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大庄で「過労死ライン」以下の労災を認定 基準改定で何が変わったのか?

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:イメージマート)

残業時間が過労死基準に届かなくても、労災認定

 今年9月、過労死を労災認定するための基準が20年ぶりに改定された。12月に入り、この新しい基準に基づいて、脳内出血による労災が認定された飲食チェーンの事件が報道されている。

 従来の過労死基準では、脳・心臓疾患の発症を労災として認めるに際して、発症する直前の1ヶ月間で100時間、直前の2ヶ月から6ヶ月間で平均80時間の残業をしていたという労働時間の基準を定めており、この時間がもっとも重要とされていた。

 実はこの残業時間の基準そのものは、9月の改定でも変更されていない。ところが、今回の飲食チェーンでの事件では、残業時間が月80時間に達しなかったと労基署に判断されていたものの、過労死基準が新しくなったことで、労災が認定されたという。

 新基準には残業時間以外にどのような規定があり、今回の労災認定に影響したのだろうか。そして、この変化は、これからの労災被害者や遺族に対し、どのような影響を与えるのだろうか。

長時間残業と深夜勤務で脳内出血、左半身に麻痺の後遺症

 今回労災が認定された事件の概要は次のようなものである。

 報道によれば、労災が認められたのは、居酒屋チェーン「庄や」を運営する「大庄」で調理師として勤務していた正社員の男性だ。男性側の主張によれば、2008年から同社に勤務し始めた男性は、2015年から茨城県内の大型店舗に配属され、夕方から深夜までの勤務を多く行っており、午前3時の閉店後も、翌日の準備を終えて始発電車で帰宅していた。

 その合間に日中に勤務することもあったという。このような働き方を1年近く続けた2016年1月、勤務中に脳内出血で倒れて半年間入院し、左半身に麻痺の後遺症が残ってしまった。しかし、男性の残業時間については、発症直前の2ヶ月から6ヶ月前の平均で、当初の労基署の認定では66時間(不服申し立てによって75時間半まで認められた)であり、労災が支給されなかった。

 労災認定がされなかった後の手続きについて簡単に説明しておこう。労基署が労災を認めなかった場合、改めて労災認定を認めるよう、不服申し立てを起こす手続きが可能だ(審査請求、再審査請求)。それでも労災認定が降りない場合には、厚労省を相手に、地裁、高裁、最高裁に、労災不認定の結果を覆すよう行政訴訟を起こすことができる。

 この飲食チェーンの事件においても、2016年3月に労基署に労災申請を行ったが、その段階では労災認定がされなかった。不服申し立てを経て、2019年には東京地裁において行政訴訟の提訴にまで至っていた。しかし、判決を待たずに、新基準への改定を受けて労基署がこれまでの評価を改めるという変則的な動きがあり、労災認定となったとのことだ。

 では、本事件が今回の改定にどのように影響を受けているのだろうか。

改定された過労死基準の主な内容とは?

 改定後の労災認定基準は、厚労省の「脳・心臓疾患の労災認定」がわかりやすい。このパンフレットは今年11月にようやく作成され、厚労省のホームページにアップロードされたものだ。本記事ではこのパンフレットに依拠しながら、2点に絞って、改定後のポイントについて説明したい。

 もともと過労死基準においては、1ヶ月100時間または2〜6ヶ月の平均80時間という上記の長時間残業の基準を満たすことを前提としながら、「不規則な勤務」「拘束時間の長い勤務」(具体的には「労働密度(実作業時間と手待時間との割合等)」「休憩・仮眠時間数及び回数」など)、「出張の多い業務」、「交代制勤務」「深夜勤務」などについても、「労働時間以外の負荷要因」として労災認定のために項目化されていた。

 実際の数字を見ると、2020年度においても、脳・心臓疾患の労災が認定されたうち、残業時間が月平均80時間未満だった場合は、194件中わずか17件のみだ。これまで残業時間の基準が決定的な判断根拠であったことは間違いない

 2021年9月の改定の第一のポイントは、この「労働時間以外の負荷要因」の位置付けが、明示的に重視されるようになったことだ。月100時間か平均月80時間という「水準には至らないがこれに近い時間外労働が認められる場合」において、「特に他の負荷要因の状況を十分に考慮し、そのような時間外労働に加えて一定の労働時間以外の負荷が認められるときには、業務と発症との関連性が強いと評価できる」とされた。残業時間が上記の基準を満たしていなくても、近いのであれば、他の負荷要因次第で、労災が認められる可能性を明確にしたのである。

