「ポスト松本人志」をメディアがこぞって報道、“後釜”を作りたい理由とその言葉の軽薄さについて
ダウンタウンの松本人志が、週刊誌報道を受けて活動休止を発表してから1か月が過ぎた。冠番組の一つ『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)では2月1日放送回から相方の浜田雅功の“一人体制”がスタート。翌日放送『探偵!ナイトスクープ』(ABCテレビ)も、本来は松本人志が座っている局長席に“代理”として間寛平がついた。
松本人志がチェアマンをつとめるバラエティ特番『IPPONグランプリ』(2月3日放送/フジテレビ系)ではバカリズムがチェアマン代理となり、番組序盤では「松本チェアマンがお休みということで。なんでお休みなのか知らないですけど」「まあ、風邪かなにかでしょうか」ととぼけた。
松本人志の名前を番組名から外して最初の放送となった『酒のツマミになる話』(2月9日放送/フジテレビ系)では、『M-1グランプリ2023』優勝の令和ロマンの髙比良くるまが同大会に再挑戦したい理由を語ったとき、MCをつとめる千鳥の大悟が「これは松ちゃんに聞いてほしかった」と不在を悔やみ、さらにノブが「松本さんに(『M-1』に再度)出てほしいと言われたら…」と言うと、大悟は「(再挑戦することへの)ハンコを押されたような」と言及した。
いずれの番組でもなんらかの形で番組を進行させ、そのなかで松本人志の“名残”を感じさせるコメント、番組自体へのフォローが入れられている。
多数の大手メディアが「ポスト松本人志」を話題に
そんななか、ニュースサイトなどのメディアがこぞって報道しているのが「ポスト松本人志は誰か」という内容だ。
週刊女性PRIMEでは「松本人志が出演する番組の後任として適任であると思う芸能人」(1月29日付)について20歳から70歳までの女性1000人を対象とした緊急アンケートがおこなわれ、「ポスト松本はいない」「浜田雅功」「内村光良(ウッチャンナンチャン)」という結果が出たことを伝えた。
『バラいろダンディ』(2月6日放送/TOKYO MX)では「ポスト松本」についてサンドウィッチマンなどの名前が出ていると紹介し、出演者の元衆院議員の金子恵美は「コンビ仲が良い芸人さん」を希望したことから、「ポスト松本」に千鳥が挙げられた。その上で出演者の山田邦子は「大悟にはなにかありそうだもんね、ノブは良いけど」と推測。そしてこれらのやりとりが、スポーツ報知(2月6日付)、東スポWEB(2月6日付)、日刊スポーツ(2月7日付)などで記事化された。
日刊ゲンダイDIGITALでは「テレビ各局で『ポスト松本人志』争奪戦が始まった!」(2月6日付)と煽り気味の見出しとともにサンドウィッチマンがその筆頭である理由を記述。Smart FLASHでは「テレビマンが選んだ」(2月8日付)として、バカリズム、劇団ひとりをチョイス。ほかにも、AERA dot.、女性自身など多数のメディアが、松本人志の活動休止以降「ポスト松本」を話題とした記事を掲載。ちなみに騒動が起きる前には、日刊サイゾーが「『ポスト松本』時代への期待」(2023年3月19日付)として石橋貴明(とんねるず)に期待が寄せられていると報じたことも。
二宮和也のMC、“畑”が違うからこそ新鮮味があった『だれかtoなかい』
ただメディアがこぞって報道する「ポスト松本」というワードに対し、白けたムードを感じてしまうお笑いファン、バラエティ番組好きは筆者だけではないはず。
たしかに1月31日、2月7日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)を観ていると、「もしここに松ちゃんがいれば一言でオトして笑わせてくれたんじゃないか」と思わずにはいられない場面が随所にあった。あと、視聴者として不在を意識しすぎるあまり、その空白を埋めるために浜田雅功がいつもより踏み込んでコメントしている気もした。そんな放送の後、日刊スポーツで「松本人志“ロス”の声相次ぐ」(2月7日付)との記事が出たのも“案の定”と言える。
それでも、松本人志がいないのであれば、いないなりのおもしろさや特色が生まれるもの。
特に2月4日放送『だれかtoなかい』(フジテレビ系)である。多くの番組では松本人志と同じお笑い芸人が代役をつとめていることから、どうしても比較されることが多い。本人たちももしかすると、番組に出演する責任以上の気負いがあるのかもしれない。しかし、松本人志に替わってMCに抜てきされた二宮和也は“畑”が違うこともあって、番組自体が明らかに新鮮に感じられた。中居正広も、関係性が長くて深い二宮和也ということで良い意味で「相手の話の展開を立てよう」という様子がなく、結果として非常にざっくばらんな内容となった。
「数字」を稼ぎやすく、賞レースなどの“指針”にもなる松本人志
ではなぜここまでメディアが「ポスト松本」に執着するのか。
一つは「数字」である。筆者も松本人志関連の記事をいくつかのメディアで書くことがあるのでよく分かるが、普段の記事よりも良い数字が出る傾向にある(もちろんすべてがそうとは言い切れない)。テレビ番組的に「松本人志は視聴率が稼げる可能性が高い」のと同様に、芸能ニュースを扱うメディアも松本人志の記事は数字がある程度、見込めるのだ。大ベテラン芸人でありながら、その注目度は衰え知らず。そういう意味でも、松本人志が活動を休止したことで、芸能ニュースを扱うメディアとしては“核”を失うなど大きな痛手となった。その点で、高い数字が見込めるかもしれない「ポスト松本人志」の誕生はメディア的にも重宝すべきありがたい存在となる。
もう一つは、番組や賞レースにおける象徴を失ってしまうことへの潜在的な「恐れ」である。これは極端な話だが、たとえば『M-1グランプリ』でも、松本人志のコメントさえ追いかけていれば「記事になる」と考えるメディアや記者・ライターは少なくないのではないか(筆者も松本人志に注目してそういった記事を書くことがあるので、そのように思われているはず)。松本人志のコメントだけをピックアップして構成される記事が過度にあるのも、そういった理由が一因していると思われる。つまりメディアにとって、松本人志は良くも悪くも記事などにする上での“指針”になるものだった。逆に言えば、松本人志のようなシンボリックな存在がいないと、いざとなったとき“路頭”に迷うメディアや記者・ライターがいてもおかしくない(そしてそれが『ワイドナショー』(フジテレビ系)で松本人志が掲げ続けた「キリトリ記事禁止」にも起因する)。そうなったとき「ポスト松本」がいてくれると、賞レースなどでもポイントが絞りやすくなる。もし「ポスト松本」が『M-1』で審査員をつとめるとなれば、その芸人の言葉がかなりクローズアップされることになるだろう。
もちろん「ポスト松本」の記事の氾濫は、「『松本人志不在』という大きな騒ぎに便乗しているだけ」でもある(この記事もその一つとして見られることは承知している)。
ただ言えるのは、誰も「ポスト松本」になり得ないし、なりたくもないだろうということ。
前述したように、いないのであればいないなりのおもしろさ、もしくは発見が各番組にはあること。そして結局、「ポスト松本」を求めているのはメディアだけなのかもしれないこと。その点も含めて「ポスト松本」を報じるメディアは、お笑いファン、バラエティ番組好きとの温度差をそろそろ感じとり、その言葉の軽薄さをとらえるべきなのかもしれない。