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主体性のある子どもを育てたいと言いながら、教員と自治体の主体性は無視する文科省と国会

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(筆者撮影)

教員免許更新制がまもなく廃止される。医師や弁護士、保育士には免許更新制はないが、教員にはある。10年ごとに30時間以上の講習を受けなければ、教壇に立てなくなる。2009年からスタートしたこの制度だが、13年あまり経って、今年からなくなる見込みだ。この動きには、当の教員や教育委員会等から歓迎する声が非常に多い。

だが、すっきり廃止すればよいものを、更新制をなくする代わりに、新たに、教員研修の記録をとることと、その研修履歴に基づいて校長らは教員に指導助言することが法律で義務化される予定だ。大手の新聞やテレビでは、免許更新制廃止については報じているが、新しい制度の問題点については、ほとんどなんら触れていない。国家統制を強めることに関心が薄いマスメディアには、正直がっかりだ。

私は、一昨日、この法案の審議をしている参議院文教科学委員会に参考人として呼ばれ、問題点を述べてきた。今日は、そのポイントを解説する。

※教員免許更新制の内容、経緯については、朝日新聞2021年5月30日などが分かりやすい。

※妹尾が参議院でプレゼンした概要は、下記の配布資料や国会中継動画でご確認いただける。ご関心がある方はご覧いただきたい。

(配布資料)

(国会中継動画)

■そもそも、教員免許更新制は何が問題だったのか

日頃勉強していなかったことが学べるなど、更新講習にはよい点もあった。だが、免許更新制には問題のほうが多かった。これは大きく2つの観点で整理できる(以下、プレゼン資料は、妹尾が参議院で参考人意見陳述の際に用いたもの)。

出所)妹尾昌俊プレゼン資料 2022年4月28日(以下、特に断りのない限り同じ)
出所)妹尾昌俊プレゼン資料 2022年4月28日(以下、特に断りのない限り同じ)

第一に、免許更新制の目的が曖昧だったし、その目的(目的らしきもの)に照らして更新制が効果的だったかもよく分からない。

免許更新制が議論された当初は、指導力不足の先生がいるので、免許を期限付きにして、そうした問題のある教員は退場してもらおうという発想があった。だが、教員免許制度をそのような処分の制度とすることには問題が多く、のちに不適格教員の排除という目的はトーンダウンすることになった(現に、更新講習を受けさえすれば、ほとんどの人が更新される制度運用となった)。

代わりに、教員が最新の知識等を身につけること、つまり、教員の資質能力の向上という目的にすり替わっていった。だが、昨今の社会の変化のスピードからしても、10年に1度のアップデートでは遅い。それに、なにも更新制を導入しなくても、たくさん教員研修は当時から実施されていた。現在もそうだ(ただし、校種などにより差はあるし、非正規雇用の教員には研修は薄いことなど、問題もある)。

このように、目的が妥当なものだったかどうかも怪しいし、その目的に照らして更新制という手段が効果的だったかも怪しい

第二に、たとえ免許更新制に多少のメリットやプラスの効果があったとしても、それを上回るマイナス影響、副作用があったと考えられる。

とりわけ、ここ数年深刻化している教員不足を助長したことは大きい。育児や介護などを理由に一度離職した人が、更新していないために、復帰しにくくなっていた。また、50代などになって、更新講習を受けるのも面倒だし、働くのも疲れたし、もういいかと早期退職する人も出てきていた。

そして、更新講習で大学教授等から貴重な話が聞けてよかったという声もあるものの、多くの教員にとっては、やらされ感が募るものとなった。そりゃそうだ。忙しい中、講習を受けなければ、失職してしまうのだから。つまり、免許更新制というのは、強制された学びであり、教員が主体的に学ぶとか、自学しながら同僚や仲間と切磋琢磨するといった発想にはほど遠いものだったのである。

教員免許更新制はいわば、強制された学びだった。
教員免許更新制はいわば、強制された学びだった。写真:イメージマート

■法改正で、また同じ過ちを進めようとする文科省、国会

こうしたこともあって、免許更新制をやめることについては、有識者等の間にも、国会の審議でもあまり異論はないようだ。だが、問題は、免許更新制に代わる制度を入れようとしていることである。

国会では、教育職員免許法(免許更新制が関係する)に加えて、教育公務員特例法の改正も一緒に審議されている。後者の特例法の改正の要点は2つだ。

●教員が受講した研修の記録を教育委員会(任命権者)は作成しなければならないこと。

●校長及び教育委員会は、上記の研修記録などを活用しながら、教員に対して資質の向上に関する指導助言を行うこと。

この改正は、ざっと見るかぎりでは、それほど大きな問題があるようには見えないかもしれない。別に研修の記録はあってもいいだろうし、校長が教員を指導助言するのは当たり前と言えば、当たり前の話だからだ。

