ちょっとおしゃれなパリ左岸の「ライカ」ストア
【意外なロケーション】
「あら、こんなところに『ライカ』の店?」
と、気になっている店があった。
場所は、パリ6区はシェルシュミディ通り。
老舗のデパート「ボンマルシェ」にも近く、パリに詳しい方なら、パンの「ポワラーヌ」本店のお向かい、と言ったらピンとくるだろうか。
ところで、パリにはいわゆるカメラ通りとでも言えそうな、その手の店が勢ぞろいしている界隈がちゃんとある。バスティーユ広場から北へ延びるボーマルシェ大通りがそれで、昔からの「ライカ」ストアもそこにある。
対して、この界隈はむしろ女性向きのショッピングエリア。靴、革製品、洋服の店などが軒を並べている。そこにどうして「ライカ」の新しい路面店ができたのか。ある種場違いにも思える、意外性を覚える。
さしあたって買うつもりはないから気がひけるものの、表から察するになんとはなしに緩い雰囲気なのに誘われてある日店内に入ってみると、若い女性がとても気さくに迎えてくれた。
もちろんカメラはある。だが、一見するとむしろ洒落た本屋さん、あるいはギャラリーといった感じで、いわゆるメカニックのイメージが前面に押し出されてはいない。
お恥ずかしながら、私自身、これまでカメラを何台も買い換えてきたものの、何ミリのレンズとか言われても、正直なところあまりピンとこない。つまり、写真は好きだがメカには弱い。だからカメラ屋さんには必要があるときしか行かないし、そこでのショッピングが洋服のそれよりも楽しいかと聞かれると、答えに窮する。カメラに詳しい方と肩を並べて写真談義など恐れ多いこと…。
だが、案外、私のような人は世の中に多いのではなかろうか。
さて、どうしてここに「ライカ」ストア? である。
その素朴な疑問を抱えつつ、後日お店の方にインタビューをさせていただいた。
迎えてくれたのは、若い女性二人。リュシール・コントレスティ=セネジューさんとヴァレリア・セレヴァンテスさん。このお二人がストアを切り盛りしているのだから、ますます面白い。
パリで3件目の路面店。デパート「ギャルリー・ラファイエット」のコーナーも含めると4か所目になる「ライカ」ストアは、2019年11月に開店した。
「これまでのストアは、どちらかという厳格なイメージでしたが、ここはむしろリラックスした雰囲気です」
と、ストアマネージャーのリュシールさん。
「左岸のこの辺りは、昔から芸術との結びつきが強く、『ボザール』をはじめアート系の学校があり、古き良きパリのエスプリが感じられます。それは、いまでも手仕事に誇りを持って取り組んでいるヨーロッパのマニファクチュールという『ライカ』のイメージとも符合します」
そしてアドバイザーのヴァレリアさんはこう続ける。
「このストアのアプローチは、まずリラックスして写真集やアート系の本、そして展示してある写真作品にコネクトするというものです。写真を介して交流ができるアーティスティックな場所。売り買いは二の次です」
つまり、必ずしもカメラの知識がない人、しかもさしあたって購買を考えていない人でも大歓迎というわけなのだ。
「ここではフィルムカメラからの歴史を知ることができますし、何より写真、カメラというものにすべての人がアクセスできるようにしたいと思っています。アマチュア、プロの写真家はもちろんですが、単純に美しいものが好きな人が、たとえば価値ある時計を求めるように、いつか『ライカ』を手にしたいと思ってもらえたらいいのです」
では、実際にどんな人が来店しているのだろうか。
「若い人が入ってくることもありますが、だいたいは『ライカ』をすでに知っている人で、40歳から65歳くらいの男性がまだまだ主流ではあります。けれども、30代前半で一人目の子供の出産間近という女性たちが、人生の大切な節目に、何か象徴的なものを求めたいという気持ちでカメラを購入するケースが増えています。ギャラリーで働いていたり、アート系の分野で仕事をしている人が多いですが、とにかく女性が『ライカ』を買っていかれるのは、私たちにとって、とても嬉しいことです」
と、日々の体験をもとにヴァレリアさんは語る。
「女性はテクニックに疎い、と言われますけれども、メカニズムを熟知していなくても、それを使うことはできます」
との明言は、私も大いに納得するところだ。
「会社の中でも女性の割合が増えているんですよ」
と、リュシールさん。
「マスキュリンな分野と思われがちですが、オフィス、店舗全体で見て、スタッフは男女半々くらいになっていると思います。パリの他のストアには男性と女性のスタッフがいますが、ここはたまたま女性二人。『だったら入れる』と思ってくださる女性のお客さまは多いはずです」
【百聞は一見にしかず】
ここではさすがに、お隣の靴屋さんでするみたいに、今年のはやりのモデルを衝動買いというようにはいかない。
アートギャラリーをちょっとのぞいてみるくらいの気持ちで入った人にとっては、ショーケースに鎮座しているレンズ1本の値段にまず驚いてしまうだろう。
(いったいどうしてこんな値段がつくのか?)
