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[甲子園]勝敗の分水嶺 第13日 近江・多賀章仁監督は、なぜあそこでスクイズしたのかを聞きたい

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

「近江は、八番の大橋(大翔)がなぜか打点を稼ぐ。だから下関は、大橋の前に走者を出したくないと思いますよ」

 近江(滋賀)と下関国際(山口)の準決勝前。選手として、夏の甲子園準優勝経験のある若い知人との雑談である。

 そうなのだ。大橋はたとえば、鳴門(徳島)との1回戦では、8回1死一、三塁からダメ押しの2点二塁打。シーソーゲームだった高松商(香川)との準々決勝では、2対2に追いつかれた3回2死満塁から左前へ勝ち越し打、また3対3とされた5回裏にも、2死一、二塁から中前へ勝ち越し打。そういえば準優勝したセンバツでは、浦和学院(埼玉)との準決勝で延長11回、それまでの不振を吹き飛ばすサヨナラ3ランを放っていたっけ。

 そして。近江・多賀章仁監督が「思わしくない状態」というように、明らかに本調子ではない山田陽翔が、初回に1点を失って迎えた2回裏だ。

 近江が四球と振り逃げで無死一、二塁とすると、下関・坂原秀尚監督は「古賀は、ブルペンから球が浮いていた。ここまで早い継投は初めてですけど、想定内」と、先発の左腕・古賀康誠から、ショートに入っていた仲井慎にスイッチする。それに対し近江はバントで送って1死二、三塁とし、打席には大橋。若い知人のいう"大橋の前に走者を"置いた場面だ。

 ここで下関の内野陣は、バックホームに備えて前進守備を敷こうとした。だが坂原監督は、これを定位置に戻す。内野ゴロの同点ならOK、それよりも前進守備の間を抜かれての同点、さらにピンチが拡大することを避けたいというそろばんだろう。そして、一塁側の近江・多賀章仁監督の出したサインは……。

 スクイズ! 

 だが、大橋はこれをファウルグラウンドに浮かせ、捕球した捕手が三塁に送ると、スタートを切っていた三走・石浦暖大が戻れず併殺。近江は無得点に終わる。

 2—1というボールカウントは、確かにスクイズの仕掛けどきかもしれない。だが、内野は定位置だ。よほど強い打球じゃない限り、転がしさえすれば得点の確率はそこそこある。かりに本塁で憤死しても、2死一、三塁とチャンスは残るのだ。交代から2人目に、近江のいわばラッキーボーイ、得点源の大橋を迎えた仲井にとっては、打ってこられるほうがイヤだったのではないか。

リモート取材の悲しさなんです……

 この下関の守備シフト、近江のスクイズについての機微だが、コロナによるリモート取材の悲しさだ。私には質問の権利がなく、リモート会見で監督に質問する人がだれもいなかった。

 これは独り言である。この攻防こそ、両監督に確認するべきポイントではなかったかなぁ。取材時間が限られている事情はわかるが、なぜだれもそのことに触れないのかは素朴な疑問である。

 さて。近江は、3回に同点に追いつきはしたものの、2対2の5回、1死満塁を逸すると、流れは一気に下関に傾いた。直後の6回、いまだに制球の安定しない山田が、2者連続四球と野選で招いた無死満塁から2点を献上。その適時二塁打は、ぎりぎりでライト線に落ちる泥臭い打球で、「(山田は)カウントを取れないし、逆に2ストライクを取っても粘られる」(多賀監督)という下関打線のいやらしさがボディーブローのように効いた。「あの2点が痛かった」とは多賀監督だ。

 ただその裏、6回の近江。無死一塁から、こちらが勝手に考えているラッキーボーイの大橋に回り、多賀監督は強攻を選択する。これが三振に倒れると、一走のけん制死のあとに四球を選んだりというちぐはぐさが、反撃の余力を削った。多賀監督も、大橋がキーであることをおそらく感じていたのだろう。

「大橋は、その前の打席でもライトにいいヒットを打っていたので強攻させましたが、あそこがまずい流れでした。バントさせてもよかったのか……」

 むろん、大橋がバントして1死二塁にしても、点が入る保証はない。ないが、「流れとして」うまくなかった、というのが多賀監督の野球観だ。ただ、多賀監督はいう。

「甲子園3季連続4勝のうち、山田が11勝。野球も、ハートもすばらしく、こういう子がいるうちに日本一、と思っていました。それはかないませんでしたが、近江高校の野球部にとって大きな財産を残してくれました」

 確かに、昨夏から今春、そしてこの夏と、山田の存在がどれだけ輝いていたことか。そういえば……いつか私用で多賀監督と交わしたメールに、こんな文面があった。

「あの山田という男、これからが楽しみです。応援してやってください」

 応援します。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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