なでしこリーグ1の集客力の秘訣。人気と実力を備えたプロクラブを目指すINAC安本社長の挑戦
茨城県立カシマサッカースタジアムで行われたなでしこリーグ第15節、INAC神戸レオネッサ(INAC)対浦和レッズレディース(浦和)戦。
5年ぶりの優勝を目指す浦和の前に、西の“雌ライオン”が立ちはだかった。
立ち上がりからペースを握った浦和が、前半16分にFW菅澤優衣香のゴールで先制。しかし、INACは24分にDF高瀬愛実が渾身のミドルシュートを決め、試合を振り出しに戻す。そして、後半は運動量と切り替えの速さで浦和の攻撃力を封印。72分には、途中出場でピッチに立ったFW京川舞のシュートが相手ディフェンダーに当たってコースが変わり、ネットを揺らした。このまま2-1でINACが勝利。
茨城県出身で地元凱旋試合となった京川は、試合後のヒロインインタビューで、スタンドの盛大な拍手と歓声に感謝を込めた。
「育った故郷で、恩返しの意味も込めて全力でプレーしました。素晴らしい環境で試合をさせていただきありがとうございます。台風の被害もあって大変だと思いますが、こんなに集まってくださり嬉しく思います」(京川)
今回、なでしこリーグの公式戦がカシマスタジアムで開催されるのは初めてだ。INACのホームスタジアムであるノエビアスタジアム神戸がラグビーW杯との兼ね合いで使用できなかったこともあり、カシマスタジアムでの開催となった。
2日前に超大型台風が関東圏を襲い、この日も朝から冷たい雨が降り続いた中、1,843人の観客が入った。4万人を収容できるスタジアムだけに空席は目立ったが、両者の技術の高さと気迫が表れた試合内容、両サポーターの熱量、そしてなでしこリーグならではの選手と観客の距離感の近さが、スタジアムに温かい一体感を生み出していた。
その雰囲気は、今季、INACのフロントが仕掛けている様々な集客への取り組みとも密接な関係がある。
ドイツ女子W杯で優勝した2011年以降、INACは観客数において、リーグ随一の人気クラブであることを示してきた。
優勝した当時は澤穂希(引退)や川澄奈穂美(現スカイブルーFC)をはじめ、W杯メンバー7名が中心選手として活躍していた。そのため、11年の1部全体の平均観客数が2,796名だったのに対してINACの主催試合は8,871名と、その突出した人気で「なでしこフィーバー」を牽引。アウェーでも多くの観客を集めた。
しかし、それ以降は代表の五輪予選敗退などもあってリーグの観客数も緩やかな下降線を描き、昨年のリーグ平均は1,414名。INACはリーグ最多で、2,550名だった。
今季も集客で伸び悩み、苦しんでいるチームは多い。しかし、その中でINACは再び上昇曲線に転じつつある。
ここまで、リーグでホーム戦8試合の平均は2,758名。そのうち、県外試合を除くノエビアスタジアム開催の4試合に限れば3,516名と、直近の4年で最多を記録している。
リーグ戦の成績に目を向けると、16年から3年連続2位だが、今季は例年に比べても好不調の波が大きい。残り3試合で首位と勝ち点6差の3位。浦和戦で勝利して上位2チームとの差を縮めたが、自力優勝は厳しい状況だ。
成績やサッカーの内容が観客数を増やすための大切な要素であることは間違いないが、それだけではないことがわかる。
INACが集客を着実に増やしている背景には、戦略的かつ地道な集客努力がある。
グッズ販売やファンクラブ向けの特典をはじめ、様々な試みを行い努力を重ねてきたが、今季は例年以上に大胆な仕掛けが随所に感じられる。
その改革の中心人物が、安本卓史社長だ。
株式会社クリムゾンフットボールクラブ(現・楽天ヴィッセル神戸株式会社)で常務取締役などを務め、J1ヴィッセル神戸でFWルーカス・ポドルスキの獲得にも尽力した。同氏は昨年10月にINACの社長に就任。Jリーグのビッグクラブの発展に寄与した経験を生かし、スポンサー集めや集客、スタジアムの環境づくりなど、就任1年で目に見える変化を次々に生み出している。
