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古谷徹の不倫で話題「キャラの私物化」とは? 声優とキャラの関係性

河村鳴紘サブカル専門ライター
画像作成ツール「MyEdit」を使ってAIで作成された声優のイメージ画像

 人気声優の古谷徹さんがファンとの不倫をしていたことが「週刊文春」で報じられ、ネットでも話題になりました。特に古谷さんがアニメ「名探偵コナン」の人気キャラクター・安室透の声で、相手に愛をささやいたという内容があり、その批判の過程で「キャラの私物化」というインパクトのあるワードが出ています。「キャラの私物化」とは何でしょうか。

◇「キャラの私物化」は感情の話

 「私物化」とは、公(おおやけ)や団体などに属するモノを、自分のモノのように扱うこと。例えば、会社の車を自分都合で使ったり、経営者が社員に命令して自分の家のこと(業務外)をさせたりすることです。もちろん悪い意味です。

 そして「キャラの私物化」とは、コンテンツを“公のもの”と考え、関係者(声優)が許可を得ず(もしくは勝手に)、あたかもそのキャラのように振る舞ったとか、キャラを私事(わたくしごと)に利用した……というようなときによく使われるものです。

 今回の場合であれば、安室透というキャラクターを、古谷さんが(不倫という)私事に利用して、それが“私物化”なので許せない……となります。例えば、声優が自身の演じるキャラになりきってSNSなどで自身の考えに寄せたことを発信したり、知人との酒席で場を盛り上げるためにキャラのセリフを使ったりしたときなどに、「キャラの私物化」と批判される可能性があるわけです。

 ですが妙なこともあります。コンテンツは、そもそも原作者やコンテンツホルダー(企業、製作委員会)の著作物で、どう考えても公共物ではありません。だから「キャラの私物化」というワードに理解が及ばない人もいるでしょう。「キャラの私物化」とは、感情の話なのです。

 一部の熱烈なファンは、コンテンツ・サービスに対する購買欲が高く重要な“上客”で、コンテンツは多くのファンによって支えられているのは確かです。そこから一歩進め、「コンテンツはファンあっての存在なのだから、ファンの意向を軽視するのはおかしいのでは」というニュアンスが込められている……と考えると、説明がつくのではないでしょうか。

◇「線引き」難しく

 「キャラの私物化」というワードは、今回の件でもネットでよく出たように、一定の支持を得つつあるのかもしれません。ただし、より広い層に共感されるかと言えば、簡単にはいかないでしょう。理由は、感情、そして価値観が関係するだけに個人差が大きく、「線引き」が人によってガラリと変わるからです。

 例えば、声優がアニメのプロモーションとしてテレビ番組に出演して、決めセリフを言ったり、サービス的な発言をしたりしたとします。喜ぶ人もいますが、反対に「軽々しく言わないで」「そのキャラはそんなことは言わないはず」となる人もいるわけです。

 しかし、作品のプロモーションなどで、時にはキャラになりきってファンサービスをしないと、本来の目的は果たせません。そして活動を控えてしまうと、露出が減って結果として誰も喜ばないことになる可能性が高いのです。

◇ 宗教に似るという指摘も

 「キャラの私物化」という考えについて、アニメビジネスに携わる関係者は、どう考えているのでしょうか。

 ある大手アニメ会社社員は、「本来『キャラ=声優』の関係は、必ずしも一致しないのに、一致させてしまう人がいる」と指摘。そして「キャラが好き」が「声優好き」になり、そして声優の言動・行動がキャラに変換されてしまうのでは……と話していました。「声優=キャラ」になれば、声優の発言に違和感を感じたときに、キャラへの批判はできないので、声優に批判が向くことになります。

 別のアニメ会社社員は、声の魅力で“口説く”観点から考えると、声優だけでなくVtuberも同じで、むしろVtuberのほうがファンとの距離感が近いことから「私物化」のようなトラブルがあり、声優だけの問題ではない……と明かしました。その上で「一部のファンの本音は、人気キャラの声で『好き』と言われる特定の人がいると考えることが感情的に嫌。そしてズルいと思うのでは」と、ある種の嫉妬(しっと)という見方をしていました。

 そしてアニメ会社経営者は「結局アニメは、宗教と似ているところがある」と例えました。具体的には、キャラ(声優)が、神のような立ち位置になってしまい、「好きになる」信仰の状態になってしまうと、“神”に振り回されてしまうように、根本的にそういう仕組みになっている……と解説していました。

◇背景に声優人気とSNS

 「キャラの私物化」という言葉は、2017年ごろには既にあったようです。同人界隈で見た覚えがありますが、それより前の時代には、あまり気にする人はいなかったのではないでしょうか。ではなぜ今になって、目立つのでしょうか。

 背景には、声優の仕事がより注目されて「あこがれの職業」としてスター化したことに加え、SNSの普及にあると考えられます。自分と似た興味・関心を持つ層の意見が繰り返されて増幅される現象「エコーチェンバー」が起きれば、自分の価値観と異なる意見は受け入れづらくなります。「自分の感情としてモヤモヤする」という意見に、複数の賛同があって繰り返されることで、多数の賛意があるよう錯覚する可能性があります。

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 またSNSの普及で、声優に対して心理的な距離感が近くなっていることもあるでしょう。面と向かって言えない言葉・要求も、SNSなら簡単です。さらに言えば極論や厳しいワードが飛び交うため、その刺激に慣れてしまい、相手へのリスペクトを忘れて瞬間的な判断で発信し、意図せずに相手を傷つけてしまう怖さがあります。さらに、独特の行動、ユニークな解釈がピックアップされやすく、拡散されやすいこともあります。

 「キャラの私物化」というワードは、「私(わたくし)」の対となる「公(おおやけ)」という概念があってこそ出てきます。声優とキャラの関係性が強固に結びついていると考える人が多いこと、コンテンツは法的に私物であっても公に準じる扱いにしてほしいと願い、ゆえに関係者でも慎重であるべきとした上で、同時にファンの感情に一定の配慮をするべき……と考えているのではないでしょうか。

 ただし「表現の自由」から考えると、関係者の制約・束縛の度合いが大きすぎますし、すべての人が配慮をして、すべての人が不快に思わない発言は極めて難しいのも事実です。

 「キャラの私物化」は、極論すると根底にはコンテンツ、作品に対する強烈な「愛」があるがゆえに起きるのではないでしょうか。そして「愛」というのはうつろいやすく、はかないもの。猛烈に入れ込んでいたのに、何かをきっかけに興ざめし、嫌悪に変わることすらあります。「キャラの私物化」はダメだが、「同人誌」は好きという、第三者から見ると矛盾に思えることも、当人のその時の感情・愛の度合いで変わる……と考えれば、分かりやすいかもしれません。いずれにしても、個人の感覚の違いが大きすぎることもあり、悩ましいところです。

サブカル専門ライター

ゲームやアニメ、マンガなどのサブカルを中心に約20年メディアで取材。兜倶楽部の決算会見に出席し、各イベントにも足を運び、クリエーターや経営者へのインタビューをこなしつつ、中古ゲーム訴訟や残虐ゲーム問題、果ては企業倒産なども……。2019年6月からフリー、ヤフーオーサーとして活動。2020年5月にヤフーニュース個人の記事を顕彰するMVAを受賞。マンガ大賞選考員。不定期でラジオ出演も。

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