【光る君へ】「まひろ」こと紫式部は、いつ頃から『源氏物語』の執筆に着手したのか?
大河ドラマ「光る君へ」では、「まひろ」こと紫式部が物語(『源氏物語』?)の執筆に着手した模様が描かれていた。『源氏物語』については謎が多いが、いつ頃から執筆を開始したのか考えてみよう。
『源氏物語』は五十四帖にわたる長編の作品で、文字数に換算すると約100万字におよぶ。物語は4代の帝の期間が描かれ、約70年という長期にわたっている。主役は、光源氏である(光源氏没後の子孫のことも描かれている)。
結論をいうと、紫式部がいつ『源氏物語』の執筆を開始し、いつ書き終えたのかはわかっていない。『紫式部日記』によると、寛弘5年(1008)11月には「若紫」の巻を執筆していたようである。これが、文献上における『源氏物語』の初見である。
むろん、相当な分量になるので、『源氏物語』が一気呵成に全巻が書かれたとは考えにくい。紫式部は各巻の構想を練っては少しずつ執筆し、周囲の反応を確認しながら、筆を進めたのではないかと指摘されている。常識的に考えても、納得の見解である。
その執筆の時期については、古来いくつもの説が提起されてきた。たとえば、紫式部が藤原宣孝との結婚前から結婚後の生活中に執筆したという説があるが、これは否定的な見解が根強い。
『無名草子』などによると、大斎院選子内親王から上東門院におもしろい物語を作って欲しいと要請があり、それを受けた紫式部は石山寺(滋賀県大津市)に向かったという話がある。
紫式部は八月十五夜の月影が湖水に映ったのを見て、『源氏物語』の須磨の巻を書き始めたといわれている。しかし、この話は逸話、伝承の類であって、史実とはみなし難いと指摘されている。
紫式部は宣孝の没後から宮仕え以前、『源氏物語』を書き始めたという説がある。夫の死後、紫式部は習作的な物語を書いていた。やがて、そうした作品が『源氏物語』に結実したという説である。
いずれにしても残念ながら、紫式部がいつ『源氏物語』を書き始めたのかの決定打に欠けている面がある。しかも『源氏物語』は原本が伝わっておらず、写本のみが残っている。今後の課題だろう。