フランス「黄色いベスト」運動:これで3度目か。暴徒がもつ「良識」と憎しみ、移民問題、そして財政健全化
12月8日(土)に、予告どおり「黄色いベスト」の大規模デモが行われた。
警察側の準備もあって暴力度はかなり抑制され、まだまだ荒々しくはあるが少しマシになってきた。
暴力さえ無くなればいいのだ。デモそのものは、フランス人は慣れっこなのだから。
それでも、シャンゼリゼで暴動を起こした事といい、フランスの国家の象徴であるマリアンヌ像を壊したことといい、暴力が激しく今までよりもかなり荒んでいることは、社会に暗い影を落とした。
まさかここまで激しくなるとは。運動が起きた当初の筆者の第一声は「またですか?」だったのだが。
なぜ「また?」なのか。
なぜなら3回目だと感じたからだ。
まず1回目。
2005年、パリの郊外で暴動が起き、非常事態宣言が敷かれた。中道右派政権の時代だった。
暴動のきっかけは、パリ郊外で北アフリカ出身の3人の若者が警察に追われて、逃げ込んだ変電所で感電し、死傷したこと。サルコジ内務大臣は「寛容度ゼロ」で厳しい態度で臨んだために、より悪化した。各都市の貧しい人たちが住む地域(移民や移民の子孫が多い)で暴動が広がっていった。
その前からよくサルコジは「クズどもを片付ける」といった発言をしていたのは、暴動発生や悪化の原因の一つだと思う。火を消そうとして亡くなった方が数名、身障者でバスから逃げ遅れて大やけどした女性は「暴動の直接の被害者」として、大きく報道された。
2回目は、オランド大統領の時代である。社会党で、中道左派だ。
ブルターニュ地方で反乱が起きた。といってもマスコミは「ブルターニュ、フロンドの乱」などと書いて、ワクワクと面白がっている風さえあった(地方レベルだったので、日本ではほとんどまったくニュースにならなかった)。原因は通行税の導入。エコタックスと呼ばれ、CO2の削減が目標という大義名分だった。
なぜブルターニュ地方だけ反乱が起きたかというと、この地方とコルシカ島だけ有料高速道路がないためだ。そして地方の一体感が大変強く、雇う人も雇われる人も「我々は同じブルターニュ人」という意識があるためだった。
そして3回目。マクロン大統領である。従来の右でも左でもない新しい政党なのだが・・・。
今度は燃料税である。またCO2の削減のためだという。「またですか」のつぶやきには、「またCO2? またこの大義名分?!」という気持ちもあるのだった(というより、2015年オランド政権時代に制定された法律の続きであった。大統領がかわると政策は劇的に変化することは珍しくないので、すっかり忘れていたのだった)。
暴徒たちがもつ良識
断っておくが、暴れる人たちは一般の人間を攻撃していない。物にあたっているだけだ。
先日聞いた話だと、レストランの店主たちには「彼らは中に人間がいると襲ってこない」という認識があるのだそうだ。現場らしい発言だと思った。
とはいっても、どのようにエスカレートするかわからず危険なので、細心の警戒はしている。特にシャンゼリゼは例外であり、この大通りに近い店は、さっさと店を閉めて、シャッターがあれば下ろしている所が多い。繁華街では、何も起きていない地域でも、シャッターを下ろしている店が散見するようになった。上記の写真のように、シャッターが無いところは板で打ち付ける所も現れた。12月で最もウインドーが美しく、かき入れ時だというのに、ため息が出る。
このように「暴動」といっても、その中には一応の秩序がある。暴徒の一応の良識(?)がある。いま人々が平静を保っていられるのは、「一線を超えていない」という社会の認知があるからだと思う。
実際は移民問題も
今までの黄色いベスト運動であるが、ここまで激しい暴力には辟易している人たちが大多数に見える。
世論調査会社はちゃんと、黄色いベスト運動の何を支持するのかを明確にして、アンケートをとってもらいたい。新税を撤回しろという主張や普通のデモを支持するのと暴力とは別のはずだ。フランス全体の黄色いベストデモの中で、暴徒化しているところは限られている。彼らの主張を支持する層からも「暴力はやめろ」「デモをするなら平和的にやれ」という声は大きいと感じる。
それと、あまり声高には言われないが、この激化の背景には、移民問題が関係していると思う。特にパリはそうだと思う。移民1世ではないだろう。一番難しいのは2世、3世以降になると家庭や人による。地方の人の反乱だけではない。
これらの激しい暴力には「憎しみ」が感じられる。昨日テレビでそのように答えていた人がいたが、筆者もまったく同感である。もはやぐちゃぐちゃである。