そういうお客さんの気分を察して、ストアの商品群からまずはカメラではなく、双眼鏡を実際に手にとってもらう。
お客さんと一緒に店の外に出て、双眼鏡で周囲の風景がどんなふうに見えるのか実際に体験してもらうのだ。
私にも同じことをしてくれたのだが、それはまるでVR(ヴァーチャル・リアリティ)の画面を見せられたような衝撃だった。とにかく明るく透明感さえ感じる視野に、遥か遠くの建物の煙突やテラスの緑が手で触れられるのではないかと思えるくらい仔細に、間近に見える。
「これと同じレンズがカメラにも使われているんですよ」
と、ヴァレリアさんは、横でニンマリしている。
「1本の中に20数枚使われているものもあります」
と、リュシュールさん。
つまり、このクオリティのレンズが二十数枚使われているから、あの値段になるのだ、という連想につながる。
ところで、彼女たちはガチガチのカメラ女子というわけではない。
リュシールさんは子供の時から写真好きではあったけれども、最初の就職先は音楽映像系の分野。
メキシコ生まれのヴァレリアさんは、モード、コミュニケーションの仕事を経験した上での現職。広くアート全般の表現方法から写真へというアプローチだ。
そういうキャリアの二人だが、「ライカ」について語る口調は自然体でしかも熱がこもっている。
「ライカ」に入ると全員が、ドイツの本部にあるマニファクチュールで1週間の研修を積み、そこでみっちりと技術的なことを学ぶという。
「そこではまるで手術室のような、非常に細密な仕事を目の当たりにします。たとえば、一枚のレンズの縁は黒く染まっていますが、それは熟練の手仕事。しかも25年の下積みを経て初めて一人前に筆を取ることができるという世界です。
実際に自分の目でみると、パッションを自然に引き継いでしまう。そうしてここで皆さんに説明することに喜びすら覚えるようになりました」
【ウサギとカメ】
過去20年ほど、カメラ業界の栄枯盛衰はめざましかったと思う。
フィルムカメラからデジタルカメラへ。そして解像度はぐんぐん上がり、数年前のモデルはお払い箱にせざるを得ないというスピードで性能が向上していった。
「正直なところ、『ライカ』はデジタル初期の開発競争にはついていけませんでした」
というリュシールさんの言葉には、わたしも大いに納得する。
高性能デジタルカメラといえば、ほぼ100パーセント日本のメーカーの名前があがるくらいだったから。
だが、ここへきて状況は変わってきた。写真はスマホで事足りるのでは、という時代である。
リュシールさんはこんなふうに続ける。
「『ライカ』の場合、フィルムからデジタルへの切り替えは、これまでのアイデンティティを断ち切るものではなく、段階を踏んでゆっくりと進んできました。開発競争に後れをとったということは確かですが、逆にゆっくりとシフトするということで『ライカ』のアイデンティティが保たれたのも事実です。
今の消費傾向としては、どんどん買い換えを続ける代わりに、価格は高くとも最高品質のものを求めたいという欲求があると思います。新しいモデルが発表されないことで批判された時期もありましたが、逆に今それが評価されています」
「これをお見せしましょう」
と、ヴァレリアがケースの中から恭しく小箱を取り出してきた。
「1935年に作られたレンズです。この界隈に住むマダムが持ってこられたもので、『お祖父さんから譲られたものだけれども、自分は使わないから』と」
ストアの奥にはこのレンズのような、いわゆる中古品のコーナーがあって、持ち主から預かり、欲しい人がいれば売るということもしている。しかも、それらはコレクターズアイテムという過去の遺物ではなく、いまでも使えるというのだから驚く。2019年の最新デジタルカメラ本体に、1935年製のレンズを装着して撮影するということが可能なのだ。
「このレンズを通して何が見えていたのかと想像すると、ワクワクします。それができるブランドは、そう多くないと思います」
とヴァレリアさん。
彼女の言葉は一瞬にして、私をセピア色の名作の世界へと誘ってくれるようだった。
念のため申し上げておくと、この記事は「ライカ」を宣伝する目的で書いたものではない。
パリ左岸、シェルシュミディ通りのウインドーショッピングが好きな一女性として、20年間様々なデジタルカメラを買い換えてきた消費者の一人として、また職人技に敬意をもつ者としての一体験を記したにすぎない。
祖国の職人技と重ね合わせることができるのかどうか、モノを買うという意味がこれから変わってゆくのかどうか。
そんなことをつらつらと思いながら…。