名古屋の飲み屋横丁「ボンボンセンター」。さびれかけていた路地になぜ若者が集うようになったのか?
「路地がない」名古屋の酒場事情に変化が・・・?
「名古屋には路地がにゃ~(ない)」。河村たかし市長もことあるごとにこんなふうにぼやく名古屋の町並。戦後の広い道路を基軸とした都市整備によって路地が整理され、飲み屋が連なる横丁もあまり見かけません。名古屋は、人口に対する酒場の軒数やアルコール摂取量も全国平均より低く、呑んべには少々肩身が狭い町、というイメージが強かったことは否めません。
しかし、近年はそんな風評も少しずつ過去のものに。ここ10年ほどの間に立ち飲み、昼飲みできる店がずい分と増え、さらには新たに飲み屋が集まる通りがあちこちに生まれているのです。栄の「むつみ小路」、伏見の「伏見地下街(通称「長者町横丁」)」などがその代表格。そして今、じわじわ注目度が高まっている横丁が「ボンボンセンター」です。
路面電車の廃止で時代に取り残された場所に
ボンボンセンターは名古屋市昭和区の地下鉄桜山駅から徒歩2分。わずか50m足らずの路地に11の店舗が集まっています。
ユニークな名前は、レトロ喫茶として人気の「洋菓子・喫茶ボンボン」(東区)が1960(昭和35)年に整備したスポットだから。当時、界わいは市電も通る交通の要衝で、大変なにぎわいだったそう。その人出を見込んで、飲食店が軒を連ねるエリアが開発されました。開業後は洋菓子・喫茶の支店や飲み屋など、ボンボンの直営店もいくつかありました。
しかし、1974(昭和49)年に市電は廃止。地下鉄桜山駅が開業する1994(平成6)年まで20年の空白期間があり、市内各方面からの人の流入は激減してしまいます。ボンボンセンターもテナントが少しずつ歯抜けになり、古くからの店が細々と営業を続けている、という状態に。昭和の趣がそのまま残る路地は、時代に取り残されたさびしい場所になっていたのです。
20代の若者が店を継承、切り盛り。若返りのきっかけに
そんな状況に変化の兆しが現れたのは2010年代後半の頃から。「串カツと煮込み ハッピー」は2018年にオープン。「オーナーが表通りで居酒屋やラーメン店などを経営していて、この通りにもよく飲みに来ているんです。薄暗くて人通りも減ってしまっているのがさびしいと、この物件が空くと聞いてすぐ新しい店としてオープンしました」とは29歳で店を任されている店長の浅井柾登さん。
同じく2018年、22歳で「肴料理と焼酎 もり蔵(もりぞう)」の店主になったのは青山玲さん(28歳)。「中学を出てすぐ寿司屋の小僧になって、以来ずっと飲食業。ここはもともとお客として通っていて、そのうちに手伝うようにもなっていました。ある時、マスターから『ここ、買う?』と言われて、思い切って『買います!』といっちゃったんです(笑)」
店名はそのまま引き継ぎつつ、若いながらもキャリアのある調理経験を活かし、フードメニューを充実。和洋を問わず、お酒に合う料理を手際よくつくって出してくれます。「以前からのお客さんと新規のお客さんと半々くらい。ボンボンセンターの中でいろんな店をはしごして、ひと晩遊べるのが魅力です」と青山さん。
進む世代交代。10年余りで大半の店舗が入れ替わり
新しい風が吹いている現在の流れのきっかけをつくったのが、「昭和レトロ酒場元ミートルズ」店主の寸田貴裕さん(44歳)です。寸田さんはフレンチレストラン出身で、2009年に知人と共同でボンボンセンターの路地奥にバーを出店。入口横の喫茶店が2015年限りで閉店したのを機に現在の場所に移転しました。大通りからすぐの一等地の店が生まれ変わったことで、ボンボンセンター全体の若返りが印象づけられることになり、若い人も通りに入ってきやすくなるという変化が。寸田さんはその後、喫茶店、肉バルと業態を変え、コロナ禍のさなかに、昭和の玩具や雑貨などを集めたバルに大胆なリニューアルを図りました。
「昭和の博物館みたいに、おもちゃや本、雑誌などさわって遊べる店にしたかった。昭和をリアルに体験していて懐かしい、と感じる世代のお客さんもいれば、新鮮に感じてくれる学生さんや若い人も多いですね」と寸田さん。
10年以上、ボンボンセンターに根を下ろしている寸田さんは、ここ数年の変化を肌で感じ取っています。
