「運転をあきらめない」高齢の親たち。どう言えば、聞いてくれる?
75歳以上の人口の約3人に1人が運転免許証を保持しています。そして、75歳以上の運転者の死亡事故件数は、75歳未満の運転者と比較して、免許人口10万人当たりの件数が2倍以上多く発生。年齢を重ねるに従い、視力や反射神経などが衰えます。事故を起こすリスクが老化と共に増加することには根拠があるのです。
だというのに、子からの忠告に耳を貸さない親が少なくありません。池袋の暴走事故報道を見て、多くの子が「何とかしなければ」と思っているのではないでしょうか。
危険の兆候があるにもかかわらず、運転することをあきらめない親に対して行動した3人の子のケースを紹介します。
●「車の鍵を隠しました」ミチコさん(50代)
「父親は80を過ぎてもの忘れも頻繁なのに、『趣味は運転』なんて言うんです」と、ミチコさんはやりきれない表情で話します。最初は免許証を隠しましたが、父親はおかまいなしに運転しようとします。そこで、次に隠したのは車の鍵。
「最初は『鍵はどこだ?』と大騒ぎで大変でしたが、そろそろ半年です。ときどき、鍵を探したり、車を見に行ったりしていますが……」とミチコさん。
乗らなくても税金がかかるので処分したいのですが、車庫から車が消えれば、父親が精神的に不安的にならないかと心配だと言います。
●「医師から助言してもらった」ケイゴさん(50代)
現在、75歳以上の人が運転免許を更新するには、事前に認知機能検査を受ける必要があります。
ケイゴさんの離れて暮らす父親(79歳)もこの検査を受けました。ケイゴさんは、「どうか、検査で引っかかってくれ」と強く願っていました。車体はキズだらけとか。少し前、両親揃って買い物に行って駐車場に車を入れようとしたとき、突然急発進。母親は心臓が飛び出そうになったとか。ブレーキとアクセルを踏み間違えたらしく、もう少しで壁に激突するところ……。
父親に対し、ケイゴさんは運転をやめるように説得を試みましたが、首を縦に振りません。母親は、個別宅配してくれる生協で買い物するように切り替え、“急発進”以来、父親の横には乗らないようにしているそうです。
ケイゴさんの父親の認知機能検査結果は「記憶力・判断力が低下」でした。免許を更新するには、医療機関を受診して診断書を書いてもらう必要があります。
ケイゴさんはコロナの感染者数が減ったタイミングで、父親の受診に付き添うために帰省。
受診する日の前日、父親には内緒で、1人で診療所を訪問。医師に対し、「父は僕の言うことは聞かないので、先生から免許返納を勧めてください」と頼みました。
医師はケイゴさんの願いを聞き入れたわけではないと思いますが、翌日、診察の後、本人に対し「危険があるので、免許は返納しましょう」ときっぱり。父親はうなだれましたが、「先生がそう言うならわかりました」と承知したそうです。
ケイゴさんは、この機会を逃さないよう、その日のうちに、中古車を引き取る業者に来てもらい、売却。「そのままにしていたら、父は運転してしまうだろうと思ったんです」。
●「車を破壊しました」タカシさん(50代)
タカシさんの実家では両親が2人で暮らしています。近所の親戚から、「オヤジさんの運転、かなり危険だぞ」との連絡が複数回。そのたびに、電話や帰省し、「運転はやめろ」と言うのですが、父親は「今まで、事故を起こしたことはない」と頑なでした。
けれども、高齢者の運転事故の報道を見るたびに不安に襲われました。「事故を起こし、父が死ぬのは自業自得だけれど、もし他人を巻き込んだら」との不安がぬぐえなかったと言います。
そして、意を決し、車に詳しい友人に「車の壊しかた」を教えてもらったのだとか。実家に行き、破壊に成功。「でも、父は、『次は何を買おう』と、新車を買う気満々。そこで、高齢者が起こした運転事故のネット記事をかなりの量、見せました。意識して、冷静に話しました。何とか、買うことをあきらめたようです」とタカシさん。
生活できないなら移住も選択肢
老親の運転をやめさせようと、あの手この手の子世代。「隠す」や「破壊」という行動の善し悪しは置いておくとして……。
子の多くが、免許の返納を強く勧めることができない理由を、「親の移動手段を奪うことになるから」と言います。
確かに、車がなければ仕事、通院、買い物への支障が生じることがあります。地域にコミュニティバスなどが走っていても、限定された地域です。けれども、死ぬ直前まで運転することはできません。「老い」が運転に影響し始めたら、ためらわず宅配、家事サービス、タクシーの利用などを検討するべきではないでしょうか。それでも生活に支障が出る恐れがあるなら、交通の便が良い地域、高齢者住宅への転居も選択肢となります。
親の「意地」?
一方で、多くのケースを聞いて思うのは、高齢親が免許返納を渋るのは、利便性を失いたくないという思いだけでなく、子どもから言われることへの反発もあるのではないかということ……。いくつになっても親は親。子にそんなつもりはなくても、「車も運転できない老いぼれ」と言われたような気持になる親もいるのかもしれません。また、「車を運転する自分が好き」という高齢者も……(意地を持って生きることは、他人に迷惑さえかけなければ、立派ともいえます)。
子の立場の人は、親の心情に配慮しながら、できるだけ冷静に親と向き合う必要があるでしょう。一気に取り上げようとするのではなく、「夜間は運転しない。日中も慣れた道のみ」など、少しずつ運転する幅を狭めるよう提案するのも一案です。