宝塚歌劇花組『鴛鴦歌合戦』が愛される3つの理由とは?
宝塚歌劇花組公演『鴛鴦歌合戦』がとにかく楽しい!
この作品は1939年にマキノ正博監督によって製作された同名の映画を舞台化したものだが、元の映画は1時間余りの小品で、ストーリーも他愛ない。だが、その愛すべき世界観を大事にしつつ、タカラヅカ版は新たに加えたエピソードによってキャラクターの魅力が増幅され、スケールアップしている。原作映画にはいない登場人物も負けじと個性が際立ち、結末も幸せいっぱい。そこに大切なメッセージがさりげなく忍ばせてある感じもよかった。
原作が「オペレッタ映画」であり、本作も「オペレッタ・ジャパネスク」と銘打っているだけあって、歌い繋いで物語を紡いでいく形式だ。東京に来てキャストそれぞれの歌にさらに情がこもり、オペレッタの醍醐味を堪能させてもらった気分である。
ここでは、原作の映画からバージョンアップした部分はどこなのか、それによって何が変わったのかを整理することで、タカラヅカ版『鴛鴦歌合戦』の魅力を掘り下げてみようと思う。
◆原作映画のユニークな登場人物たち
物語の舞台は江戸時代、花咲藩の城下町だ。木刀削りで清貧に暮らす浪人・浅井礼三郎(柚香光)と、隣に住む傘張り職人の娘・お春(星風まどか)はお互いを憎からず思っている。
だが、礼三郎はとにかくモテる。親衛隊を常にゾロゾロと引き連れてやってくる大店のお嬢様おとみ(星空美咲)と、礼三郎の親が決めたという許嫁の藤尾(美羽愛)の存在にヤキモキしながら、お春は毎日を過ごしている。お春の父・志村狂斎(和海しょう)は、せっかく稼いだお金をすぐに骨董に使ってしまい、食うに困る有様。これまたお春の悩みの種だ。
花咲藩の殿様・峰沢丹波守(永久輝せあ)もまた政務そっちのけで骨董に現を抜かしていた。ある日、殿様が狂斎の家を訪ねてきて、お春を見初め、妾に欲しいと言い出す。すでに骨董屋で掛け軸を買うために殿様から50両出してもらっていた狂斎は、この申し出を断り切れない状態に(実はこれ、すべて藤尾の父である遠山満右衛門のはかりごとだった)。いっぽう、おとみの礼三郎へのアプローチもさらに激しさを増し…果たして、礼三郎とお春の恋路やいかに?
と、原作の映画はそんな話である。とにかく登場人物たちのキャラクターが色濃く、それはタカラヅカ版でも忠実に描かれている。お春の父・志村狂斎(和海)は確かに骨董狂いだが、骨董よりも大切なものがあることは知っており、土壇場では潔い決断ができるところが気持ちの良い人物だ。
偽物ばかりを売りつける道具屋六兵衛(航琉ひびき)。冷静に見たら随分とひどい骨董屋だが、そんな店でも何故か許されている。恋の病で寝込んでしまった娘のために一計を案じる遠山満右衛門(綺城ひか理)は策士だが、これまた憎めない。そんな大らかさが、この作品の魅力的な世界観を形作っている。
◆タカラヅカ版、3つのバージョンアップ
この原作映画とタカラヅカ版との違いは、以下の3つにまとめられるだろう。そして、この3つのポイントが、舞台版のバージョンアップにうまくつながっている。
まずは「お家騒動」、そして「鴛鴦の香合」の秘密についてのエピソードが加えられていることである。ここでさらに、個性的な面々が新たなキャラクターとして登場する。
花咲藩の行く末を案じる、健気な正室・麗姫(春妃うらら)。頼れる家臣・蘇芳(紫門ゆりや)の存在は重みを感じさせるが、どこか抜けているようなところに親近感を覚える。そして、殿様の母上・蓮京院(京三紗)が、その飄々とした立ち居振る舞いでもって、一連の騒動の決着をつけてしまう。
また、このエピソードのおかげで、礼三郎と殿様の魅力が増幅していたように思う。
紛失したはずの「鴛鴦の香合」を持っていたのが礼三郎(柚香)だったということで、彼が実は殿の兄君だったことが明らかになる。礼三郎は単なるイケメン侍ではなかったというわけで、そのすっきりとした立ち居振る舞いの中に、由緒正しい血筋ゆえの品格と奥ゆかしさも感じさせる。
殿様(永久輝)も改心して、これからは政務に真面目に励むことを宣言する。骨董と女性が大好きな殿様はそれだけでも愛らしさ十分なのだが、このエピソード追加によって人間的な奥行きも増していたと思う。
ポイントの2点目は、3組のカップルが誕生するという、まるで『ME AND MY GIRL』を彷彿とさせる多幸感いっぱいの結末である。
ここでまた新キャラクターとして、殿様の弟君・秀千代(聖乃あすか)が登場する。いかにも末っ子らしい第一印象と藤尾を想うあまりの八面六臂の活躍ぶりとのギャップが愛おしい。そして、おとみに付き従う三吉(天城れいん)は、わがままなお嬢様に大事なことを教えて、その心を見事に射止めてみせる。
結果、お春と礼三郎に加えて、おとみと三吉、藤尾と秀千代の3組のカップルが成立してしまうのである。さらに、お春・おとみ・藤尾の3人の「女の友情」が生まれるのもいい。ご都合主義と言ってしまえばそれまでだが、この作品の世界観の中では、それもありだなと思う。
そして3点目は、タカラヅカらしい華やかな場面の挿入である。幕開きのチョンパでは、客席のあちこちから歓声が漏れる。そして中程の夏祭りの場面も楽しい。こうした場面を、瓦版売りの二人組(一之瀬航季・侑輝大弥)が頼もしくリードしている。また、殿様がご自慢の骨董品の由来を説明する場面で、『平家物語』の敦盛(帆純まひろ)のくだりが再現されるところなども、タカラヅカらしい工夫といえるだろう。
3年ぶりに開催されるはずだった「鴛鴦歌合戦」を中止にして、礼三郎とお春の祝言が賑々しく執り行われるところで幕となる。色々と盛られているタカラヅカ版だが、最後は原作映画のメッセージをきっちり伝えている。「ちぇっ」が可愛いお春(星風)は、礼三郎への愛を貫くために、何千両もの価値があるという壺を惜しげもなく叩き割ってしまう。何故この他愛ない物語にかくも心惹かれるのだろうと考えてみると、結局のところ、このお春のアッパレな行動に行き着くのである。
お金でもお家でもない、人にはもっと大切なものがある。それは「愛」だというメッセージがじんわり泣ける。しかし、よくよく考えてみれば、これはタカラヅカ作品全般に通じるメッセージでもある。よくぞこのような題材を掘り起こしてきたものだと、そのアンテナにも舌を巻くばかりだが、結局この作品が選ばれた理由も、そんなところにあるのかなと思う。