【インタビュー前編】Borisが突きつけるニュー・アルバム『NO』
世界で絶大な支持を得てきた日本のヘヴィ・ロック・バンド、Borisがニュー・アルバム『NO』を2020年7月に発表した。
地球の底が抜けそうな重低音が襲う「Genesis」から始まるこのアルバムだが、主軸となるのは1980年代ハードコア・パンクのBoris流のリ・イマジネーションだ。往年の“ぴあ”誌のライヴハウス・スケジュールに載っていそうでありながら、現在進行形のBoris以外の何物でもないサウンドは、初期ハードコアにあった渇望と2020年の鮮烈な切っ先を兼ね備えている。
Borisは何に“NO”を突きつけているのか。Atsuo(ドラムス/ヴォーカル)とTakeshi(ベース/ギター/ヴォーカル)が語る。
全2回のインタビュー、まずは前編。
<Borisの音楽は“遅いノイズコア”>
●アルバム収録曲のタイトルでもある「Non Blood Lore」=“血統でない伝承”がひとつのキーワードとなっていますが、それはどんな意味でしょうか?
Atsuo(以下A):自分たちが受けてきたさまざまな影響がこのアルバムに伝承されていることを主張しました。1980年代のハードコア・パンクはBorisの音楽のひとつの軸となっていますね。血が繋がっているわけではないけど、その音楽は受け継がれていくということです。これまで自分たちを特定のジャンルに閉じ込めたことはないし、ざっくり“ヘヴィ・ロックス”とか呼んできたけど、ここ数年になって気付いたのは、Borisの音楽というのは“遅いノイズコア”なんじゃないか...と。僕、ソドムの『聖レクイエム』(1984)とかめっちゃ好きなんですよ。こないだも再発されましたけど、ハードコア・パンクとノイズコアの橋渡しみたいなね。かなりの影響を受けています。
Takeshi(以下T):Borisの音楽性についてノイズ/エクスペリメンタルと評されたりもするけど、そっちの方のノイズ成分ではなく、ノイズコアの成分なんだと確信しました。若かりし頃から九州のGAIやCONFUSEを聴いていたし、 Atsuoと僕でTACOS UKっていうコスプレ・バンドみたいなのに参加してたりしてました。元ネタのCHAOS UKも大好きだし、ノイズコアの血中濃度は相当高い方だと思います。血は介してないけど濃度はとても高いです。
●『NO』は何故そのような路線の作品になったのでしょうか?
A: コロナ禍でこんな状況だからこそエクストリーム・ミュージックが必要だと考えました。沢山の人のネガティヴな感情を浄化、昇華する為の音楽。そうやって音を出し始めた時に、こういう風合いになるのは仕方ないんです。自分が通ってきてしまった道で、深く刻み込まれた、トラウマみたいなものなので。さらに言えば、2月の日本ツアーでハードコア・パンクの先輩方と話せたことも大きかった。愚鈍のGUYさんやOUTO~SOLMANIAのKatsumiさん、OUTOのミッチュンさん...さらにthe原爆オナニーズとGASTUNKとのライヴ共演もあったし、あのツアーは自分の通ってきた道のりを再確認する旅路でもありました。
●「Loveless」という、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの名盤アルバムを連想させる曲タイトルを用いて、しかもまったく異なったタイプの曲をやったのは?
A:これは文字通り“愛のない世界”をイメージした曲ですね。仮に「Loveless」とつけて、いずれ新しいタイトルを付けようと思っていたけど、結局そのままで出しました。
T:後半にダムドの「ラヴ・ソング」へのオマージュがあったりして、Atsuoが通ってきたダムドと僕が通ってきたマイブラを繋いでみたのが「Loveless」なんです。"愛のない世界で歌われるラブソング”というアイロニーも含めて。
●スローでスラッジーな「Zerkalo」のタイトルはアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『鏡』(1975)の原題でもありますが、両者はどんなところで繋がるのでしょうか?
A:ああ、どうでしょう。 “答え”を提示することはアーティストの仕事ではないと考えているので、今回はあえてブックレットに歌詞を載せないことにしたんです。ぜひ聴き込んで、その繋がりを見つけ出して欲しい。ただヒントを出すと僕たちは、作品とは世界や聴く人、作り手を映し出す鏡だと考えているんです。タルコフスキーにとっても“映画”と“鏡”も同質のものであって、物質としての鏡よりも、意味を映す鏡だったりする。その姿を映して、また別の方向に反射させる、Borisの作品が、そんな鏡のような存在でありたいと、僕は考えています。
●「Anti-Gone」の読みは“アンチゴーネ”でしょうか?ギリシャ神話の女神と、“Gone =過ぎ去った”ものに対するアンチというダブル・ミーニングでしょうか?