7月にフランスで開催された女子W杯を、フロントスタッフとともに現地視察。男子サッカーとは異なる女子サッカーの独自性も踏まえ、強く、そして人々を惹きつける魅力的なクラブにしていく術を追求している。SNSを駆使して積極的に情報を発信し、ファンやサポーターの声にも耳を傾ける。
カシマスタジアムで行われた浦和戦が終わったのは午後3時。安本社長はフロントスタッフ6名とともに、午後7時過ぎまで撤収作業に励んでいた。
ちなみに、カシマスタジアムでの初開催に至った経緯にも一つのドラマがあった。簡単に紹介すると、安本社長のヴィッセル時代からの人間関係に加えて、茨城国体(9月末〜10月上旬)にチームが京川を派遣したことが決め手となった。
詳しい情報は「鹿島スタジアムでのホームゲームについて」と、安本卓史社長インタビュー記事を参照いただきたい。
自身の経験に基づいた集客方法などは企業秘密かと思っていたが、安本社長は貴重な情報をオープンにすることを快諾してくれた。
この記事では、その内容を紹介していきたいと思う。
【地道な営業活動の成果】
INACでは今季、全体の収益が昨年に比べて1億円近く増えており、そのうちスポンサー収入が6000万円〜7000万円(昨年比約1.7倍)を占めるという。それはヴィッセル時代の広く、太い人脈を生かした安本社長の営業力によるものが大きいと、関係者は声を揃える。全国津々浦々に足を運び、チームビジョンやそのためにどんな取り組みをしているか、スポンサーにとってのメリットをしっかりと伝えてきた。それはヴィッセル神戸時代と同じように、地道な営業活動の成果でもあるのだろう。
「プロスポーツの世界の収益はスポンサー収入、チケット収入、グッズ収入、ファンクラブ収入が主ですが、それ以外の事業で稼ぐことも可能ではあります。しかし、上記に挙げた4つの収入源の基盤をしっかりと築くことが良いクラブを作ることになります。残念ながら、なでしこリーグはまずスポンサーを増やすことに重きを置かなくてはならない状況です。ですので、私はまずそこに取り組んでいます」(安本社長/19年5月のブログより)
なでしこリーグでは働いている選手が多い中、INACでは唯一、午前中から練習ができるプロ同様の環境を持っている。ただし、現在、日本サッカー協会にプロ契約で登録している選手はFW岩渕真奈とDF鮫島彩の2人だけだ。他の選手はINACコーポレーションと社員契約を結びながら、優先的にサッカーに集中できる形となっている。その契約内容は限りなくプロに近い。
また、INACは女子サッカークラブとして初の専用クラブハウスを作り、人工芝の練習グラウンドもある。そうした、サッカーに集中できる環境を維持するためには、クラブ運営の基盤となるスポンサー収入を安定させることはとても重要だ。
【集客への取り組み】
ここからは、安本社長への取材をもとにした、集客のための具体的な施策を紹介したい。
1)CS(スカイA)での放送とYouTubeの試合映像生配信
なでしこリーグは今季、YouTube「なでしこリーグチャンネル」にて各節2試合、「mycujoo」にて2部と、カップ戦(1部・2部)の全試合を生配信している。加えてINACはホーム戦を「INAC TV」でYouTube生配信、スカイAで録画放送している。月1回の放送では、INACの選手の素顔が見られる番組も制作している。
2)ホームゲームで小・中学生、女子高校生、女子大学生を無料に
これは、海外のクラブを参考にしている部分もあるという。世界ランク1位のアメリカは、大勢の少女たちがグッズを持ってスタジアムに応援に駆けつける。今年夏のフランス女子W杯の視察では、観客に家族連れや若い女性のグループが多かったことに着目した。INACの試合でも少女や女子学生層にターゲットを絞り、チケット(通常は前売り1,300円〜)を無料化。それによって、子供の数は去年までの約5倍増になった。安本社長自身が幼稚園生と小学生の2人の娘を持つ父であり、最近は2人ともサッカーを始めたという。
「2人(の子供たち)はマーケティングのバロメーターというか、実験台ですね(笑)。試合後に『今日、どうやった?』と聞いて、2人が反応するときは、世の中の子も反応するだろうなと。フランス女子W杯に視察に行ったときにはスタンドにうちのような家族がいっぱいいたので、これは間違っていないぞ、という確信を持って帰ってきました」(安本社長)
