維新・梅村氏に続き音喜多氏も「炎上」、川村参考人もミスリード―23日の国会が酷すぎた
現在、入管法改定案が審議されている参議院法務委員会。日本維新の会の梅村みずほ参議院議員の一連の質疑が、2021年に名古屋入管で亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの遺族や支援者を著しく傷つけるものだとして、与野党から批判され、梅村議員は更迭された。だが、梅村議員のかわりに、23日の法務委員会で質疑した維新の音喜多駿政調会長の質疑も、梅村議員と同じような認識であることに、ネット上で批判の声が相次いだ。また、同日の法務委員会で参考人として答弁した川村真理杏林大学教授の発言も、あまりに法務省および出入国在留管理庁(入管)寄りで、事実とも異なるとの批判が、特に入管問題に取り組む弁護士などから指摘された。
〇維新は全く反省していない
DV被害者であり、本来はDV防止法に基づき保護されるべきであったのに、名古屋入管に収容された挙句、健康状態の著しい悪化に対し、名古屋入管が具体的な治療を受けさせなかったため、2021年3月、非業の死を遂げたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)。今国会での入管法改定案の審議においても、ウィシュマさんのような悲劇をくり返さないことは、重要な論点とされている。ところが、梅村議員は「ハンガーストライキによる体調悪化によって亡くなったのかもしれない」(今月16日・法務委員会)「支援者のひと言がウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況につながったおそれも否定できない」(今月12日・本会議)等と、根拠の無い発言を連発。議場は大荒れとなった。政府与党や入管側からさえも「そうした事実はない」等と否定され、18日、維新は梅村議員を更迭した。
更迭された梅村議員の穴を埋めるかたちで、同23日の法務委員会では、維新の音喜多議員が質疑に立ったが、彼は政調会長として、梅村議員の質疑を事前に了承していたことや、音喜多議員自身も、入管施設に収容されている被収容者への支援活動にあらぬ疑いをかけるような、質疑を行ったため、批判が相次いでいる。音喜多議員は、難民審査参与員の経験のある識者に「社会と被収容者との摩擦を引き起こしかねない支援団体があると聞いたことは?」と質問したが、参考人として答弁した阿部浩己明治学院大学教授は「特に認識していない」、川村真理杏林大学教授も「私の経験上、無い」と否定したのだった。
この音喜多議員の質問に対し、入管問題に取り組む団体の一つ、START(外国人労働者・難民と共に歩む会) 静岡支部の公式アカウントが「音喜多氏は梅村発言に関して謝罪をしたものの、質問の内容は更迭された梅村氏と変わり映えしなかった。つまり、梅村議員本人だけの問題ではなく党としての問題」とツイートするなど、ツイッター上では、「反省してない」「梅村議員だけでなく音喜多議員の処分も必要では?」音喜多議員や維新への批判が相次いだ。
〇川村参考人のミスリードに批判
他方、23日の法務委員会では、参考人として出席、意見を述べた川村教授の発言内容も批判の的となった。日本の入管制度については、非正規滞在者を収容施設に拘束(収容)する期間に上限が無いことが、「事実上の無期限収容となり、国際人権規約に反する」等と、国連の人権関連の各委員会や専門家等から問題視されている。また、収容に上限があれば、収容施設から出て病院で治療を受けられた等、ウィシュマさんの死に直接関係していた問題でもある。
これについて川村教授は、
「例えば、イギリスは一度上限設定をしたが、これが実現ができずに、また無期限に。法律の条件は今設定されていない」「オーストラリアも上限がない」
等と、他の国々でも収容期間の上限がないことをあげ、日本の入管制度を擁護した。これに対し、入管問題に取り組む弁護士達からは批判の声が上がった。例えばウィシュマさんの遺族の弁護団の一人である高橋済弁護士は、自身のツイッターで、川村教授について「ヨーロッパはイギリス以外全て収容期間があることを言わなかった」と指摘し、「赤信号みんなで渡れば怖くない、ということを国際人権法学者が口にした」と批判した。
なお、イギリスについては、入管収容からの保釈を裁判所が判断するなど、日本の入管収容とは全く異なる。やはり入管問題に取り組む、西山温子弁護士は、「川村教授がイギリスの『収容』が無期限だと引き合いに出したとか。収容者への待遇の日英の違いを知ってほしい」とツイートした。
〇当たり前だが真摯な審議を
本来、日本の法制度の問題点を明らかにし、より良いものへと改善していくことが、ウィシュマさんの事件を受けての、入管問題への取り組み方なのであろうが、国会審議では、そうした課題から目を背けるようなミスリードが行われたり、あろうことか支援者に責任転嫁するような動きがあることは、非常に残念なことだ。当然であるが、真摯な国会審議が行われることが極めて重要であろう。
(了)