NY発の日本の“音頭”が世界の“お盆”を彩った日(山本恵理「江州音頭組曲」初演の無料配信について)
e mail from NY
ニューヨークにいる(はず)の山本恵理から、「江州音頭組曲〜Eri Yamamoto Trio & コーラル・カメレオンというニューヨークでのフル・コンサートを、今回初めて無料配信します!」というメールが届いたのは、その配信があるという8月15日の一週間前のことでした。
そのメールには「日本時間8月15日(土)19 : 30(コンサートは約1時間です。)」というメッセージと動画視聴のためのリンクURLいう必要最低限のインフォメーションのほかに簡単な内容の紹介しか記載されていなかったので、最初はwithコロナのニュー・スタンダードになりつつある個人でのライヴ映像配信の一種だと思って、「生配信じゃないし、時間があれば観ようかな……」という感じでした(ゴメン)。
でも、簡単な内容紹介の「“江州音頭組曲”世界初演」という部分が気になって、当日は外出を早めに切り上げて帰宅し、動画を視聴。
いや〜、これがとてもおもしろかったので、お礼のメールのついでにインタヴューをお願いしてみたら承諾いただけたので、13時間の時差をZoomで克服して話を聞くことができたのです。
簡単な前置き
大阪府出身の山本恵理は、3歳からピアノを始め、8歳からは独自の世界観を音楽で表現するという才能を発揮するようになっていました(彼女はそれを「日記代わりに曲を書いていた」と表現しています)。
滋賀大学を卒業して高校の教師になるも4年で退職、大学院に戻った“自分探し中”の彼女が、遊びに行ったニューヨークで出逢ったのが、ジャズでした。1995年のことです。
そのまま大学院は休学して、ニュースクール大学ジャズ科へ入学し、在学中から演奏活動をスタート。ちなみに休学した滋賀大学大学院も10年以上のブランクを経て復帰し、各方面の温かい理解と支援のおかげで無事に卒業されています。
2000年からニューヨークの老舗ジャズクラブに自己トリオでレギュラー出演しているのみならず、アメリカ国内ツアーや日本公演はもちろん世界中への遠征を重ね、リーダー・アルバムも10枚を数えるなど、日本を代表するというよりは“ジャズを代表する”アーティストとして紹介すべき存在なのです。
そんな彼女が手がけたのが「江州音頭」のジャズ組曲。
江州音頭の江州(ごうしゅう)とは近江国、いまの主に滋賀県を中心としたエリアを指し、近畿一帯で盆踊りの際に用いられるのが江州音頭。
仏教の読経で節を付ける声明が源流と言われ、平安時代に端を発する遊芸のひとつで、江戸時代末期には話芸を踊りと融合させた演目として確立、明治以降は舞台芸のひとつとして広く全国に知られるようになったようです。
こうした演芸とは別に、「♪ ヨイト ヨイヤマカ ドッコイサノセ」という親しみやすい合いの手の節は盆踊りの伴奏として親しまれ、地域に根付いて残されることになります。
盆踊りはもともと、仏教行事の盂蘭盆会と、空也上人が始めた踊念仏を大衆化させた念仏踊りが融合した行事として、農村を中心に認知されていました。大正時代末期にその娯楽性が見直され、夏休みの一大イヴェントとして定着して、現在に至っています。
なお、山本恵理には、2006年に4作目の『コバルト・ブルー』リリースを記念した凱旋日本公演の際に、ジャズ専門誌でインタヴューをしています。
掃除機が導いてくれた“音頭”への道
──eメールなど連絡はいただいていましたが、お顔を拝見するのは久しぶりですね(笑)。
はい(笑)。
──最初に、今回の「江州音頭組曲」の配信で、もともとのお披露目の場だったり、恵理さんのレギュラー活動の場であったりという意味で、ニューヨークがとても重要ではないかと思うので……。まず恵理さんがニューヨークを選んだ経緯からうかがいたいのですが、前に取材をしたときに、ジャズに魅せられたのがニューヨークで観たトミー・フラナガンのライヴで、そのあとにマル・ウォルドロンのライヴに行って、「ニューヨークでジャズを教えてくれるところ、人を教えてください!」とお願いしたら、その晩のライヴのベーシストだった「レジー・ワークマンが学校で教えているから行けばいいよ」ってその場で紹介されたんでしたよね。
実はつい最近もレジーから電話がかかってきて、配信したというのを誰かから聞いたらしくて、「それをやったのはエリなのか?」って聞かれました。だからたぶん、観てくれたんだと思います。なんか、1年に1回ぐらいは電話がかかってくるんですよ。もう80歳オーヴァーの(註:83歳)おじいちゃんなんですけどね(笑)。
──なぜニューヨークが重要だと思ったのかというと、日本で活動していたら「江州音頭」をジャズにしようという発想はなかなか出てこなかったんじゃないかな、と。
そうですよね。ここ数年、自分の活動の軸がトリオになっていて、そこから派生してソロやデュオ、ほかの人のサイドという感じだったんですけれど、もっとたくさんの人がひとつの空間で同じ時間を共有できる音楽を書きたいという想いがずっと頭の片隅にあったんですよ。
で、ずっとずっとそのことが気になっていて、あるとき家で掃除をしていて、掃除機をかけている動きが「あれ? この動きって、盆踊りに似ている」って気がついたんです。そうしたら、「江州音頭」の「ヨイト、ヨイヤマカ、ドッコイサノセ」っていうフレーズを口ずさんでいたんです。
あれ、これってなんやったかな? ……そうだ、これ、小っちゃいときに夏におじいちゃんとおばあちゃんのところに行ったときに踊っていた「江州音頭」だ!