 さらに改定の第二のポイントは、この「労働時間以外の負荷要因」の項目として、「休日のない連続勤務」(「連続労働日数」「連続労働日と発症との近接性」「休日の数」など)、「勤務間インターバルが短い勤務」(具体的には「勤務インターバルがおおむね11時間未満の勤務の有無、時間数、頻度、連続性等について評価」など)、「その他事業場外における移動を伴う業務」、「心理的負荷を伴う業務」(「パワーハラスメント」「セクシュアルハラスメント」など)、「身体的負荷を伴う業務」などが新しく加わっていることだ。

 今回の飲食チェーンの労災認定においては、長時間残業に加えて、「不規則な深夜勤務」を考慮したという説明が労基署から代理人弁護士にあったという。従来の過労死基準にも「深夜勤務」は項目化されていたが、「労働時間以外の負荷要因」を重視する改定が影響したといえそうだ。

過労死は認められやすくなったのか?

 今回の労災認定は、従来では認められづらかった残業時間の基準を満たさない事件において、労基署が新基準に基づき、「労働時間以外の負荷要因」を重視した結果であるという点は、画期的といえよう。

 ただし前述のように、月の残業時間が平均80時間未満であっても、これまでも2020年度17件、2019年度23件、2018年度15件(うち2件は月平均60時間未満)、2017年度13件(うち2件は月平均60時間未満)と、毎年10〜20件ほどは脳・心臓疾患の労災は少数とはいえ認められていた。このため、今回の一件だけでは、その変化を手放しで評価できはしない。これからどれくらい、月平均残業80時間未満の認定数が増えるかにかかっている。

 何より、過労死遺族や支援者団体は、月平均80時間という残業時間の基準を緩和することを求めている。WHOなどは国際的な調査に基づいて、月60時間の残業で死に至る危険があると主張しており、そもそも厚生労働省自身も月45時間を超えて長くなればなるほど、仕事と脳・心臓疾患の発症との関連性が強まるとは述べている。このように、月平均残業80時間という認定基準じたいを大幅に引き下げ、根本的に過労死の労災を認められやすくすることが急がれているといえよう。

新認定基準の確実な「効果」とは

 今回の過労死基準の改定の一つの効果として、残業時間が過労死基準に達していなくても労災が認められると被害者や遺族に知らしめたことの影響が指摘できよう。

 過労死の労災認定までの根本的なハードルとして、被害者や遺族が、労基署に労災申請を行えるかどうか、さらにいえば認定が却下されても労災申請を貫き通せるかという問題がある。

 今回の飲食チェーンの事件については、被害者本人が生存しているとはいえ、労災申請から不服申し立て、地裁での訴訟と、6年近くのあいだ争い続けた末の労災支給決定である。これほどに粘って闘うことは、精神的にも金銭的にもかなり困難なことだったと思われ、稀なケースであるといえよう。

 そもそも月平均残業が80時間に達していない時点で、最初の労災申請すらあきらめてしまった被害者や遺族も多いのではないだろうか。その点で、今回の改定が日本社会に与えた、残業時間の基準を満たしていなくても労災認定の可能性があるというメッセージが発せられたことは、非常に重要だ。

おわりに

 長時間労働などの業務上の理由で、自身が脳や心臓、精神などの体調を崩してしまった場合、あるいはご家族が亡くなってしまった場合に、被害者自身や遺族には、労災申請をためらわないでほしい。

 被害者の権利を回復することが重要であることはもとより、過労死の事実が隠蔽されてしまえば、社内の長時間労働やハラスメント体質が見過ごされ、過労死・自死・鬱の被害者が再生産されてしまうという問題もある。

 とはいえ、長時間労働などの証拠を集め、どの過労死基準に当てはまるかを強く労基署に訴えるには、その方法を当事者や遺族だけでは考えることは困難だろう。そんなときのために、NPOやユニオン、弁護士などの過労死・過労自死の専門家がいる。ぜひ、相談してみてほしい。

*なお、こうした支援活動の拡大のため、筆者が代表を務めるNPO法人POSSEでは、過労死遺族が労災補償を受けられるサポートを行うためのクラウドファンディングを12月26日まで実施している。過労死・過労自死遺族の支援に関心のある方は、ぜひ支援も検討してみてほしい。

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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