拉致問題「なぜ日本は直接言ってこないのか」 金正恩氏発言は事実か?
4月27日の南北首脳会談で、韓国の文在寅大統領が北朝鮮の金正恩委員長に日本人拉致問題を提起した際、金委員長が「なぜ、日本は直接言ってこないのか」と語ったと報じられた。このニュースに、ツイッター上では「えっ!今まで直接言ってなかったわけ?」「安倍晋三、拉致問題、何もやってなかったことが、金正恩に暴露される!」などと驚き、日本政府の従来の交渉姿勢を揶揄するかのような反応が相次いでいる。
4年前、日朝政府間交渉で拉致問題を含む再調査に合意したことをもうお忘れだろうか(いわゆるストックホルム合意)。北朝鮮は特別調査委員会を設置したが、一方的に解体宣言した。その後も、日本政府は国際会議などの機会を捉えて北朝鮮側に直接接触し、拉致被害者の帰国を要求してきた。こうした公式発表も全てデタラメだというなら別であるが、経緯を少しでも思い起こせば「日本は直接言ってこない」というのが事実でないことが分かるはずだ。
このニュースには少なくとも2つの点で注意が必要だ。そもそも発言を報じたニュースは正確なのか?仮に発言がその通りだったとして、その真意は何であり、「日本は直接言ってこない」というのは事実なのか?まずは、このニュースをいまいちどよく読んでほしい。
報じたのはFNNだけ
第一に、発言した言葉が正確に伝えられているのか、という問題。FNN(フジテレビ)が日本政府関係者から入手した情報のようだが、他のメディアは追随していない。正確な情報ならニュース価値は高いと思われるが、どこも追随していないのが不自然だ。
発言は、韓国から日本側に伝えられたものだという。9日の日韓首脳会談で伝えられた可能性はあるが、そうだとは報じていないので断定できない。仮にそうだとして、文大統領が金委員長の発言を捻じ曲げて日本側に伝える可能性は低いと思うが、FNNの情報源である「政府関係者」が文大統領の言葉を直接確認した人物かは不明だ。直接確認した人物から伝え聞いただけかもしれない。その「政府関係者」がFNNに対し、文大統領が説明した内容を一言一句正確に伝えたのか。「何となくこんなことを言っていたようだよ」と漏らしただけなのかもしれない。
私たち読者・視聴者は、こうした伝言ゲームの末端にいて、不正確な情報を受け取るリスクに常にさらされている。このニュースのように情報源が曖昧なケースは尚更だ。
【追記】安倍首相は11日夕のFNNプライムニュースイブニングに出演し、金委員長の発言について問われ、「直接言ってこないのか、ということはおそらく、金正恩委員長に直接言わないのかということであると思います。我々は北京ルートを通じてあらゆる努力を今まで行ってきましたし、今もしています」とコメントした。報道内容を前提に答えたことから、金委員長の発言自体は事実である可能性が高いと考えられる。
発言の真意は不明
第二に、このニュースが正確だったとしても、拉致問題で「日本が直接言ってこない」のは本当に事実なのか、という問題。いや、その前に、そもそも金委員長は「日本政府が拉致問題を北朝鮮に直接言ってきたことがない」と言っているわけではない。私たちがFNNを通じて知り得るのは「韓国やアメリカなど、周りばかりが言ってきているが、なぜ日本は、直接言ってこないのか」という発言だけで、真意は不明だ。
これを捉えて、「日本は直接言ってこない」「今まで直接言ってきたことがない」という「事実」を言明したものと解釈するのは早計だ。先頭にたって北朝鮮への最大限の圧力路線を維持する日本への牽制。日朝首脳会談に誘い出そうという意図のメッセージ。あるいは単に、他国が日本の拉致問題を取り上げることを疎ましく感じたがゆえに出た感情的な言葉とも読めなくはない。
