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ペナントレースの折り返し過ぎで火の国サラマンダーズがマジック1を点灯【九州アジアリーグ】

阿佐智ベースボールジャーナリスト
7月24日のB-リングス戦で5号HRを放った水本大志(火の国サラマンダーズ提供)

 巷はオリンピックに沸き立っている。プロ野球NPBはそれに合わせて一軍の公式戦を中断しているが、独立リーグは夏場を迎えてペナントレースも佳境を迎えている。7月後半に入って以降、15日から昨日まで、九州アジアリーグ(KAL)は、交流戦2試合、公式戦6試合の計8試合を大分、熊本両県の各地で実施した。

 まず、15、16日の両日は四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツを迎え大分、熊本で1試合ずつを行った。このシリーズは大分B-リングス、火の国サラマンダーズとも勝利を収め、KAL側の連勝に終わった。愛媛マンダリンパイレーツは今シーズン2度目となるこの遠征で、今シーズンの九州での試合は終了。KAL両球団との対戦は1勝2敗に終わった。またこの週末には、徳島インディゴソックスを迎えての連戦が予定されていたが、こちらは両日とも雨天中止に終わった。

23日の八代でのB-リングス戦で初ホームランを放った浦木直大(火の国サラマンダーズ提供)
23日の八代でのB-リングス戦で初ホームランを放った浦木直大(火の国サラマンダーズ提供)

 

 週がかわってからは、リーグ公式戦が再開。21、23日の試合ではサラマンダーズが連勝。その翌日はB-リングスが6対3でリベンジを果たしたが、続く25日の試合ではサラマンダーズ打線が爆発し、14得点で大勝した。28日からは大分で連戦を行ったが、これもサラマンダーズが連勝を飾った。21日の試合で、2球団による公式戦は折り返しの18試合目となったが、サラマンダーズ圧倒的優位のペナントレースの状況は変わらず、29日の試合終了時点で両軍のゲーム差は13。残り試合数も13なので、現時点でサラマンダーズのマジックナンバーは1となっている。この週末からは、再び交流戦期間となり、ソフトバンク三軍、琉球ブルーオーシャンズとの試合が盆過ぎまで続くため、しばらくはサラマンダーズの優勝はおあずけとなるが、早ければ交流戦明けの20日には、KALの初代チャンピオンが決まる。

球場紹介:リブワーク藤崎台球場

現在は県内の住宅メーカーがネーミングライツをもち「リブワーク」が球場名に冠せられている(火の国サラマンダーズ提供)
現在は県内の住宅メーカーがネーミングライツをもち「リブワーク」が球場名に冠せられている(火の国サラマンダーズ提供)

 火の国サラマンダーズのメイン本拠となっている熊本市内の球場。言わずと知れた熊本野球の聖地で、高校野球のほか、プロ野球の公式戦も開催される。その昔は、福岡の平和台、小倉(現北九州市民)の両球場と並ぶ野球場で、メジャーリーグを迎えての日米野球も実施されていた。私の記憶にあるのは、ボルチモア・オリオールズが来日した1984年大会だが、試合後に外野スタンドからフェンスを乗り越えてファンが多数乱入してメジャーリーガーたちを追い回していたことが印象に残っている。日米野球はこの後、単独チームではなくオールスターメンバーがやってくるようになり、本拠地球場での開催が基本となったため、ここでの開催はこの1984年が最後となった。

 開場は1960年。熊本城に隣接する神社の跡地に国民体育大会開催をきっかけとして建設されたこの球場は、当時「箱庭」サイズが主流だった日本の球場には珍しく国際規格を満たした広いフィールドで、熊本高校野球の中心地として幾多の名勝負の舞台となった。開場翌年には早速大毎対阪神のオープン戦が行われたが、プロ野球公式戦が最初に行われるのは、1972年に西鉄対阪急が開催されるまで待たねばならなかった。それに先立つこと6年前の1966年秋には西鉄・巨人連合軍対ロサンゼルス・ドジャースの日米野球が開催されている。

 また、ここはプロ野球のレジェンド、ONが最後にプレーした場所でもある。セレモニーで「我が巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残し、1974年シーズン限りで引退した長嶋茂雄だったが、その秋のニューヨーク・メッツとの日米野球にも出場。その最終戦の場がここだった。そしてここでは「世界のホームラン王」・王貞治が「現役最後のホームラン」を放っている。1980年代まではシーズン後の秋にもオープン戦が行われていたのだが、この年限りで引退を宣言した王は、ファンサービスも兼ねて対阪神のこのオープン戦にも帯同し、右翼席に公式戦以外の試合も含めると1032本目となるアーチを描いた。

 1980年代には、人気絶頂だった巨人が年1度実施する「九州シリーズ」の1試合が行われるのが恒例となっていたが、東京ドーム完成後は、地方開催試合そのものが減ったため、1990年代に入ると次第にこの球場を巨人が使用することはなくなっていった。

 その主たる要因のひとつに球場の老朽化があることは間違いない。1996年にメインスタンの改築をはじめとする大規模な改築が行われたが、この時期以降、九州各県で新球場が建設され、とくにプロ野球のキャンプ地として機能している隣県の宮崎に最新鋭の球場が建設されるようになると、プロ野球の地方開催もそちらへ流れていくようになった。その中で、地元野球人の間で起こったのが、新球場建設運動で、その運動を促進すべく、新球場のコンテンツとして創られたのが、独立プロ球団、火の国サラマンダーズなのである。

センター後方に立つ大クスノキ群(筆者撮影)
センター後方に立つ大クスノキ群(筆者撮影)

 この球場の名物と言えば、外野スタンド後方にそそり立つ大クスノキだ。センター周辺にある7本のクスノキは国の天然記念物に指定されており、伐採することができないため、かつてはこれに打球が当たった際のローカルルールが定められていた。

 2016年の熊本地震では、この球場も大きな被害を被ったが、復旧工事を経て、2018年にはオールスターゲームが開催されている。

2018年にはプロ野球のオールスターゲームも開催された(筆者撮影)
2018年にはプロ野球のオールスターゲームも開催された(筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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