「素材はすべて活かす」――。稀代の美食家が考案した【始末料理】 鮑とろろ、野菜のヘタとくらげの酢の物
擦りおろしたごま、きゅうりや人参などのありあわせの野菜のヘタにくらげも加えて、 酢を少々。 シャキッとした野菜とクニュッとしたくらげの食感の妙、ごまの香ばしさと酢の爽やか な酸味。シンプルでありながら、驚くほどおいしい。
美食家として名を馳せた北大路魯山人が考案した「始末料理」の一例である。ありあわせの野菜の、それも本来は捨てるべき「ヘタ」を使うところに、「素材はすべて活かす」 という魯山人の食に対する理念があらわれている。
もちろん食通の魯山人ゆえ、贅沢な料理も創造している。
そのひとつが「鮑 とろろ」。鮑をおろしがねで擦りおろし、とろろを合わせるのだが、 おろす時に手の熱を鮑に与えないために、隣に氷水を用意し、手を冷やしながら擦るのが 正しい作り方。
こうした魯山人の料理を食べてきた「魯山人寓居跡 いろは草庵」の正木秀侃館長がそ の味を伝えてくれた。
「『始末料理』を食べた時には、『これまで食べたことのない感覚だ。う、旨い!』と感じました。『鮑とろろ』は、とろろを食しているかと思いきや、形がなくなっていても鮑が 香り立ち、何とも言えない風味です」
魯山人風すき焼きにも特徴があるという。
「魯山人は砂糖を入れないすき焼きを作ることで知られています。鉄鍋に脂を引いて、一 度で食べられるだけの肉を入れて酒と醤油だけで食す。次に豆腐や野菜を入れて、やはり 味付けは醤油と酒のみですが、酒はいいものを使う。魯山人流の食べ方にはどれも独自性 が光っています」
実は正木館長は、山代温泉の老舗旅館「白銀屋」の一族の出だ。
「魯山人は亡くなる直前まで、ちょくちょく山代温泉に来ていました。うち(「白銀屋」) に泊まった時は、よく台所に立っては自分が食べるものを祖父と一緒に料理していました。 その横にはいつも祖母がいまして、『だしをとるのに、あんなに昆布を使ったら、誰でも おいしくなる』と笑っていたのを覚えています」
明治から昭和にかけて、書や陶芸、料理や絵画と幅広いジャンルで型破りな才能を発揮 した芸術家・北大路魯山人。
彼はなぜ石川県加賀温泉郷山代温泉の旅館の台所に立ってい たのだろう─ ─。
開湯一三〇〇年の由緒ある石川県加賀温泉郷山代温泉。その温泉街の真ん中に、明治時代初期の共同湯「総湯」を平成二十二(二〇一〇)年に復活させた「古総湯」が鎮座する。
二階建ての白木の湯小屋には男女別の浴場のみ。扉を開けると洗い場などはなく、湯船 がひとつあるだけで、当時の「湯あみ」スタイルを忠実に再現した。 湯船から湯を汲み上げて、かけ湯をしてから浸かると、ステンドグラス越しに光が射し、 つややかな湯を照らす。体にも光があたる。ふと壁面に目をやると、九谷焼のタイルで彩られている。実に雅な眺めだ。
そんな湯小屋「古総湯」の横で、柳の葉が風にそよぐ。
「古総湯」を囲むようにして、弁柄格子をあしらった老舗の旅館が連なり、街並みの景観 は統一されている。 人で賑わう温泉街にありがちなのぼり旗や屋台や露天商などは一切なく、すっきりとした佇まいには品がある。
この品格こそ、魯山人が大きく関わっているのだ。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。