しかし、この発言を字面どおり真に受けて「日本政府が拉致問題を北朝鮮に直接言ってきた試しがない」と早とちりした反応を、少なくない有識者や政治家などがツイッターなどで示しているのだ。
「えっ!今まで直接言ってなかったわけ?」
「拉致問題は最重要といいつつこの不作為は何なのか」
「ふ〜む、言ってないのか…」
「この言葉が本当なら首相も首相官邸も外務省も給料泥棒。」
野党からも「『日本は直接言ってこない』もし真実なら、我が国政府は何をしてるんだということになる」(玉木雄一郎・国民民主党共同代表)といった反応が出ている。
「本当にそうなのか冷静に考えながら」(ジャーナリスト堀潤氏)といった冷静な反応は極めて少数だった。
繰り返し被害者帰国を直接要求
メディアの報じ方にも問題がある。単に金委員長の発言をスクープするだけでなく、忘れっぽい読者のためにも、従来の日朝交渉の経緯などを少しは説明しておくべきではなかったか。Yahoo!ニュースも この発言を大きく取り上げるからには、そうした情報を補足することができたはずだ。
日朝政府は2014年5月、拉致問題を含む再調査に合意し、北朝鮮は特別調査委員会を設置した(日朝ストックホルム合意。その経緯は西野純也慶應義塾大学教授の論文〈2015年〉が詳しい)。しかし、2016年に北朝鮮が核実験を実施し、日本が制裁措置をとると、北朝鮮は特別調査委の解体を宣言した。その後も、北朝鮮が核実験やミサイル発射実験を繰り返す中、日本政府は機会を捉えて拉致被害者の帰国を北朝鮮に直接要求してきた。それと、米国などにも拉致問題解決への協力を求めてきたことは矛盾しない。明らかになっている事実は以下の通りだ。
- 2015年8月、日朝外相会談(マレーシア)で、岸田外務大臣が李洙外相に、一日も早い全ての拉致被害者の帰国を強く求めた。(外務省発表)
- 2016年6月、北東アジア協力対話(中国・北京)で金杉憲治・アジア大洋州局長が崔善姫・外務省米州副局長に接触し、ストックホルム合意を履行し、一日も早く全ての拉致被害者を帰国させるよう強く求めた。(外務省発表)
- 2017年6月、ウランバートル対話(モンゴル)で、滝崎成樹・アジア大洋州局審議官がリ・ヨンピル・外務省米国研究所副所長に接触し、ストックホルム合意を履行し、一日も早く全ての拉致被害者を帰国させることを強く求めた。(外務省発表)
- 2017年8月、ASEAN関連会合(フィリピン・マニラ)で、河野外相が李容浩外相に接触し、「日朝平壌宣言に基づいて、拉致、核、ミサイルを包括的に解決するのが日本の立場だ」と伝えた。(報道)
- 2017年9月、スイスの国際会議で、鯰博行・外務省アジア大洋州局参事官がチェ・ガンイル・北朝鮮外務省北米担当副局長に、ストックホルム合意を履行し、一日も早く全ての拉致被害者を帰国させることを強く求めた。(外務省発表)
- 2018年2月、平昌冬季五輪レセプション会場で、安倍首相が北朝鮮の金永南最高人民会議常任委員長に接触し、「拉致問題を解決し、全ての拉致被害者の帰国を求める」と発言した。(報道)
長年北朝鮮の言動に翻弄されてきた被害者家族も、金委員長の“不真面目な発言”を伝え聞いたかもしれない。国民も従来の経緯を忘れたかのようにニュースを消費し、過剰反応している。被害者家族の心中は察するに余りある。
(訂正)「立憲民主くん」というアカウントのツイッター投稿を引用していましたが、立憲民主党とは関係がないとみられるため、削除しました。お詫びいたします。(2018/5/11 14:00)
(追記)安倍首相が金委員長の発言に関するコメントをしましたので、追記しました。(2018/5/12 11:20)