無料席を増やすことによってチームが受けるデメリットはないのかと聞くと、安本社長は「ないです」と即答した。新規層にはリピーターになってもらえるように、試合以外にもファンクラブ会員特典など、魅力的なコンテンツを提供する。その結果、ファンクラブ会員は去年よりも200人近く増えているという。
浦和戦後のスタンドでは、INACの選手たちが試合後に投げ入れるサインボールに、子供たちが必死で手を伸ばしていた。その子供たちのエネルギーで、スタジアムには活気が満ちていた。
3)ホームタウン活動、地域交流活動を強化
地域に愛されるクラブになることや、子供たちに夢を与えられる機会を作るために、今季は選手が神戸市内の小学校や幼稚園を訪問する機会を定期的に設けている。子供達はユニフォームの選手たちを見て目を輝かせる。選手たちは子供たちと触れ合い、「試合を見に来てね」と伝えた子供たちが見に来てくれることで手応えを感じるという。小さな子供たちは保護者と一緒に観に来るため、結果的にファミリー層を取り入れることができる。こういった活動が可能になるのは、サッカーに専念できるプロチームであることも大きい。
4)スポンサー企業の従業員、家族も重要なターゲット
スポンサー企業の従業員や、その家族も大切な観客だ。従業員が多い企業や、銀行などの支社がある企業では1000人単位で入ることもあるという。もちろん、一度契約を結んだ企業にも、何度も足を運んで信頼関係を築くことを大切にしている。
「案内やチラシを持って行ったり、招待券をスポンサー企業に持っていきます。試合にはオーナーさんや社長さんも来られますが、従業員の方が『うちの会社がスポンサーをしているチームを一回見てみよう』と言ってどれぐらい来てくれるかが大切ですね。初めて見に来てくれたお客さんは、良い試合をすればまた来てくれます。観客が2,000名を超えた試合で勝利すると、次は必ず増えますね」
試合の内容や結果はもちろんだが、観客が増えることで生まれる広告効果はスポンサーにとってもメリットになる。
5)グッズのラインナップ、ファンクラブ会員特典が充実
INACでは、ユニフォームやタオルマフラーをはじめとしたグッズ販売はこれまでにも行っていたが、今季は選手プロデュースのグッズなど、ラインナップを充実させているという。
また、リーグ後半戦は選手の写真が掲載された日程ポスターを写真ではなく、似顔絵にするなど、ビジュアル面の工夫も光る。選手たちのプレー中の表情や素顔を切り抜いたブロマイド写真も、ファンには嬉しい。
「ファンクラブに入ると選手のブロマイド(写真)が買えます。今まで小さい写真だったのを大きくしたり、カメラマンさんにもお願いして写真のクオリティを高くしました」(安本社長)
今は1試合あたり、ブロマイドを中心に30万円以上の売り上げがあるという。フロントスタッフとともにアイデアを一つずつ形にしながら、安本社長自身が楽天時代に学んだという「仮説→実行→検証→仕組化」のサイクルを、グッズ販売にも生かしている。
6)ホームゲームでのイベントを充実させる
試合当日のスタジアムイベントも充実させている。
選手が普段行っている「ボール磨き」の体験会を行ったり、ファンクラブ限定で、勝利した時にはピッチサイドで選手たちとハイタッチができる。
また、スタジアムMCにも力を入れている。INACの応援大使で、京川の小学校時代のチームメイトでもあるという元NMB48の磯佳奈江さんとともに軽妙な語り口でスタジアムを盛り上げるのは、なんと安本社長本人だ。
試合前のメンバー紹介から、試合後のヒロインインタビューまでこなす。そもそもは、スタジアムDJが急きょ来られなくなった際に当時のフロントスタッフから「社長やれるんちゃいます?」と言われた一言を機に代役として挑戦したのが始まりだ。しかし、選手のことを誰よりも知っていて、試合前のスタジアムMCによるメンバー発表ではリストを見なくてもスムーズにアナウンスできる、といった強みがあることや、安本社長自身のキャラクターがサポーターに受け入れられたこともあり、そのまま定着した。