それを思い出したときに、「これだ!」と思ったんですよ。
──掛け声が?
ええ。私、いつもは楽器に囲まれているのでインストゥルメント(=楽器)のことばっかり考えて音楽を作っていたんですけど、人間の基本って、声じゃないかなと思ったんですね、そのとき。
で、合唱とトリオのコラボでこの江州音頭のメロディーを使って曲を書いてみようと思い立ったんです。その日からペンを持ってひたすら3ヵ月。書いては確認してを繰り返していました。
──普通のピアノ・トリオ用の曲はそんなに時間がかかりませんよね?
そうなんですよ。5分でできちゃった曲もありますからね。でも、ジャズの曲で4部合唱なんて書いたことがなかったから……。ただ、できるだけ多くの人に参加してもらいたかったので、4部合唱がいいと思って、それまでやったことがなかったけれど、とにかく書き始めてしまったんです。まず自分でハーモニーを歌って、それを譜面に書いて。私、どちらかというとコンピュータが苦手で、紙と鉛筆派なんですよ(笑)。
書き終わった部分はGarageBandに各パートを自分で歌ってオーバーダブして、確認しながら進めました。
Googleで探した合唱団とeメール交渉
──シミュレーションはGarageBandでいいとして、実際にそれを歌ってくれる合唱団には心当たりがあったんですか?
そうですね、それ、肝心なところですよね(笑)。
実は、Googleで「New York City, choir, 合唱団」という検索ワードで出てきた結果から選んだんです。最初に目に止まったのがブルックリン・コミュニティ・クワイアという合唱団で、なんだかエネルギーがあふれていていいなぁと思って。150人ぐらいのメンバーが参加していて、紹介動画を観たらエネルギーがすごかったので、「ココだっ!」と(笑)。
eメールを送ったらすぐに返信が来て、すぐに代表者と面会することができたんですけれど、「エリ、アナタの曲はすばらしいけれど、この合唱団はコミュニティ・クワイア(註:地域活動の一環として市民の参加を募っている合唱団の意)なので、メンバーの半分ぐらいは楽譜が読めないんだよ」って言うんです。
「江州音頭組曲」の楽譜は84ページもあったので、読めない人が多い合唱団と作品を創り上げていくのは、お互いに良い結果にはならないんじゃないかという判断をしてくれたんですね。
それで7つほどの合唱団を紹介してくれて、「もし全部断わられたらまた連絡してくれ」とまで言ってくれて……。ブルックリン・コミュニティ・クワイアのためには「5分くらいの曲を作ってね」って言われて、それが宿題になったままなんですけれど(笑)。
──ニューヨークの音楽コミュニティがちゃんと機能しているという、すばらしいエピソードですね。
それから、その日のうちに連絡を取ったのが、一緒にやることになるコーラル・カメレオンだったんです。ディレクターのヴィンス(・ピーターソン)にeメールを送ると、すぐに返信が来て、「I love, love, love it !」という感想と、来週会いましょうというメッセージが送られてきました。曲も見せていなかったんですけれど、私のトリオの演奏などをYouTubeなどで観てくれて、即決だったみたいです(笑)。
彼らもそれからみっちり3ヵ月間、練習を重ねて、2018年11月のコンサート本番を迎えることになりました。実は私、彼らにそこまで求めるつもりはなかったんですけれど、歌詞を暗唱までしてくれたんですよ。同じ言葉の繰り返しが多いとは言え、日本語特有の難しさもあったと思うんですが、「違う言語だからこそ心を込めて、ひとつひとつの言葉を大切に歌いたい」って。本当に、感動しました。
──幸運な偶然で、すべてが良い方向へと進んでいったということなんですね。
はい。コンサート初演が2018年だったというのもよかったし、すぐあとの2019年1月にはスペイン・バレンシアの女声合唱団とコラボレーションできて、7月には100年以上の歴史を有するサン・セバスチャン・ジャズ・フェスティヴァルにも出演することができました。サン・セバスチャンがあるバスク地方はコンサヴァティヴ、保守的だから、(「江州音頭組曲」が)踊りの曲だと聞いても、異国の曲に合わせて踊るようなことは絶対にないって言われていたんですけれど、始まったら観衆もノリノリで、嬉しかったですね。
「江州音頭組曲」関連のコンサート・ツアーが2019年でひと区切りつけたのも、ラッキーだったと思います。もし今年までスケジュールを組んでいたら、延期か中止になっていたでしょうから。
コロナ下の活動について
──今年になっての活動はどんな感じでしょうか?
