公立高校入試の出題範囲に表れた地域差は、住む場所選びの新たな基準につながっていくのか
「公立の教育は全国共通」という漠然とした認識があるのではないだろうか。しかし教育の重要性についての認識が高まってきているなかで、「地域差」が確実に生まれてきつつあるようだ。
その典型的ともおもわれることが、来年の高校入試において表れている。
新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)の影響で、全国的な長期休校となった。そのため、授業時数の不足、授業の遅れが発生している。それを取り戻すために、学校現場では1時限あたりの時間や休み時間を短縮して1日あたりの授業時数を増やす「涙ぐましい工夫」が行われている。不足した授業時数を補うために、ほとんどの学校で夏休みの短縮も実行される予定になっている。
とはいえ、「突貫工事」でしかない。突貫工事だから、授業時間数だけは確保しても、じゅうぶんな授業内容になっているかどうかは疑問である。
そこで問題になってくるのが、入試である。通常であれば、規定の教育課程をじゅうぶんな授業内容で終えていることを前提にして行われるのが入試であり、それを前提に入試問題もつくられる。
しかし来年の入試の場合は、例外と考えるのが真っ当である。新型コロナで突貫工事だったのだから、突貫工事に見合った出題が当然といえる。
にもかかわらず兵庫県は、来年の公立高校一般入試において「例年と同じ出題範囲での実施」を決めた。突貫工事でも工事を終えることを前提に現在の授業はすすめられているから例年と同じでいい、と考えてのことなのだろうか。新型コロナでの休校中でも自分で勉強する子は勉強していたはず、ということなのだろうか。
考えてみると、「篩(ふるい)にかける」式の選抜を前提にする入試では、有効なのかもしれない。例年と同じ出題範囲なら、「自分でやった子」と「やれなかった子」を簡単に見極められる。「できる子」と「できない子」を、よりはっきりと見定めることも可能なのかもしれない。「篩い落とす」には最高の条件かもしれない。
兵庫県と同じやり方を、どの自治体もとるわけではない。京都府と京都市は、公立高校入試の出題範囲について学習内容の1~2割を除外することを決めている。東京や大阪でも、出題範囲の縮小を決めた。