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各球団の背番号「42」。最も長く背負っているのは坂口智隆。6球団は新加入

宇根夏樹ベースボール・ライター
左からボー・タカハシ、平野佳寿、ジェームズ・シャーフィー Feb 13,2019(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 今から75年前の1947年4月15日に、ジャッキー・ロビンソンは、ブルックリン・ドジャースの「2番・一塁」として出場し、「カラー・バリア(人種の壁)」を破った。そして、1956年を最後に引退するまで、「42」を背負ってプレーした。

 1972年6月4日、ドジャースは、「32」と「39」とともに「42」を永久欠番とした。「32」はサンディ・コーファックス、「39」はロイ・キャンパネラの背番号だった。この3つは、ドジャースでは初の永久欠番だ。それまでは、ロビンソンの引退後に、「42」を背負った選手もいた。また、背番号「42」は、1997年4月15日に、全球団の永久欠番となった。

 一方、日本プロ野球では、どの球団も「42」を永久欠番としていない。フランク・ハーマンのように、東北楽天ゴールデンイーグルス(2017~19年)と千葉ロッテ・マリーンズ(2020~21年)の2球団で「42」だった選手もいる。今オフ、ハーマンは、トロント・ブルージェイズのフロント・スタッフに加わった。

 2018年以降の各球団の「42」は、以下のとおりだ。

筆者作成
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 今年は、新たに6人が「42」を使用する。阪神タイガースのカイル・ケラー、広島東洋カープのドリュー・アンダーソン、中日ドラゴンズのアドゥ・ブライト健太、東北楽天のクリス・ギッテンス、北海道日本ハム・ファイターズのジョン・ガント、埼玉西武ライオンズのボー・タカハシがそうだ。

 彼らのうち、昨年、メジャーリーグでプレーした3人の背番号は、ケラーが「67」(ピッツバーグ・パイレーツ)、アンダーソンが「58」(テキサス・レンジャーズ)、ギッテンスは「92」(ニューヨーク・ヤンキース)だった。ブライトは、昨年のドラフト1位だ。上武大から中日に入団した。大学時代は、ずっとそうだったかどうかは不明ながら、確認できた限りでは、背番号「3」を使用していた。

 タカハシは、昨年のシーズン終盤に、韓国のKIAタイガースで「36」を背負って投げた。ちなみに、その前は、メジャーリーグの2球団、アリゾナ・ダイヤモンドバックス(2014~20年)とシンシナティ・レッズ(2021年)に在籍。2019年8月にメジャーリーグへ昇格し、背番号「52」のユニフォームを着ている。ただ、この時は、登板機会がないまま、AAへ戻された(上の写真は、2019年のスプリング・トレーニング)。メジャーデビューはしていない。

 現在、最も長く「42」を背負っているのは、東京ヤクルト・スワローズの坂口智隆だ。2015年のオフにオリックス・バファローズを退団し、2016年から、東京ヤクルトの「42」としてプレーしている。また、坂口は、国鉄スワローズ時代などを含め、球団最長の「42」でもある。昨年、ツギオ佐藤(佐藤二朗/1999~2003年/一軍出場なし)と七条祐樹(2011~15年)の各5シーズンを上回った。

 現役選手の背番号については、こちらでも書いた。

「背番号を変更した選手たち。2021-2022セ・リーグ編。中村悠平と松原聖弥は2年連続の変更」

「背番号が一桁の選手だけでラインナップを組める球団はあるのか。12球団のうち…」

「現役選手の「背番号」。12球団で使われているのは…、12球団で1人だけなのは…」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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