社会は暗い。移民の同化問題がいかに難しいか。いかに不平等が広まっているか。景気が良くて社会が明るく、雇用とお金さえあれば、たいていのことは一応うまくいくのだが・・・。
それでも、「郊外問題」「社会問題」と冷静に語る場面で以外、「移民」という言葉が出てこないのは、フランス人は大したものだと感嘆する。他国のほとんどだったら、「デモが著しく暴力的なのは移民のせいだ」などと、人々やメディアが一側面だけを取り上げて扇情的にあおることが起こるに違いない。移民を受け入れようとする日本人がこのようになるには、おそらく100年以上かかるだろう。
パリの市長であるアンヌ・イダルゴ氏(社会党)は今週、「私は暴力は非難します。住民、商人、警察にとって、あまりにもひどい影響が出ます。でもデモを禁止したくはありません。パリはすべてのフランス人のものであり、政府に訴えるために、私たちの街にやってきて抗議する権利があります」と述べた。
パリはフランス人のみならず、ヨーロッパ人、そして世界の人から「市民の権利発祥の地」とみなされて尊敬を受けている都市。さすがはパリの市長、いい女だなーと感心した。
警官とデモの問題
実は、この黄色いベスト運動には前振りがある。
今年の夏、マクロン大統領の警備責任者を務めていた側近がデモ参加者を暴行する動画が「ル・モンド」で公開、拡散されて大問題になったのだ。かなり長い間、ニュースのトップを飾っていた。
「デモをする人たちに対する警官の行き過ぎた暴力」というのは、長く続くこの国の社会問題なのだ。
政治家は警官をかばい、ねぎらう。そして人々は、おおむね警官の治安を守る努力を支持していると思う。
でも確かに、駅で時々みかける検問などで「なぜそんなに相手を乱暴に扱って・・・」という場面に出くわすことがある。そのような相手は決まって、移民系の肌の色の異なる男性たちだ。何か事件があって犯人が逃亡し、警官に犯人の容姿が伝えられたのかもしれないが・・・。でも、そういう警官のほうだって、かなりの数が移民系の容姿をしているフランス人なのだ。
大統領のイメージ
フランスの大統領というのは、国民の直接投票で選ばれて、強大な権限をもっている(アメリカは間接投票)。大統領の言動には、みな大変敏感である。
マクロンの場合、警備責任者が起こした問題であり、大統領本人ではないとはいえ、サルコジのときと同じ轍を踏んでいると感じた。「この人は、郊外の人々に理解がない。理解をしようとする態度すら示さないで、抑え込むだけだ」というイメージだ。今回の黄色いベストの暴動は、この事件からつながっていると考えるべきだろう。
マクロン大統領は、あまり話が上手ではないと思う。サルコジが確信犯でわざと下品で強烈な言葉使いをしているように見えたのに対し、マクロンは思っていることを正直に口にしているように見える。運動する学生に向かって「家に帰って勉強しろ」とか、失業者に対して「私ならすぐに仕事をみつけてあげられる」(求人が多い分野はあるのだから、選り好みをするなという意味)とか。
サルコジにはエリート臭がなく、むしろ成り上がり臭すら感じたのに対し、マクロンはエリート臭がぷんぷんするのに加えて、発言が人を逆なでするようなところがある。年齢が若いのも、反発をもたれる要因の一つだとは思うのだが。
演説会に行くと、彼の演説の下手さは明白だった。途中で帰る人がいたくらいだ。選挙戦のとき、テレビではアドバイザーがついただろうし、選挙期間を上手に乗り切れる頭の良さがあったのだろう。でも、もともと口が立ってコミュニケーションが上手なタイプではないのだ。
この人は、大変まじめなカトリック教徒で、エリート街道以外を知らない人なのかもしれない。あと、まったくの憶測にすぎないが、もしかしたら家庭の暖かさを知らずに育った人かもしれないと感じる。
どのみち今この時代にあって、大統領の権限は強すぎるのかもしれない。そろそろ第6共和制に移行したほうがいいのかもしれない。
財政健全化が根本の原因
上記で筆者は「エコという大義名分」と書いた。
「エコ政策」というのは半分は本当なのだろうが、半分はもっともらしい言い訳だと思う。財政健全化のために、税金がほしいのだ。
フランスもイタリアもギリシャも、もし欧州連合(EU)がなかったら、ずるずると一層ひどい赤字国に転落していったかもしれない。
日本は世界で群を抜いて、第2位のギリシャを大きく引き離して、世界トップの財政赤字国である。いくら国内の借り入れだからといって、国の赤字を際限なく膨らませていく日本の政治には、この緊縮財政の痛みはわからないのだろうけれど。
