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【河内長野市】小塩は「こじお」でなく「おしお」。南花台の原点で後北条氏と関係ある小塩町と小塩八幡神社

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

三日市町駅の西側にあり、青葉台や大矢船など周辺の住宅地とも繋がっている南花台は、サッカースタジアム建設など明るい話題が多いですね。以前も書きましたが、南花台の歴史を調べると、1970年ごろ、当時の藤田組によって、ゴルフ場を転用して小塩台団地として造成されたのが始まりです。

小塩台団地の名前の理由は、南花台の手前に小塩町という場所があるからです。私は当初「こじお」と、読むとばかり思っていましたが、実際には「おしお」と読むそうで、南花台にあるおしお幼稚園の「おしお」も、小塩から来たものです。

これは千代田と千代田台の関係のようなものなので、本来なら南花台ではなく小塩台と名付けられたほうが正しかったのかもしれません。そんなことを考えていると、名前のもととなった小塩町の様子がとても気になりました。

小塩町は、元々は小塩村でした。おさらいすると1875(明治8)年に三日市、片添、喜多、上田の各村と合併して三日市村になった後、70年前の1954(昭和29)年に長野町や周辺の村と合併して河内長野市になりました。

そこで旧小塩村の名残りがある小塩町を歩き、そこから南花台まで登ってみることにしました。

三日市町駅から、天見川を渡ると坂道があります。川が流れているところが谷なので、旧小塩村の集落は少し高台にあるようです。

小塩の地名の由来を調べると、この地域を流れる加賀田川の西側に、塩の坂(鹽の坂)と呼ばれる鉄・塩分の多い冷泉が湧いていたからで、そこから小塩(小鹽)の名前がついたとのこと。

そういえば、三日市から加賀田にある神納(岩湧寺・四季彩館方面)に向かうバスを乗った時の途中に、加塩というバス停があります。関係がありそうな気がしました。

また、川近くにあった三日市町周辺に住んでいた人々が、6世紀の終わりから7世紀にかけて、台地上であった小塩周辺に住むようになったそうです。

さて坂を登りきると、富田林寺内町にありそうな歴史を感じる建物が見えてきました。旧小塩村の名残がある小塩町には、だんじりがあります。今年は市制70周年記念の地車イベントに間に合わせるために、だんじりを修理したというニュースもありました。

小塩地区の中心に行ってみましょう。だんじり小屋があるはずです。

小塩のだんじり小屋が見えて来ました。だんじり小屋の右側にあるのが自治会館です。

こちらの冊子は小塩町のだんじりが修理を終えて新調し、入魂式が行われたことを記念して作成されたものですが、非常に興味深い記述がありました。それは最後まで豊臣秀吉に反発し、小田原の戦いで滅ぼされた戦国大名の後北条氏の流れをくむ狭山北条藩との関係です。

それによると、1590年に秀吉によって滅ぼされたのち、高野山に追放された北条氏直と氏親は高野山に追放されたのちに許され、滝畑に移り住みます。氏直の後、氏親が1594年に滝畑や小塩など河内長野市内にあった複数の村々が領地となったそうですが、その際に小塩町が政庁の中心となって「陣屋の間」が自治会館のところにあったそうです。

そして1600年に氏親の死後に家督を継いだ氏盛により狭山藩が成立し、1616年に狭山藩二代目の北条氏信が狭山に陣屋を構えたとのこと。冊子には滝畑との関係や北条の家紋(北条鱗紋・三つ鱗紋)を継いでいる家庭があると記載してありました。

だんじり小屋の前に鳥居と神社があります。調べると、これは小塩八幡神社で、旧小塩村の鎮守でした。

小塩八幡神社は、1903(明治40)年に烏帽子形八幡神社に合祀されているので、小塩のだんじりも、秋祭りの宮入りには烏帽子形八幡神社に向かいます。

しかし、よく見ると、小塩町自治会が、2017(平成29)年に木の鳥居を奉納しています。鎮座している社や鳥居が新しくできたことから、青賀原神社や富田林の板茂神社、羽曳野市の利雁神社と同じようなパターンで、いったん合祀した御霊が分霊されて戻ってきているのかもしれません。

境内には歴史を感じる狛犬が鎮座しています。

石灯籠も並んでいます。

神社内には小さな社がふたつあり、神様を祀っています。祀られている神様の明記が無いので断定できませんが、八幡神社という名前がついているため、鎮座しているのは八幡神(応神天皇)と思われます。

反対側にも小さな祠がありました。全くの推測ですが、烏帽子形八幡神社にも祀られている応神天皇の両親、父・仲哀天皇(足仲彦命)や母・神功皇后が祀られているのではないでしょうか。

上田金刀比羅宮
上田金刀比羅宮

また調べると、烏帽子形神社に御霊が遷されてからも、御霊がいない状態でしばらく大きな社殿が残っていたそうですが、1917(大正6)年に明治のころに大破していた上田金刀比羅宮の祠として移築されたとのこと。

さらに八幡神社と並ぶように、この場所にはかつて小塩阿弥陀寺があったそうです。

小塩阿弥陀寺の名残ともいえる仏教系のものも残っていました。大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう:宝篋印陀羅尼<ほうきょういんだらに>と呼ばれた呪文を中に収めた塔)があります。

隣には破損した石塔の名残がありますが、その奥に墓石のようにも見える供養塔があります。

近づくと、「泰讀誦供養(異体字で刻まれている)大乗妙典五千郶」と刻んでありますが、調べても情報がなくよくわかりません。ただ別の地域で「大乗妙典一千部供養塔」という文化財があり、それによると「大乗妙典」を一千回、独誦したときの記念の塔とあります。ということは五千回独誦を記念したという意味かもしれません。

塔には奥行きもあり、右横には「智典阿闍梨」「元文二丁巳(1737)年九月十二日」と刻まれています。

次に、だんじり小屋から南花台の方に向かって歩いてみましょう。

途中には、歴史のある建物があります。

蔵のようですが、右上に赤で注意の文字が確認できます。この字にもレトロさがありました。

道の途中に、地蔵菩薩が安置してあります。

上の地蔵尊です。後日調べると、上の地蔵尊に対して小塩八幡神社の反対側には下の地蔵尊があるとのこと。

上の地蔵尊には花が生けられており、地元の人に大切にされていることがわかりました。

上の地蔵尊が古い集落のいちばん上側にあったようで、そこを過ぎると急な坂となり、南花台方面に向かいます。

南花台が造成される前にはゴルフ場があったそうですが、その前は山です。左手に山の名残が見えます。ただし、この坂の上にあるのは厳密には南花台ではなく楠ヶ丘になります。

緑が残っています。旧小塩村の裏山の名残ですね。

やがて山上の建物が見えて来ました。

その前にあるのは、ビニールハウスです。

小塩公園に着きました。

公園を横切って外に出ると、南花台と楠ヶ丘との境界線になります。

階段を下りて境界線上にある細い道を歩いて行くと

南花台のメインストリートに出て来ました。

今回歩いたルートです。

小塩八幡神社

住所:大阪府河内長野市小塩町

アクセス:南海三日市町駅から徒歩11分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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