Yahoo!ニュース

BBCに「インディー小僧」と称された英スターマー新首相が大好きなバンド、オレンジ・ジュースって誰?

14年ぶりに政権に返り咲いた英労働党を率いるスターマー首相(写真:ロイター/アフロ)

インディー・キッドが「英政界の顔」に

事前の大方の予想どおり、去る7月4日の英下院(庶民院)総選挙にて労働党が歴史的大勝利をおさめ、14年ぶりの政権交代を果たした。新首相となったのは、2020年より労働党の党首をつとめるサー・キア・スターマー(61歳)だ。任期途中での解散・総選挙というバクチを打ったが勝負に負けて下野した保守党の党首、リシ・スナクに変わり「イギリス政界の顔」となったスターマーについて、当然のごとく数多くの報道が乱れ飛んだ——のだが、僕が見逃せなかったのが、BBCのこの見出しだ。

「キア・スターマー:インディー・キッドから首相に」

BBCニュースの該当ページ・トップより
BBCニュースの該当ページ・トップより

ちょっとこれは――こんなのは、見たのは初めてだ!

なぜならば、この場合の「インディー・キッド」とは、たんに「インディー・レーベルから音楽作品をリリースしているバンドを好むファン」という意味、ではない。もっと特定の、言うなれば「幅が狭い」音楽をこそ偏愛する「キッド」を指している。世にインディー・レーベルなんてあまりなかった時代、おもに1980年代に、イギリスの各地で突如勃興していた各種のオルタナティヴ・ポップの「ファンだった」ということを、指す。ジャンル用語で言うならば「ポストパンク」「ニューウェイヴ」といったあたりが主力の「あの感じ」だ。

事実、上のBBCの記事内では具体的な例まで言及されている。イングランド北部のリーズ大学にて法学を専攻していたスターマーは、80年代前半のその当時「ザ・スミス、ウェディング・プレゼント、オレンジ・ジュース、アズテック・カメラから影響を受けていた」という。その証拠写真(?)が同記事に掲載された下の画像だ。

前列右がリーズ大学にて「ポストパンク」ヘア時代のスターマー
前列右がリーズ大学にて「ポストパンク」ヘア時代のスターマー

この刈り上げ具合とチェック・シャツの全袖カット具合から僕は、ビッグ・カントリーあたりの直接的影響も見てとるのだが——いずれにせよ、まるでバンドのアー写(=レーベルや事務所から公式に配布される、いわゆるアーティスト写真)みたいなショットを「わざわざ撮影してしまう」ほどにまで当時の彼はポストパンクだった!ということは言えるだろう。またこのころのスターマーは「ギターを少々」だったそうなのだが、そもそも少年期から彼は音楽好きであり、いろんな楽器に親しんでいたという。とくにヴァイオリンに関しては、のちにDJファットボーイ・スリムとして一世を風靡するノーマン・クックと一緒にレッスンを受けていたそうだ(当時クラスメイトだった)。

「ポストパンクの拠点」リーズ大学が彼を育んだ

そんなスターマーが「インディー・ロックに目覚めた」のは、やはりリーズ大学においてだったようで、彼が当時のエピソードを語る模様が大学のメディアに掲載されている。いわく「まずまずの長髪で、片手にブームタウン・ラッツのアルバムを、逆の手にはステイタス・クォーのアルバムを抱えて」大学にあらわれたのだという。つまり「ちょっと前にメジャー・ヒットしたアルバム」を普通に好む、まあ素朴な少年だったということだ。それが「もう完璧に、リーズに恋しちゃったんだ」とのことで大変身。リーズでライヴする前出のバンドを見ては感化されて「自分自身が、すごく大きなインパクトを受けた。あと髪型も」——ということで、上の写真のようになってしまっていた!という人物が「なんと首相になっちゃったのだよ」と、BBCの記事は告げていたわけなのだ。

ちなみにこのリーズ大学、スターマー入学の直前、70年代の終盤には全世界(の好事家)のあいだにその名を轟かせる「ポストパンク・バンドの拠点」であり、ギャング・オブ・フォー、ザ・ミーコンズ、デルタ5などが活躍していた。それと同時にネオナチも街に跋扈して、極左と極右がクラブや街頭で衝突しまくる!こともある最前線都市だった、という(詳しくは『教養としてのパンク・ロック』のこちらをご覧ください)。まさに彼が「人生が変わるほどの体験」をするには、うってつけの環境だったのかもしれない。そして労働者階級の家庭に育ったスターマーは「家族で初めて大学に行った」人物だった。また「リーズ大学出身の、初の英宰相」となったのがスターマーでもあった。

