてくんな、って。メインはゴジラ(災害)で、サブが家族の絆でも構わないけど、そのメインとサブを逆転させないでくれ。子供を挟んだ男と女のおままごとを描く暇があったら、もっとゴジラの方をよく見せてくれ。
■誰の上にも容赦なく降り注ぐ、酸性雨のリアルな怖さ
昨年のシッチェス・ファンタスティック映画祭で見た『酸性雨』(ACIDE)は、こんな私の予断を裏切ってくれた。
家族関係はリアルで、元夫も元妻もいろいろ引きずっていてお互い顔も見たくない感じなのだが、娘の一大事とあって「しょうがなく」(ここが大事)一緒に救出に行くのである。で、それぞれの愛人も普通に良い人たちで愛されていて、それぞれがそれぞれの人生をやり直そうとしている時に、災害に襲われたのである。
まとめると、元夫も元妻も娘への愛は深いが、元夫婦の関係は冷え切っており、共同親権なので教育方針などをめぐって意見が食い違うこともあるという、まず普通の離婚夫婦の関係である。
酸性雨が降り始めたら急に仲が良くなる、男がやたらカッコ良くなり、女が恋心を取り戻すなんてご都合主義なことは起こらないのだ。
こういう風にリアルに徹しているので、『酸性雨』(ACIDE)の描写は残酷である。「酸性雨なんて時どきニュースにもなるし、『ブレードランナー』でも傘さしてよけていたし怖くない」と思っているあなたは震えあがるだろう。『カリフォルニア・ダウン』ではあり得ない、ある衝撃的なシーンを見て、私はこの作品の面白さに魅了された。
日本公開はまだで、動画配信サービスもされていないようだが、せひ見てほしい。ついでに『カリフォルニア・ダウン』も見て、比べてほしい。
※写真提供はシッチェス映画祭
※写真のクレジットはすべて ACIDE_63 © BONNE PIOCHE CINEMA, PATHE FILMS, UMEDIA PRODUCTION SERVICES - PHOTO LAURENT THURIN