ぼくいち、復活!
去8月4日、衆議院第一議員会館で、「僕らの一歩が日本を変える。)」(通称、ぼくいち)が主催する、「高校生100人×国会議員VOL.5」が開催された。
数十名の国会議員や多くの有識者等も参加して、全国の高校生(中学生も1名参加していたようだ)と共に、政治や政策に関して、熱い議論を交わした。高校生からのあまりに熱心な意見や問いかけに防戦気味だったり、あまりに熱くなり容赦なく反論していた議員や有識者も見受けられた。
また、今回のイベントは、これまでの高校生と国会議員などとの議論だけではなく、10あるグループ毎(注1)が政策提言をまとめて発表して、その中から参加者全員で今年度の「若者宣言」を決定するという試みもあり、さらにバ-ジョンアップされ、若い世代の力強い発信のなされた素晴らしいイベントだった。
これらのイベントの詳しい内容は、東京新聞の5日の朝刊記事等にも詳しく書かれているので、そちらに譲りたい。
筆者が本記事で書きたいのは、やや別のことだ。筆者は、その活動の初期からを知る者であるが、「ぼくいち」は、昨年11月代表(当時)が小4になりすましたネットの運営で、政治・社会的に問題が起こり、その活動をその後約半年自粛していた。今年5月から、票育授業などの活動を再開し、今回の「高校生100人×国会議員VOL.5」に繋がったのだ。
行っているさまざまな活動はそれぞれ素晴らしいが、「ぼくいち」のシンボル的活動は、やはりこの「高校生100人×国会議員」だ。このイベントは、ここ数年における政治教育や若者自身からの政治や社会に対する動きに大きなインパクトや変化を与えてきたといっても過言ではない。そして、その変化の正に象徴的存在でもあるといえる。
しかも、先に行われた選挙権年齢の引き下げと来るべき来年の参議院選挙における18歳による選挙権の行使が予定されるなか、若い世代特に中高校生世代への政治教育・有権者教育がますます必要になってきている。その意味において、「ぼくいち」のこのイベントは、日本における政治教育において非常に重要かつ貴重なインフラともいうべきものだ。
そのイベントが、先述のような状況のなかで、存亡の危機的状況にあったのだ。一時はもう二度と開催できないのではないかという雰囲気まであった。ただ、筆者は、何とかこのイベントだけは存続し残ってほしい、他の団体でもいいから是非続けてほしいと考えていた。だが別の団体が行っても二番煎じの感は否めない。ぜひ「ぼくいち」に再開してほしいと考えていた。そしてやはり、今回のイベントが成功したのも、やはり「ぼくいち」を知り、「ぼくいち」のDNAを引き継ぐ、現代表や彼を支える以前からのスタッフが中心になって運営がなされたからであると思う。
そのようななかでの今回の再始動だ。筆者としては、「ぼくいち」に心よりエールを送りたい。
また後付けで恐縮ではあるが、筆者は、次のようにも考えている。
それは、今回の「ぼくいち」のこのイベントの開催と復活そして成功は、前代表の事件後の潔い電撃的な辞任(注2)および最も厳しい状況で後を継ぎ、自粛しながら復活の機会を探り、今回の復活につなげた現代表とスタッフや仲間の努力と粘り強さの賜物だと考えている。
彼らの真摯な思いと努力があったからこそ、与野党を問わず各政党や多くの議員が、このイベントの価値を再評価し、「ぼくいち」に今一度協力しようと動かされたのだと思う。彼らの逆境を乗り越え、今回のイベントの成功につなげた思いと活動は大いに評価されるべきだし、我々上の世代も大いに学ぶべきだと考える。
現代表は、このイベントの最後を締めくくるために挨拶に立ったが、多くのことが去来したのだろう、感極まって言葉に詰まった。その光景は、「ぼくいち」の昨年来の非常に厳しい状況とそれを乗り越えイベントを成功させたという達成感とを、ひしひしと感じさせるものだった。
「ぼくいち」の活動は、これで終わったわけではない。ある意味で、今一度スタートラインに立ったのだ。「ぼくいち」の新たなる誕生あるいは第二の創業といえる。それを大いに祝いたいと共に、ぜひ「高校生100人×国会議員」の活動を、日本の政治の新しい動きのためにも、ぜひ今後とも続けていただきたいと切に願いたい。もちろん今後とも支援もしていきたいと思う。
正に、「ぼくいち」のみなさんの活動の「一歩が、日本を変える。」 その動きがこれから始まるのだ。今後とも大いに期待している。
(注1)その10テーマは、「憲法」「18歳選挙」「平和」「一時産業」「震災・危機管理」「原発・エネルギー」「地方創生」「メディアリテラシー(教育)」「多様性」「社会保障」であった。
(注2)前代表は、「ぼくいち」のイベント「高校生100人×国会議員」を、数人の仲間と共に、ゼロからはじめてここまで作り上げ、社会的に有意義な活動にしてきた。それを考えると、前代表の組織やそのイベントへの思い入れは非常に大きなものだったと思う。だが彼は、組織は活動の意義と存続のために、自分の思いを断ち切って即辞任したのだ。断腸の思いだったはずだ。それが、今回の「ぼくいち」の復活にもつながったのだと思う。彼の当時の行動への反省も忘れないでほしいが、彼のその決断と行動は、大いに評価されるべきだと思う。