日本で言うと、なんだろうか? たとえば「一番好きなバンドはZELDAです」という人物が首相になる、とか? 「フェイヴァリット・アルバムはフィッシュマンズの『チャッピー・ドント・クライ』です」とか……それぐらいのマニアックさ、それぐらい「ほんものの」込み入った音楽ファンだという証明みたいなセレクションというほかない。これまでにも「バンド経験あり」など、音楽好きを自称する人物には事欠かなかった英政界だが、しかし「これほどまでに」インディー寄りの人が出世できた例は、ちょっと記憶にない。

いまでもしっかり「オレンジ・ジュース好き」を公言

しかもスターマー首相、リーズにて培った「ポストパンク魂」というのは過去の話ではなく、つい2年前の22年にも、英スカイ・ニュースのジャーナリスト、ベス・リグビーのインタヴューを受けた際に「好きなバンド」としてオレンジ・ジュースの名をわざわざ出している。このとき不幸にもオレンジ・ジュースを知らなかったリグビーに対して、「知らない? 『リップ・イット・アップ』とかは?」など聞き返すスターマーの真摯な姿に、いまだ沸々とたぎる熱い魂を僕は感じた。

ちなみに「リップ・イット・アップ」とは、80年にデビューしたスコットランドのバンド、オレンジ・ジュース最大のヒット曲だった(82年、全英トップ10まで上昇)。だからスターマーはこれを例に出したわけで、つまり「自分の好きなバンドを知らない人」へのマナーもやけに手慣れてる……ところも泣けた(僕は)。日本では「ネオアコ」という、日本にしかない呼称にてカテゴライズされることが多いオレンジ・ジュースなのだが、音楽的には(手弁当で)ソウルをやってみるんだよ!という青い気概に満ち満ちた、個性的な、ポストパンクのきらり輝く一番星だった。

さらにちなみにスターマー首相の「最も好きな」オレンジ・ジュースの曲は「フォーリング・アンド・ラフィング」だという。2020年、BBCの企画する「デザート・アイランド・ディスクス(=無人島に持っていきたいレコード)」にてセレクションをおこなった彼が、そのうちのひとつにこれを選んでいた。インディー・レーベル「ポストカード」からのデビュー・シングル曲であり、メジャー・デビュー作となったアルバム『ユー・キャント・ハイド・ユア・ラヴ・フォーエヴァー』(82年)のオープニング曲でもあった。こんな歌詞が曲中にある。

「きっときみは僕のこと、すごくナイーヴって思うよね/それが本当だと/僕は見たいものしか見ない/なにがあっても、目を合わせたりしない/どうすればいいんだろう?/僕に微笑みかけてくれる、きみの素敵な歯を見るためには」

「僕は言ってないよ/涙の都市を建設すべきだなんて/僕が孤独で、その結果/夢だけが僕の心の本当の欲求を満たしてくれるって言ってるだけ/僕は抵抗する」

(「フォーリング・アンド・ラフィング」 作詞・作曲:エドウィン・コリンズ)

ナイーヴというか、リリカルというか、センシティヴというか……こんな世界を歌い込んだ曲を「無人島でも聴きたい」と望む宰相が誕生した英国とは、やはりどう考えても「ポップ音楽と『それにやられちゃった人々』にとっての先進国なんだろうなあ」と、僕は深く感じ入った次第だ。

もっとも政治家にとっては「なによりも仕事第一」なのは当たり前。どんな音楽が好きで、どんな内面だろうが、国家の舵取りに失敗しては元も子もない。だからオレンジ・ジュースを率いたシンガーソングライター、エドウィン・コリンズがスターマー首相誕生に際して(ちょっと大きな態度で)Xに投稿した言葉にて、当原稿を締めたい。

「よくやったな、キア。労働党の治世だ」

エドウィン・コリンズのXより
エドウィン・コリンズのXより

作家。小説執筆および米英のポップ/ロック音楽に連動する文化やライフスタイルを研究。近著に長篇小説『素浪人刑事 東京のふたつの城』、音楽書『教養としてのパンク・ロック』など。88年、ロック雑誌〈ロッキング・オン〉にてデビュー。93年、インディー・マガジン〈米国音楽〉を創刊。レコード・プロデュース作品も多数。2010年より、ビームスが発行する文芸誌〈インザシティ〉に参加。そのほかの著書に長篇小説『東京フールズゴールド』、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』、教養シリーズ『ロック名盤ベスト100』『名曲ベスト100』、『日本のロック名盤ベスト100』など。

川崎大助の最近の記事