A:「Anti-Gone」は僕たちは“アンティゴネ”と読んでいるけど、“Anti Goneアンチ・ゴーン=過去になることに対するアンチ=忘れるな”の意味合いも込めています。抑圧に慣れてしまったり、それを忘れてしまったり、無意識に支配されてしまうことがある。そういうものに対する“NO”がアルバム・タイトルの『NO』なんです。諦め・従属・忘却、そしてシステム=体制に対して“NO”を突きつける。人間の自由意志というのは、否定するところから始まると考えています。トール・ノーレットランダーシュが書いた『ユーザーイリュージョン/意識という幻想』(1991)という本があって、ほとんどの場合、人間の動きは無意識が先行していて、それを意識が追いかけていると論じています。自らの自由意志を発動させるならば、まず自分自身を否定することから始めなければならない。自分であるために、自分を否定する必要がある。このアルバムに限ったことではなく、普遍的な思想ですよね。世界で色々なことが起こってますが誰にも共通している、人間として生きる為の態度、それが『NO』です。
●TV番組『ジャンボーグA』(1973)にもアンチゴーネという悪キャラがいましたが、それは意識しましたか?
A:それは全然考えていなかった(笑)。
●『Tears』EP(2019)の「どうしてもあなたをゆるせない -Sadesper Record Version-」のサデスパーが『イナズマンF』(1974)の悪キャラだったり、昭和特撮にこだわっているのかと思いました...。
T:“Sadesper”はNARASAKIさんのユニット名だし、僕たちと直接関係はないです。ただ、NARASAKIさんは特撮が大好きだし、実際に特撮というバンドをやっていますから、それも元ネタの一つなんでしょうね(笑)。
(注:NARASAKIのSadesper Recordでのアーティスト・ネームは、イナズマンに変身する渡五郎。また、彼のグラインドコア・バンド、マッハトリガーの元ネタは『スーパーロボット マッハバロン』(1974))
A:それもまた文化・美意識・価値観など“血統”でないところで突然変異しながら、見えないところで繋がっていると思うんですよ。文化が危機に瀕している今、我々はそんな繋がり・伝承を手探りで見つけようとしています。僕たちも日本の昭和特撮は好きだし。
●「Kikinoue」は“危機の上”と“kicking away”のダブル・ミーニングですか?
A:それは新しい解釈だな(笑)。
●...音楽の聴き手には、自由に妄想する権利がありますからね。
A:その通り、だから今回は歌詞を載せなかった。聴いた人が自由に解釈してくれれば、それが一番良いんじゃないかと思って。「Kikinoue」を書いたのは『Amplifier Worship』(1998)の後ぐらいだったかな?メルヴィンズの初来日(1999年4月)にオープニング・アクトとして出たとき、2日目にプレイした曲です。それからずっとプレイしていなかったけど、何でだろう?...という感じですね(笑)。Borisの所謂パワー・バイオレンス期があって、それが終わる頃だったのかな。それで、どこにも収録することがなく、レコーディングする機会もなくて...少し前、『Secrets』(2018)を編集していた時発掘して。今回のタイミングにフィットすると感じたんです。
<ハードコア・パンク、ドリフ、キャシャーン... 普通にダイレクトに影響を受けてきた>
●それ以外で、過去に書いて今回発掘した曲はありましたか?
A:「HxCxHxC-Perforation Line-」も少し前に書いた曲で、『praparat』(2013/1つめのaの上にウムラウト)に断片が入っているけど、今回フル・ヴァージョンとして新規にアレンジ、レコーディングしたものです。歌詞も新たに書きました。タイトルは志村けんさんの故郷の東村山市にちなんでHigashimurayama City Hard Coreの略です。今回の日本国内のコロナ禍を象徴する出来事として、自分の中では志村けんさんが亡くなったのはとても大きかったです。これは直接的な追悼の歌ですね。やはりドリフターズの影響は大きかったし、それもまた“Non Blood Lore”というテーマに合致していると思います。ツアー中にもドリフの映像を見ていたりしました。そうやってツアー中に救われた事もあります。
T: “威勢のいいお風呂屋さん”のコントは外せないでしょう。「HxCxHxC-Perforation Line-」はもっと直接的な志村けんさんへのトリビュート詞だったけど、Borisとしての言葉で着地させました。ドリフは銭湯に車が突っ込んでいくコントとか好きだったなあ。俺、『8時だョ!全員集合』の生収録、2回見ているんですよ。おばあちゃんの家が静岡で、そこの市民文化会館みたいな会場で午前と午後の2回収録でした。学校のコントと、兵隊のコントでしたね。だから、いかりや長介とコール&レスポンスを2回やっているんですよ。オイス!って。
●Borisの音楽性を形作るのに重要な位置を占めたTV番組の音楽はありますか?
