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【親も子どもも幸せに】生殖医療補助法案、子どもの出自を知る権利は置き去りのままでいいの?

末冨芳日本大学教授・こども家庭庁こども家庭審議会部会委員
(写真:アフロ)

1.子どもの「出自を知る権利」を置きざりの生殖医療法案?

 自分の親から「本当の親は違う人だ」と言われたら、あなたが子どもならどう思うでしょうか?

生殖補助医療のうち、とくに精子・卵子提供を受けたカップルの子どもたちは、潜在的にはいつもこの状況にあるのです。

 今の国会で自民党公明党の議員立法での成立を目指している生殖医療補助法案ですが、子どもの権利、とくに子どもの出自を知る権利を置き去りにした法案ではないかとの懸念もあります。

 毎日新聞は10月15日に「出産女性を「母」…生殖補助医療法案、議員立法で提出へ 臨時国会で成立見通し」、という報道をしました。

 簡単に言えば、卵子・精子提供や顕微授精等の「生殖補助医療によって生まれた子どもの親子関係について、法律上の規定はなく」、「親子関係を巡る訴訟も起きている」ことから民法特例法改正により「出産した女性を「母」、第三者の精子提供に同意した夫を「父」とする」という法案のようです。

 

 いっぽうで朝日新聞は11月5日に「「出自を知る権利」先送り?生殖医療法案 立憲に慎重論」という報道をしています。

 この報道の範囲内ですが、複数の議員から「子の出自を知る権利が明記されていない」(朝日新聞報道)として、慎重意見が出ているのだとすれば、心配な事態です。

 実際に生殖医療補助で生まれた当事者の声を紹介しておきましょう。

血がつながっていなかったということにはもちろん驚くが、それよりも長い間親が隠していたということ、隠したいと思っているということにショックを受ける。子どもにとって親は最も信頼できる存在のはずなのに、その関係のなかにうそがあったということが一番悲しい。

これは事実を知る年齢が遅くなればなるほど、子どもに与える影響は大きい。多くの親は告知をした後もその話題を極力避けるようにする。そういう親の、さらにまだ隠したいという態度を見ることで、子どもは自分がそんなにも親が隠したいと思っているような技術で生まれてしまった恥ずかしい子なのかというふうに感じてしまう。親が自分を認めてくれていないと感じてしまう。

出典:出典:非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ会員,2010,「子どもの出自を知る権利について─AID(非配偶者間人工授精)で生まれた子どもの立場から」日本学術会議『学術の動向』,2010年5月,p.47

 これは、いま話題の日本学術会議の発行する『学術の動向』というジャーナルの2010年特集です。

 日本学術会議は、2007年11月に厚生労働大臣と法務大臣の連名により、当時問題となっていた代理母(代理懐胎)を中心とする生殖補助医療の問題についての審議依頼のもと審議と提言をとり、かつ継続的に議論を続けたのです。

 その中でも大きな焦点となったのが、子どもの権利であり、とくに出自を知る権利でした。

 今回の民法特例法改正によって、母と父が決められるようになるのは良いことですが、医療機関などに子どもの「出自を知る権利」の保障のための記録義務も課されず、権利実現の責務もないのだとすれば、民法上の父母が拒否した場合、自分の出自を子ども自身が知ることができず、親が隠蔽しつづけられるようになる懸念も大きくなります。

 万が一、法律上の父母が離婚する場合に、いずれかの親から心ないアウティング(心ない暴露)を受けた場合に、子どものアイデンティティ保障や心の不安に伴う不利益はどのように救済されるのでしょうか。

 あるいは病気治療の際にも、実親だと思い込んだまま親の病歴などを記入する(あるいは精子・卵子提供者の病歴を知ることができない)ことによる子ども自身の健康上の不利益なども起こりうるのです。

 私自身は、教育学の専門家であり、生殖医療の専門家ではありませんが、子どもの権利と尊厳を大切にしている立場から、日本の生殖医療についてはもっと当事者(子ども)自身の視点からの議論が進められるべきと考えています。

 だからこそこの法案で、厚生労働省や法務省、日本学術会議が想定したよりも、子どもの権利がもっと損なわれてしまうことになりかねないことを憂慮します。

 子どもの16人に1人が生殖医療で生まれる日本にあって、親も子どもも幸せに成長していくことを目的とした、法や政策、支援制度の充実が急務だと考えます。

2.生殖補助医療で生まれた子どもも、親も幸せに成長していくために必要な丁寧な議論

 私自身も、不妊外来に通院したこともありますので、カップルが、生殖補助医療を利用して、子どもを産みたいと熱望する気持ちは分かります。

 生殖補助医療自体が、カップルにとって、葛藤があったり熟慮を要する選択肢であり、出産に至るまでのプロセスも多くの困難を経験されていることとは、痛切に理解します。

 だからこそ、生殖補助医療で生まれた子どもも親も、ともに幸せになってほしいのです。

 子どもに出自を隠し続けて育てていく親は幸せでしょうか?

 親に出自を隠されて育つ子どもは幸せでしょうか?