わたしも当初はそう感じていたが、少しよく考えてみると、かなり問題があると気づいた。先ほどと同様に、2つの観点に分けて考えてみよう。

第一に、研修記録をわざわざ法律まで改正して義務化する意味、目的がよく見えてこない

文科省の説明は、教員の資質能力の向上のため使っていく、というものである。だが、研修履歴が見られるようになったからといって、教員の学びがすごく充実するわけではない。

現に、企業でも行政機関でもいいが、研修履歴をもとに人材育成がすごく進んでいる事例はあるだろうか?わたしはそんな事例は聞いたことがないし、企業の人材育成の専門家(大学教授)に聞いても、そう述べていた。企業等でも、上司は日頃の仕事ぶりや成果をもとに助言などをするのが通常だ。研修履歴はあってもいいが、必須アイテムではない。ましてや、法律で義務化するほどのものではないはずだ。そもそも、文科省内でさえ、局長や課長は、部下の研修履歴を見て指導助言しているのだろうか?はなはだ怪しい(自分がやろうとしないことを人に押しつけてはいけない)。

目的に関連しては、ほかの問題もあるが、別の記事にも書いたので、ここでは繰り返さない(詳しくは下記)。

妹尾昌俊「迷走する教員政策:研修履歴の管理で事態はよくなるのか?」

つまり、目的は曖昧だし、その目的らしきものに照らして、今回の法改正が効果的かどうかも怪しい

先ほど、免許更新制の問題を整理したことを思い出してほしい。同じような批判が今回も当てはまるのである。文科省官僚も国会議員の先生も、とてもスマートな方が多いが、免許更新制の反省から、なにも学んでいないのだろうか?

■メリットよりも問題のほうが大きい

第二に、記録や指導助言の義務化は、マイナス影響、副作用のほうが大きい可能性が高い。

わたしは、参議院で5つの問題に分類して解説したが、長くなるので、ここでは一部のみお話しする(下記のスライドも参照)。

ひとつの問題、副作用は、研修記録やその活用といったような細かいことまで国がわざわざ法律で義務付けるということなので、国は、地方自治体、教育委員会のことを信用していない、ということであろう。別に法律で義務化しなくても、文科省から通知(お知らせ)を出して、「研修履歴の活用はとてもいいことなので、ぜひ前向きに検討してください」と提案するくらいでよさそうなものなのに。

本来、学校教育を含めて、住民に身近な行政サービスは、なるべく住民(教育については保護者や子どもも含めて)に近いところで決めたほうがよいと考えられている。これが地方自治、地方分権の考え方だ。言い換えれば、今回の動きは、地方自治、地方分権など、完全無視だ。また、ほとんどの教育委員会側も、今回の法改正に反対意見も出していないが、いつまで国の言うことに受け身なままでいるつもりなのだろうか。

別の問題は、「日本の先生は教育委員会や校長から、イチイチ、研修履歴を管理されたり、指導されたりしないと、学ぼうとしないのだ」という誤ったメッセージ、イメージを教育関係者にも社会にも多かれ、少なかれ与えてしまうことだ。

「指導及び助言」という言葉が法案でも何度も出てくるが、

●文科省が法律と指針によって、教育委員会が行うことを細かく義務付ける。

●教育委員会は、校長等に対して指導助言し、研修履歴の活用等がきちんとなされているか管理する。

●校長は教員に対して研修履歴等を活用しながら、指導助言する。

というタテ系列を強めるのが今回の改正案である。

つまり、教員が主体的に学ぶとか、教職員同士で学び合うといったことからは真逆の発想なのだ。これは国内外の教育学の知見からしても、時代錯誤な発想と言えると思う。免許更新制について、強制された学びと評したが、今回の改正で、日頃の研修にやらされ感が高まるようになってはいけないと思う。

それに、昨今、学校の多忙は知れ渡っていて、教員志望者も減っている。そんななか、事務作業を含めて、さまざまな負担軽減を進めなければならないときに、国は「研修記録をちゃんと取れ」、「校長は部下とちゃんと面談して、指導助言せよ」と書類を増やし、時間を奪おうとしているのだ。教員政策が迷走している、とわたしが述べているのは、こうした理由からだ。

■参議院の存在意義を発揮するとき

一言でまとめると、本稿のタイトルにも書いたとおりだ。文科省は、学習指導要領などで、子どもたちの主体性や自ら学び続ける力、問題解決力などを重視している。なのに、教育委員会と学校の自主性、また教員が主体的に学び続けることには、関心が薄いように見える。せめて、教員の自発的な学びを邪魔するようなことはしないでいただきたい。

この法案は、既に衆議院では自民、公明、立憲民主、維新、国民民主の与野党の賛成多数で可決している(教育新聞4/8)。だが、衆議院でどこまで上記のような問題点は議論されたのだろうか。管見のかぎりでは、学校に過度の負担にならないようにとか、人事評価とリンクすると変なことになるといった議論はあったが、それほど教育公務員特例法改正の問題点や副作用について議論が深まったとは思えない。「熟議の府」「再考の府」と呼ばれる参議院では、ぜひとも、熟議のうえ、再考していただきたい。

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教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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