A:普通にダイレクトに影響を受けていますね。『新造人間キャシャーン』(1973)とか『破裏拳ポリマー』(1974) とか、テーマ曲がむちゃくちゃカッコ良いじゃないですか。それと自粛中にずっと『ガンダム』シリーズを宇宙世紀の時系列順に見ていたんですよ。『THE ORIGIN』からアニメのファースト・ガンダム...という流れでね。アニメ音楽は1980年代からオーケストラとシンセサイザーや、生アコースティックとシンセサイザーが同居していたり、いわゆる“普通”のロック・バンドでは考えられないアンサンブルが取り入れられていましたね。現実世界でない、アニメの世界だからこそ出来るアレンジが当時からされていて、その自由度から影響を受けました。
●『NO』に話を戻して、広島ハードコアのバンド、愚鈍の「Fundamental Error」をカヴァーしたのは、どんな経緯があったのですか?
T:俺は愚鈍はリアルタイムで聴いていて、耳コピをしたりしていたんです。ギタリストの自虐さんのコード感とかリードの入れ方、構成の作り方とかが独特で、影響というよりも感銘を受けていました。その頃、日本の界隈のバンドは一通り聴いていたんですけど、広島の地域性ということもあるのか、独自なサウンドスタイルがあって、それにハマってました。
●「Fundamental Error」にはOUTO / CITY INDIAN / SOLMANIAのKatsumiさんがゲスト参加していますが、どれぐらい前から交流があったのですか?
T:もう20年ぐらい前かな?その頃KatsumiさんはもうSOLMANIAでやっていました。その時期、CORRUPTEDとSOLMANIAの合体と、Borisとメルツバウの合体で共演したライヴがあって面白かったですね。
A:Wata(ギター/ヴォーカル)が広島出身ということもあって、愚鈍のGUYさんとはずいぶん前から知り合いで、広島に帰ったときにご飯を一緒に食べにいったりとか、交流があったんですよ。去年や一昨年もBorisが広島でライヴをやったときにGUYさんに遊びに来てもらったり、それで今年2月のライヴのときに、愚鈍のカヴァーをやりたいと言ったら快諾してくれました。
T:「いいよー」って。あまりの気さくさに、逆に俺たちがビックリしたぐらいで(笑)。
A:で、広島でライヴをやった後の大阪でKatsumiさんが遊びに来てくれて、ギター・ソロを弾いて欲しいと頼んだら、やはり快諾してくれて、トントン拍子で話が進みました。そのツアーでサウンド・エンジニア、『NO』のミックスとマスタリングをやってくれた原(浩一)さんがKatsumiさんの録音を現地でやってくれたり、2月の日本ツアーからすごい勢いですべてが制作へ繋がっていった。オーストラリアのツアーを終えてからレコーディングまで、本当に凝縮された時間でしたね。3月の頭にオーストラリアの街を散歩した時、もう二度とこんな風景は見られないのかな、と話していました。あの時は街でマスクをしている人は全然いなかった。セッションを始めたのが3月24日。これだけ集中して1枚のアルバムを作ったのは、Boris史上でも珍しいです。世界の状況が刻一刻と変化して、状況が悪くなっていく中、自分達を問う為にも籠って制作に没頭していました。震災の時もそうですが、こういう時に音楽の無力さを実感しつつ、どんな時にでも届く表現、自分達にやれる事ってなんだろう?って考えて制作してました。
●アルバムの最後が「Interlude」(=間奏)という曲なので、その続きを期待してしまいます。
A:最後の曲なのに“幕間”って、こいつ英語理解してないの?って思われるかと心配でした(笑)。もちろん次へと続けていきます。もう絶賛作っているところですよ。今はライブも出来ないですし、自分達にやれる事は制作しかないので、どんどんレコーディングしています。こんな状況ですが、せめて楽しみにしてもらえたら。
後編記事では混迷の時代をロックで生きていくことについて、さらに2人に語ってもらおう。