私、ちょうどいまごろ(2020年8月)はヨーロッパ・ツアーに行っているはずだったんです。そのあとに日本へ、お盆あたりに戻ろうか、そのあとにしようかと考えていたんですけれど、3月時点で全部ダメになってしまいました。
──3月ぐらいからのニューヨークのようすをニュースで見ていると、ロックダウンなど、日本よりもひどい状況だったように思えました。
ひどかったですね。私自身、ロックダウンの数日前までニューヨークでギグしていたのに突然という感じで……。
その1週間前の3月初めまではヨーロッパ、スペインとポルトガルに行ってて、帰ってきたらそんな状態でした。私も一応、検査を受けたんですが、いろいろな人に会っていたのに、幸いにも大丈夫でした。
──ロックダウン中は、仕事がなくなるだけじゃなくて、移動すらできないんですよね?
そうなんです。まぁ、ニューヨークの感染者があまりにも急激に増えてしまったので、仕方がないとは思ってましたが……。4〜5月は、1ヵ月で1回ぐらいしか外出してませんでしたね。食べるものも全部デリバリーしてもらって、届いたものを恐る恐る受け取って、それをまた除菌してからやっとテーブルに並べるとか。
自分ではけっこう肝は据わっていると思っていたんですけれど、3月から6月ぐらいまでは眠りも浅くて、かなり緊張していたんだと思います。
なので、その期間は自分の恐怖をシャットダウンするためにも、作曲に没頭していました。20曲ぐらいできちゃいました(笑)。
──ミュージシャンは原則としてフリーランスだと思いますが、補助や保障はあったのですか?
3月から7月の終わりまでは、フリーランスにも最低限プラス・アルファみたいな補助はあったので、すごく助かりました。でも、8月にはなにもなくなってしまって……。今年は大統領選挙もあるので、9月末には少し上乗せがあるんじゃないかという噂も出ていますが、いずれにしても厳しい状況だと思います。
──9.11(2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件)のときはニューヨークに?
はい、いました。でもあのときは、その週末にはもうライヴに出ていましたから、あのときと比べたら現在の状況は比べものになりませんね。影響も世界規模ですし。
コロナ下だからこそ踊れる音頭が必要
──マンハッタンにあるポール・テイラー・ダンス・カンパニー・スタジオでの初演(2018年)の映像をインターネットで配信するというアイデアは、いつ浮かんだものですか?
今年のツアーができなくなって途方に暮れているときに、コーラル・カメレオンのエグゼクティヴ・ディレクターの女性と話をしていたら、「この曲って、こういう状況のときにこそ必要なんじゃないの?」って言われて、確かにそのとおりだと気づいたんです。これを日本のお盆に配信しよう、と。しかも無料で。
──無料にするにあたっては、サポートも必要になったのでは?
はい。独立行政法人国際交流基金(The Japan Foundation)のスポンサードがあったおかげで、無料配信が実現しました。それから、このライヴ音源をCDとしてリリースしてくれたAUM Fidelity レーベルの協力もありました。8月のお盆のタイミングでみんなに踊っていただき、感謝を伝えられたらと思っていたので、これもまた本当にラッキーだったと思います。
全米でも29州からの視聴があって、世界からは15カ国ぐらいアクセスがあったそうです。
──まだまだ先が見えない状況ですが、今後の抱負を聞かせていただけますか?
私、自分がやりたいことは昔からあまり変わっていなくて……。
この「江州音頭組曲」をきっかけにカタチになった自分の想いが、“人がいっぱい集えて気持ちが豊かになる音楽をつくっていきたい”だったんですけれど、そこをめざしているのは間違っていなかったというのを、今回の配信の反響を見ても感じました。
だからこれからも、人の心が豊かになるような、ウキウキしてもらえるような音楽を提供することを軸に、活動を続けたいですね。
私のいままでの人生を振り返っても、人との出逢いがとても重要なターニングポイントになっていて、本当に人に助けられてやってきた。レジー(・ワークマン)もそうですし、クワイアのみんなもそうですし、トリオのメンバーもそうですし、オーディエンスもそうですし……。
人間って良いところも悪いところもあるけれど、だからこそその出逢いから生まれるもののなかには、ひとりでは生み出すことのできないものがあると思うんです。だから、今後も“人”をテーマに、曲を書き続けたいですね。
アルバム情報
『Goshu Ondo Suite』Eri Yamamoto Trio & Choral Chameleon(2019年リリース)
※このinterviewは2020年8月27日の日本時間11時からZoomを使ってニューヨーク・マンハッタンの山本恵理さんとのあいだで実施しました。