 生殖補助医療で子どもが生まれるまでの経緯を、苦しみも喜びも含め子どもに共有していく親の勇気こそが、親子の幸せにつながるものである可能性を私は信じたいと思います。

 

 近年では「子どもが出自を知る権利」を大切に考え、第三者の卵子・精子提供による出産であることを伝える試みも広がっているそうです。

 「医師には『だれにも話さない方がよい』と言われたが、うそが重荷になってきました」

 織田さん(仮名)は9年前、娘が13歳の時にAIDで生まれた事実を伝えた。娘は「うん、わかった」と答えたという。「もしかしたら荒れ狂うかもしれないと心配していたけど、気が抜けてしまいました」。娘は現在大学生。告知後も親子関係に変化はないという。

 約10年前に無精子症がわかったという男性は、AIDで息子を持つまでの夫婦の体験を披露した。「息子はまもなく3歳。そろそろ告知のタイミングだと考えています」

   (略) 

 告知が広がる背景には、大人になって事実を知った当事者たちの抱える深刻な問題が明らかになってきたことがある。AIDで生まれた当事者の自助グループ「DOG」を主宰する石塚幸子さん(38)は「親に隠されていたショックや怒りで、今まで信じていたものが突然崩れてしまう感覚に襲われる」と話す。

出典:朝日新聞「「出自を知る権利」どう守る 絵本で子に伝える試みも」2018年2月15日記事

 こうした「子どもが出自を知る権利」を広げると卵子・精子提供者がいなくなるとの懸念もあるでしょう。

 しかし、ドナーは自分が提供した精子・卵子で生まれた子どもが苦しんでほしいのでしょうか?

 「出自を知る権利」を前提に、精子・卵子提供をしていく仕組み、生まれた子どもが知りたいと望んだときに、その人が生きていれば遺伝子上の“親”と会うことができる仕組みなど、生まれた生命に対する責任をともなわず、無制限に生殖補助医療が拡大してよいのでしょうか?

 私個人だけではこの答えに解は示せません。

 それは議員立法しようとする国会議員も同様ではないでしょうか。

 だからこそ、子どもの視点に立った議論が大切なのだと私は考えます。

 

 子どもを置き去りにした生殖補助医療法が成立して親子は幸せになれるのでしょうか。

 最後に当事者の声を学術会議ジャーナルからもう一度紹介して、この記事を終わることにしましょう。

 

 当事者(子ども)の訴えの重みを、国会は、そして私たちの社会はそれを受け止める必要があるのではないでしょうか。

 私は事実を知った後、親のもうこの話題は避けたいという態度に傷つき、親がひたすら隠そうとする様子を見て、自分はそんなにも隠したい技術で生まれているのかということがとても悲しかった。子どもは結局みんな、親にありのままの自分を認めてほしいと思っている、そしてそうしてもらえることが親子の安心感につながる。血がつながってないということを隠されれば隠されるほど、では血がつながってないと親子ではないのかと言われているように感じてしまう。

 もう一つは、一度崩れてしまった自分を再構築するための情報と環境。これはアイデンティティーが崩れるという感覚を感じ、失われてしまった、空白になってしまった部分を埋める作業である。それが私たちには今必要になっている。そのためにはこの技術がどんなもので、誰がかかわっていて、親がどんな思いでこれを選んだのかというようなことを一つずつ確認しながら埋めていくしかない、そうしなければこれは解決できないことだと思う。もちろんそれは一人でできることではなく、相談できる機関や人が必ず必要である。そして同じ立場の当事者の存在というのも、とても救いになると思う。

 提供者の情報については、私は提供者に会いたいと思っている。提供者についても、その存在を隠すのではなく、提供者がいたことで今、自分がここに存在している、ということを確認させてほしいと思う。そのためには断片的な情報、身長や体重、職業ということでは十分ではない。

 私はその人に会いたいと思う、実際に会って実感としてそこに人がいたということを確認したい。そのためにはやはり限定された情報ではなく、個人を特定できるまでの情報でなければ十分ではないと思う。

出典:出典:非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ会員,2010,「子どもの出自を知る権利について─AID(非配偶者間人工授精)で生まれた子どもの立場から」日本学術会議『学術の動向』,2010年5月,pp.48-49

日本大学教授・こども家庭庁こども家庭審議会部会委員

末冨 芳(すえとみ かおり)、専門は教育行政学、教育財政学。子どもの貧困対策は「すべての子ども・若者のウェルビーイング(幸せ)」がゴール、という理論的立場のもと、2014年より内閣府・子どもの貧困対策に有識者として参画。教育費問題を研究。家計教育費負担に依存しつづけ成熟期を通り過ぎた日本の教育政策を、格差・貧困の改善という視点から分析し共に改善するというアクティビスト型の研究活動も展開。多様な教育機会や教育のイノベーション、学校内居場所カフェも研究対象とする。主著に『教育費の政治経済学』(勁草書房)、『子どもの貧困対策と教育支援』(明石書店,編著)など。

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