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拙記事「〈日本の英語力は世界で53位〉はデマ」に来た反応に反論する

寺沢拓敬言語社会学者

先月(11月9日)、こちらの記事を書いた。

「日本の英語力は53位」というデマ報道が流れ出す季節になりましたね。(寺沢拓敬) - 個人 - Yahoo!ニュース

結論は、

毎年秋に、EFという企業が「日本の英語力は××位」というプレスリリースをするが、信頼できるものではまったくない(そもそも調査ではなく受験者データを流用利用した統計である)。文章を商売にする人は手を出してはいけない。安易に報道することは企業のプロモーションに手を貸すことになる。

ということである。

しかし、私の牽制も虚しく、2019年もいくつかのマスメディアが報じてしまった。

新聞社の記者が書いているものとしては以下の記事。

  • 北海道新聞 11月9日「日本人英語力 53位*非英語圏*世界平均下回る」(時事通信の記事を利用)
  • 朝日新聞 11月12日「非英語圏の英語力、日本は53位 昨年から下落、100カ国・地域調査」
  • 読売新聞 12月18日「英語能力指数 日本53位 19年調査 非英語圏の100か国・地域」
  • 産経新聞 12月21日「【解読】共通テスト、失われた2本柱 AI社会生き抜く入試改革を」

これ以外に投書で言及しているものやインタビューで識者がとりあげたものなどがある(読売新聞12月21日の井上隆氏[経団連常務理事]など)。

大阪府知事も言及した。

 

 

無理筋の擁護

英語力の国際比較の研究をしてきた研究者として、EF英語能力指数を安易に報道するバイラルメディアに5年以上前から忸怩たる思いがあった。数年前から、学術的啓蒙活動の一環で「EFの国別スコアでランキングを作っては駄目。なぜなら社会調査の基本として云々」と定期的に言ってまわってきた。

昨年はついに大手新聞が「報道」してしまい、危機感をいっそうつのらせた。

そして今年も見事に敗北した。来年また啓蒙活動を頑張りたい。

ところで、上記の私の記事に反論、つまりEF英語能力指数の擁護をしてきた人が何人もいた(中には研究者[の卵]の人も)。

いずれも「誤解にもとづく擁護」ではあるが、よくある誤解・かつ簡単に間違いだと理解できるレベルの誤解なので、以下できちんと説明しておく

「日本の英語力が低いことを直視せよ」

「この筆者は、日本人が英語ができないことを認めていない!日本の英語力が低いなんて世界の常識でしょ!」という反論が来た。

誰かがある英語力ランキングを否定したからといって、別に「日本人の英語力が高い」と主張したわけではない。自分の信じている「日本人=英語下手」というイメージを否定されたという早合点である。

私の記事はあくまでEF英語能力指数というランキングの否定である。

そもそも「非英語圏100カ国中53位」は、相当高くないだろうか?旧植民地でもないし、外国の製品が翻訳されずにそのまま入ってくる小国でもないのに、中位グループに入っているわけだが・・・。

「EF英語能力指数はTOEFLと相関がある」

EF英語能力指数は、TOEFLやIELTSといった定評のあるテストと相関があるからそれなりに信頼性があるはずだという反応も来た。

たしかにEFの報告書には、EF英語能力指数はTOEFLと相関があるという記述がある。

これは、「個人の英語力を測定する性能にどれだけ信頼性があるか」であり、ある地域の人々の平均的英語力を測定する性能とはまったく別である。レトリックではなく文字通り(要は理論的に)まったく別の話である。

A・B・Cという人がいて、TOEFLのスコアがそれぞれ 90・100・110で、EFスコアがそれぞれ 55・60・65だったとする。このとき相関係数は r =1.0。相関としてはパーフェクトである。

以上が、TOEFLとEF英語力指数の相関に関する説明である。

一方で、実際には英語力で同水準の国が2つあったとして、前者はA・Bっぽい人ばかりがテストに参加し、後者はB・Cっぽい人ばかりが参加した場合、当然、前者のランキングのほうが低くなる。このとき、この国別ランキングには信頼性がないことになる。

EF英語能力指数は、A・B・Cの各タイプの人に偏りなくテストが配布されるような配慮が一切ないため、信頼が置けないのである。繰り返すが、TOEFLと相関が高かろうが低かろうが関係ない。

余談だが、前者の「測定の信頼性・相関係数」を、後者の「社会調査としての信頼性」と勘違いする人はたしかによくいる。EFの報告書は「統計にちょっとだけ詳しいくらいの人」を華麗に騙すのにものすごくよくできているように思う。

「代表性はないにしても日本は下がった。日本のスコアが下がったことを直視せよ」

代表性とは、前述の「各国の人々から偏りなく調査していること」である。代表性がないとしても日本の英語力はトレンドとして下がっているのだからそれを直視せよという反論である。

代表性がないのだからこの手の反論も間違いである。

代表性がない場合、異なる国との比較に意味をなさないだけでなく、異なる年との比較にも意味をなさない。たとえば、2018年と比べて2019年が下がったが、その原因が英語力が下がったためなのか、低い英語力の受験者が増えたためなのかはわからない。

「この人は有名なエセ学者」

EFランキングとはあまり関係ないが、こういう反応も来た。

留学斡旋会社タクトピア創業者で『英語ネイティブ脳みそのつくりかた』の著者、グローバル教育革命家 白川寧々さんに「エセ学者」と言われました。

なぜ「信頼に足る英語力ランキング」がどこかに存在すると思うのか?

いずれの「擁護」も初歩的な間違いで、一般の人ならまだしもこのような擁護をしてくる研究者は、ひょっとして企業からお金をもらっているのではと思えてしまう。

それはさておき、ある研究者に「EF英語能力指数がまずいのはわかりました。でも、アジアと比べて日本が遅れていることを示したいので、良い英語力調査はありますか?」と聞かれた。私は「欧州のものならあるけれどアジアにはありません」と答えた。その人は絶句していた(「遅れた日本」が客観的に示せることはその人の研究にとって重要な出発点だったらしい)。

こういう疑問が湧くのはもっともではあるのだけれど、逆に考えると、なぜ私たちは英語力の国際調査が実在する前提で話してしまうのだろうか。「モテる国民ベスト30」とか「国別歌唱力ランキング」などない。同様に、「世界英語力ランキング」がなくても何もおかしい話ではないのに。

かたや先日話題になったPISA(国際学力調査)は、信頼できる調査であるが、あれは公表までにOECDおよび各国政府が膨大なリソース(予算・人員・計画)を投入して実施されているものである。国別ランキングの類はそもそもそう簡単に手に入るわけではないのである。

市民のデータリテラシー、みんなで育てましょう

余談だが、このEF英語力ランキング(およびTOEFLによる英語力ランキング)は、グローバル意識の高い(しかし社会科学的な意識は低い)学生がレポートなどでよく引用してくるため私はけっこう困っている。私以外にも大学教員の中には困っているという人も多いだろう。3分の1は私たち大学教員の側の責任で、3分の1は説明をきちんと聞いていない学生の責任なのだが、残りの3分の1ははデマを無批判にばらまく記者やライター、メディアの責任だと思う。

子どもは地域で育てましょう。市民のデータリテラシーも社会全体で育てましょう。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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