「最初に比べたら我ながら、(MCの)レベルが上がってきました(笑)。ハーフタイムは初めての人にもわかるように楽しく盛り上げたいなと思っていますし、試合中の盛り上げ方は、ラグビーやバスケを参考にしています」(安本社長)
また浦和戦では、バックスタンド前の看板にLEDでスポンサー広告や告知が流れる仕組みを、なでしこリーグでは初の試みとして取り入れた。これは、ゴール裏だと高額になる看板の設置費用を抑えられるメリットもある。
自身がヴィッセル時代にこの仕組みをJリーグに導入したこともあり、なでしこリーグとの交渉の末、導入に踏み切ったのだという。
ちなみに、この浦和戦で流れていた内容は来週10月20日のベレーザ戦の告知だった。試合はアウェーの味の素フィールド西が丘(東京都)で行われるが、優勝争いを左右する大一番ということもあり、INACは尼崎市でパブリックビューイングを実施する。料金は500円で、「ポップコーン+応援グッズつき」というのだから超お得だ。浦和戦ではボールが外に出た瞬間など、ついついこのLED広告に目がいってしまった。
7)来年以降は県外興行を減らす方向
冒頭に記したように、今季、ホーム開催試合では平均3,516名と集客増を達成しているが、県外試合では平均2,001名と苦しんでいる。
2011年のドイツW杯大会での優勝で女子サッカーが爆発的に人気が出たことから、優勝メンバーを多数抱えていたINACとしては、県外興行は女子サッカーが盛んではない地域へ向けたアピールや、選手の地元凱旋という意義もあった。また、ノエビアスタジアムの使用料が高いこともあり、結果的にコストカットにも繋がっていた。
一方、サポーターには遠隔地への遠征という無理をお願いしてきたのも事実だ。また、今季の県外試合は1勝3敗と分が悪い。4試合すべてにおいて、対戦相手の本拠地の方が地理的に近く移動が楽で、INACにとってホームアドバンテージを得ることが難しかったという。
そうしたことを検討し、収支が安定したことでコスト面の心配もなくなったため、来季からは県外興行を減らす方向だ。
「来年からは神戸が中心になります。一つずつ足下を固めるために地元のお客さんを増やさなきゃいけないと思っています」(安本社長)
このように、INACのフロントが実践しているアイデアは多岐にわたり、その効果は着実に数字にも現れている。
この他にも、安本社長が名刺交換をしたビジネスの関係者向けに、INACの女子サッカー情報を見やすくまとめたメルマガを不定期で展開。その数はJリーグ時代の関係者も含めて3,000人以上になるという。
一貫しているのは、思いついたことを検証し、それに手ごたえを感じたら妥協せず実行に移していく攻めの姿勢だ。強化部長をはじめとしたスタッフも目が回るような忙しさの中で奮闘しているようだが、同じ目的を共有し、個々の強みを生かしながら課題を一つひとつ解決していくフロントの一体感も強みだろう。
「ヴィッセル時代にチャレンジしたいろいろなことを、もう一度、女子サッカーに置き換えて焼き直していますが、伸びしろはまだまだあります。今はとにかく、走るだけだと思っています」(安本社長)
2021年をめどにリーグのプロ化が進められているが、観客動員はリーグ運営を安定させる上で大きなバロメーターになる。
【最大のライバル、ベレーザとの一戦へ】
首位の浦和に勝ったINACは、これで2連勝。10月20日(日)に味の素フィールド西が丘で行われる第16節の日テレ・ベレーザ戦は、今シーズンのリーグ戦をどう締めくくるかという点で非常に重要な一戦になる。
対ベレーザ戦では17年5月以来勝っておらず、直近では1-3で敗れた8月3日のリーグカップ決勝以来の対戦だ。逆転優勝を目指すベレーザにとっては絶対に負けられない試合であり、INACは上位2連戦を連勝で乗り切り、意地を示したいところだ。
人気と実力を兼ね備えたクラブとして、再びリーグの頂点に返り咲くこと。そして、世界の女子サッカー界をリードするビッグクラブを目指し、INACと安本社長の挑戦は続いていく。
次の記事では安本卓史社長のインタビューをお届けする。