「僕がボンボンセンターに来た2009年より前から残っているのは一軒だけ。15年の間に11軒中10軒が新しい店、オーナーに入れ替わりました。昭和レトロのブームもあって少しずつ若い人が足を向けるようになったのと、これまで店をやっていた人が引退するタイミングが重なり、お客として来ていた若い世代が店を引き継いでいるところもある。今は20代の店主、店長が11軒中4人。店の人間が若いので、若いお客さんにとっても安心感があり、客層も明らかに若返りました」
名古屋コーチン、巻き串、沖縄料理。専門店も続々オープン
ボンボンセンター内には11店舗があり、ジャンルがバラエティに富んでいるのも魅力。名古屋コーチンの炭火焼きがメインの「太炎堂」(たいえんどう)は中でも専門性が高い一軒。2019年にオープンし、25歳の店主が1人で切り盛りします。「店側も若い人が増えて、定着しやすくなった。かといって同世代ばかりでなく、上の世代の店の人たちとも仲よくさせてもらっていて、横丁全体のいい雰囲気につながっていると感じます」
昨年は2軒の新店舗が登場。6月にオープンした「野菜巻き串 にじ」の店主、三浦加帆さんは25歳。ボンボンセンターにはこの近くに住む友人と何度か足を運んでいて、旧店舗の店主が店を閉めると聞いてすぐさま手を上げました。「山梨県の店で5年間働いて、ここはその姉妹店という位置づけ。山梨の店も横丁にあったので、こういう雰囲気の場所でやりたいと思っていたんです」と三浦さん。「周りのお店の人も同世代が多いので、相談しやすいし、お客さんを紹介しあったりできる。私も休みの日はボンボンセンターの他のお店によく飲みに行っています」
11月にオープンした最新店が「ロジウラ琉球」。「駅周辺で物件を探していて、名古屋にはあまりない裏路地の空気感に惹かれてここに決めました」と店主の野村優太さん(40歳)。「桜山に住んでいる人にとっては、地元の人が集う場所になっている。通りの中の店で待ち合わせるとか、他のところで飲んで最後に一杯飲みに来るとか、いろんな使い方、楽しみ方をしてくれる。通り全体にアットホームな雰囲気がありますね」といいます。
各店の店主の言葉通り、お客も20~30代の若い世代や、初めて来たという人が目立ちます。「以前から気になっていて初めて来ました。めちゃくちゃいい雰囲気ですね。今度は他のお店にも入ってみたいです」(「ロジウラ琉球」/30代の子連れ夫婦)、「いつもは夫と来ているんですが、今日は東京から来た友達と。あえて名古屋っぽくないところに案内しようと思って連れてきました」「入り口の看板を見た時は“怪しい?”と思ったけどお店はオシャレで驚きました」(「太炎堂」/20代の女性グループ)、「何度かこの横丁で飲んでいる友人に誘われて初訪問。店の雰囲気は渋いのに店主が若くてびっくり。おいしいしコスパも高い。若い人がやるにはこういう場所の方がチャンスがあるだろうね」(「もり蔵」/50代の男性グループ)、「1人で飲んでいても変な目で見られないところが気に入ってます。他の店もいろいろ行っていて、お店で友達になる人もたくさんいます」(「元ミートルズ」/20代女性)
昭和レトロブームとアフターコロナの酒場事情が背景に
新旧交代が進み、新しいお客を呼び込んでいるボンボンセンター。この活気の背景には、昭和レトロブーム、そしてアフターコロナの酒場事情の変化があると考えられます。
SNS時代になって昭和レトロが“映える”と若い世代から注目を集めるようになり、ここ数年は飲み屋にまで彼らが足を運ぶ先が広がっています。さらに、コロナ禍によって大人数の飲み会は敬遠されるようになり、少人数で個性のある小さな店を選ぶ傾向が強くなりました。また、経営者側もリスクが高い大バコよりも小回りの効く小バコに着目するように。若い独立開業志望者にとっても、横丁の物件は家賃が安い上に、小さい分やりたいことを反映させやすく魅力的でした。
一周・・・いや二周まわって令和の時代にマッチした名古屋の飲み屋横丁、ボンボンセンター。空間からは昭和のノスタルジックなムードを味わえ、店の雰囲気からは令和の時代に求められるにぎわいや空気感を体感できます。もう「路地がにゃ~」なんていわせない、昭和、平成、令和と三つの時代を超えた横丁で飲み歩きをお楽しみください。
(写真撮影/すべて筆者)