とはいっても、国の財政健全化を心配する市民というのは、それほど多くない。すべての人は、景気の悪さ、購買力の低さ(失業率の高さ)を問題にする。そして緊縮財政は嫌われる。
でも景気が回復すれば、必然的に購買力を高め、失業率を回復させ、そして財政を健全化させる。結局は同じ問題である。じゃあどうやって景気を回復させるのか。どうやって政治が解決するのか。
右もダメ、左もダメ、新党もダメ
フランス国民はまず、サルコジ大統領の「もっと働いて、もっと稼ぐ」に期待した。
しかし実際には「もっと働いて、稼ぎは同じ」ということになった。国の政策が大きな方向転換をして結果を出すには、大統領の5年の任期は短かったかもしれないが。
そして人々は「こんなことなら、福祉政策を充実させる社会党のほうがいい」と、社会党のオランド大統領に期待した。
しかし、社会福祉は縮小の方向に向かった。膨大な社会保障の赤字のためだ。
(もっとも日本人の私から見ると、フランスの福祉政策や労働者の保護は世界一流レベルである。日本の労働者の保護は二流レベルだと思う。これ以上何を望むのか、ぜいたくすぎないか・・・と見ていて思わないでもない)。
オランド大統領は大変まじめな人だったと思う。「充実した社会保障」という社会党の看板を傷つけてでも、財政健全化を優先させた。EUの牽引国としての責任もあっただろう。看板優先で、日本のように見て見ぬフリして雪だるま式に赤字増大という政治もできたはずだ。個人の人気優先で、アメリカのレーガン大統領のように、ばらまくだけばらまいて国を恐るべき赤字におとしいれたが人気は高いという政治もできたはずだ。でも、しなかった。
そして追い打ちをかけるような移民危機。
次に人々が期待したのは、従来の右派でもなく左派でもない、新しい政党のマクロン大統領だった。
そして行き詰まった。
フランスは今後どこに行くのだろう。右もダメ、左もダメ、新党もダメ。今後彼らはどうするのだろう。
そして、中道左派の社会党の没落で、社会はますます荒んでしまっているような感じがする。社会党は穏健な左派で、福祉政策を進め、移民の処遇に好意的で、人権問題に敏感で、伝統的に力をもつ位置づけということになっている。穏健左派が看板を守れないほど、フランスのみならず先進国では財政赤字が深刻という問題。なぜなのか。これは学問的な探求以外に答えがみつからないだろう。
以前の記事にも書いたように、中道右派は極右に負けまいとどんどん右傾化し、中道左派は没落して、極左に傾いていく人たちがいる。これはフランスだけの現象ではない。欧州(西欧)は全般的にそういう傾向がある。
参照記事:日本には存在しない欧州の新極左とは。(3) EUの本質や極右等、欧州の今はどうなっているか
とはいっても、今回の黄色いベスト運動は、既存の政党や労働組合等とは関係ない動きから始まっている。だからよけいに荒んでしまうのだろう。社会や自分の位置に鬱屈があって、政党活動や労働組合運動、アソシエーション活動に参加したり、耳を傾けたりするような人は、過激行動には走らない。
「黄色いベスト」運動には、思想的には、極右も極左も混ざっているという(持っている旗でわかる)。よくまあ、黄色いベストの人々の間でケンカや暴力沙汰が起きないなあと思う。黄色いベストを着て共通の敵(?)がいるから、とりあえず仲間なのだろうか。今となっては、極右の壊し屋と、極右の敵のはずの移民系の壊し屋が、一緒になって物を壊しているのだろうか・・・。
今後欧州はどうなってしまうのか。移民を受け入れようとする日本にとっても、全然人ごとではない。
若者が社会を救う?
フランスについて言えば、もしかしたら若者が社会に明るさをもたらしてくれるかもしれない。
いま、マクロン政権が外国人だけ学費をあげようとする政策提案のために、高校生や学生の間で反対運動が起こり始めたところだ。
パリでは、パリ第1大学と第3大学(どちらもソルボンヌ大学)から火がつきはじめている。
暴力を起こしている人々の中にいるのは、移民系であってもフランス国籍を得たフランス人かもしれず「外国人」ではない、つまりこの動きの対象外かもしれない。国籍は外国人ではないのにいつまでも外国人なのが、彼らの苦しみである。
でも、「みんな平等であるべきだ」と唱える若者の運動は、一つの光明と慰めになるかもしれない。彼らには、若さゆえの明るさと元気と活力がある。この暗い社会において、彼らの若さゆえの屈託のなさが、どんなに輝いて見えることか。
この話は後日あらためて書いてみたい。
追伸:最近、いろいろな事情で記事がアップできなくて申し訳ありませんでした。