【いい風呂の日】「お母さんの下の毛に白髪を見つけた。私達も出てくる?」素朴な疑問を投げかけた樹木希林
雪深い、山陰の小さな温泉地─ ─。
「今なら大浴場に行けるよ、行こうか」 樹木希林は悪戯っぽくスナックのママを誘った。
「いいな~、大浴場に行けて」 横にいた大女優・吉永小百合は、人目を気にして同行せず、二人を見送った。
スナックのママはこう回想する。
「大浴場は誰もいなくて、二人で温泉に入り、背中を流しあいました。希林さんの肌はと ても綺麗でした」
湯からあがって脱衣所で洋服を着ている時、ふと、樹木希林が呟いた。
「この前ね~、お母さんの下の毛に白髪を見つけたの。私たちも年を取ると出てくるのかね」。
当時三十代で、樹木希林より三つ年下のママは「私らは、まだ若いから、そんなこ と考えんでいいんよ」と返した。
名脇役で名を馳せた樹木希林とスナックのママとの、なんとも心の距離の近さを物語る 〝裸の付き合い〞である。
昭和五十六(一九八一)年からNHKで ドラマが三部作として放映され、映画化や 舞台化された「夢千代日記」は、昭和を代 表する名作のひとつだろう。
広島の原爆で胎内被爆した吉永小百合演 じる主人公・夢千代が、雪深い温泉街で芸者置屋「はる家」の主として、また自身も 芸者として奮闘する日々を描く。
物語は白血病を発病し、余命半年の告知を受ける場面から始まり、夢千代の〝消え入りそう な〞儚 はかな さを吉永小百合が好演している。
それに対して、樹木希林扮する芸者・菊奴は夢千代を「お母さん」と慕い、コケティ ッシュな魅力を振りまいて、観ている者の 救いとなっている。
そんな「夢千代日記」は、NHKドラマも東映の映画も、雪深い山陰の小さな温泉地・兵庫県湯村温泉で撮影されている。
樹木希林と背中を流しあったというスナックのママとは、出演者やスタッフが宿泊した 「湯村観光ホテル(現・朝野家)」の地下に併設されていたスナック「古城」の谷口佐智子さんのこと。
夕食を終えると、樹木希林、吉永小百合をはじめ、名取裕子、田中好子とい った出演者だけでなく、作・脚本の早 はや 坂さか 暁あきら もスナック「古城」に通った。
「夢千代日記」 の撮影チームにとって、佐智子ママは心許せる存在だった。
数多の著名人との交流があったという佐智子さんは、スナックの夜の営業時間以外にも、モーニングコーヒーのサービスもしていた。
出演者からオーダーが入ればコーヒーを部屋 に持っていき、客室で話し込んだ。
撮影中は一日一七時間もホテルでもてなしていたこともあり、佐智子さんは錚々たるスターの素顔を見てきた。
その中でも、「希林さんはあの まんま。裏表がない人で、喋り方も、テレビのあの通りなんですわ。私は大好きやった。 大切な友人です」と、樹木希林との交友を語る。
「希林さんは、ファンからもらった柿を『これ、持っていかない?』って、私やスタッフ に振る舞ってくれました。いただきものを独り占めするようなことはなく、いつも周りの人に気を遣っていましたよ」
一見、ざっくばらんなようでいて実は細かく気配りをする様は、樹木希林を評する際に よく語られる。
また、器用な一面も話してくれた。
「希林さんは、共演した女優さんからもらった仕立てのいい服を、自分で手直ししていて ね。『これ、自分で縫ったのよ』って見せてくれたことがあったけど、『ここは見ないでね ~。裏と表を間違えて縫っちゃった』って、その部分をつまんで見せてくれました。裏だと思い込んで縫ったら表だったみたい」 周囲に笑いを振りまくのは、イメージ通りの樹木希林だ。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。