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ジョージ・タケイ、“スールーはゲイ”に反対した真意を語る

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:REX FEATURES/アフロ)

「スター・トレック BEYOND」にヒカル・スールーがゲイとして登場することについて、ジョージ・タケイが、facebookページで思うところを説明した。先週、タケイは、「The Hollywood Reporter」に対して、このアイデアに反対だったことを明かしているが(http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160709-00059783/)、その報道のされ方に満足しておらず、自分の言葉で説明しようと思ったようだ。

文中で、タケイは、「BEYOND」の監督ジャスティン・リンや、脚本を書いたサイモン・ペグが、自分にオマージュを捧げてくれたのを光栄には思うものの、敬意を払うべき相手は自分ではなく、「スター・トレック」の生みの親ジーン・ロッデンベリーだと強調。新しいキャラクターをゲイにするべきだったという主張は変えないながらも、ペグや、スールーを演じるジョン・チョーの成功を祈ってもいる。

以下が、タケイの投稿全文。

モンタナから、おはようございます。休暇を楽しんでいるところですが、多くの人が“スールーはゲイだった”の記事を読んでいると気づいたので、どうして僕がひねくれたことを言っているのか、お話ししたく思います。自分の意図を正しく伝えるために、これを書くことにしました。

あのニュースが出た時、僕は、長い電話取材に応じましたが、誤解を招く見だしが付けられてしまいました。論議を呼ぶほうが売れるからでしょうね。はっきりさせたいのですが、僕は、「スター・トレック」にゲイのキャラクターが出てくることを残念に思っているのではありません。前にも言ったことですが、逆に、僕は、「スター・トレック」が、この事柄を取り上げることを、うれしく思っているのです。これはまさに多様性の問題のひとつなんですから。未来の人たちが、「スター・トレック」の世界にはLGBTがまったく出てこないと思わないでいいとわかったのは、素敵なことです。

スールーをゲイにするという特定のアイデアを初めて伝えられた時、僕は、ジーン・ロッデンベリーが作ったオリジナルのキャラクターとその背景に敬意を表してくれるよう望むと答えました。(すでにある)キャラクターが変えられるのではなく、まったく新しく生み出されたヒーローが登場するほうが、エキサイティングです。そのほうがインパクトも強いとも、僕は思います。今回の「スター・トレック」は、前の「スター・トレック」の続きでも前でもないのはわかっていますが、ジーンが望んだ多様性のある「トレック」の世界を実現するために既存のキャラクターをいじる必要はまったくないと、僕は思いました。スールーを選んだのは僕にオマージュを捧げるためと言われるのは光栄ではあります。しかし、もともと僕の問題ではないし、僕はこれを望んでもいません。大事なのは、ジーンのビジョンと彼の語った物語に忠実であることなのです。

LGBTのキャラクターを入れるのはジーンが長い間望んできたことで、その存在が欠けていることについて、僕らは、個人的に、じっくりと話し合ってきました。ジーンは、あの時代の感性に抑えつけられていました。50年前は、人種の異なる人たちのキスも、テレビでは初めてだったのです。カークとウフーラのキスに、南部の人々の多くが抵抗を持ったために、視聴率が落ち込んだのです。ジーンは、考えた上で、メインのキャラクターをヘテロセクシャルにすることにしました。その範囲内ですばらしいストーリーを語り、さらに、あの時代の文化的価値観の多くを変えることもしてみせたのです。ゲイのキャラクターが出てこないのは、彼がそこを見逃していたからではありません。考えた末に彼が下した決断だったのです。ジーンは僕の愛する友人。彼の決断や、彼がストーリーを生み出した状況に、僕は敬意を払います。「スター・トレック」50周年を迎える今、彼の先見の明と勇気、そして制限のある中でも多様性と会話を作り出してみせたことを讃えたいと、僕は望んだのです。

「スター・トレック」は、常に境界を破り、僕をはじめとする俳優たちに新しいチャンスを与えてくれました。永続するこのすばらしいファミリーの一員にしてもらえたことに、僕は一生、感謝します。かつて僕が演じた役を演じるジョン・チョーを応援します。サイモン・ペグの書く、大胆で画期的な物語を祝福します。僕ならば迷いなく新しいキャラクターを作ることを選びましたが、彼らがやったことは理解しますし、感謝します。これまでと同じように、彼らは、大胆にも、誰も行かなかったところに行こうとしているのです。「スター・トレック」は、永遠に成功し続けます。

この投稿には、現在までに、3万2,000回「いいね」が押され、1,300個のコメントが書き込まれている。コメントの内容はさまざまで、かなり奥深い議論がなされており、人々が強い意見を持っているのは明らかだ。

ところで、筆者は映画を見たのだが、問題のシーンは、本当に短かった。計ってはいなかったが、合せてせいぜい15秒くらいではないだろうか。「たいしたことじゃないんだというアプローチが気に入った」とチョーが語っていたとおり(http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160708-00059744/)、物語の筋自体とはまったく関係なく、さらりと出てくる。スールーと彼の夫がせりふを交わすわけでもなく、とくに何も気づかない観客もいるかもしれない。それでも、それを入れることに固執したのは、リンとペグがメッセージを伝えたかったからだろう。来週20日のプレミア、22日の北米公開の後、どんな論議が展開するのか興味が持たれる。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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