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精神科医が明かさない不登校の理由「思想を語るスクールカウンセラー」

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

精神科のお医者は科学の心理学に基づいて、科学的な見立てをしますので、どうしても科学が科学であるゆえに言及できないことについては、多くを語りません。

お医者ご本人が精神分析哲学や実存哲学に興味のある人であれば、なんらか言及している人がもしかすればいるかもしれませんが、基本的には言及しないものです。

「大丈夫だよ。男は他にもたくさんいるから」

例えば、彼氏にふられて落ち込んでいる人に対して「大丈夫だよ。男は他にもたくさんいるから」と言って慰める人がいます。

その言い方は別に間違っているわけではありません。実際に、あなたの周りを見渡せば、男はたくさんいるからです。

しかし、彼氏にふられて落ち込んでいる人は、「その彼氏」じゃなければ絶対にダメなのです。

その彼氏でなければ絶対にダメという気持ちには、「本人にしか分からない」なんらかの気持ちが込められており、かつその「なんらかの気持ち」は「本人も十分に言語化できない気持ち」です。

彼はイケメンで優しくてお金持ちだったから「彼でなくてはダメ」と彼女が思っているにせよ、そういう「一般論」を超えるなんらかの思いがあるから、「自分でもよくわからないし、うまく言えないけど、その彼じゃなきゃダメ」なのです。

一般論ではない何か

不登校の生徒さんもそれと似たような気持ちを持っています。

例えば、「意に染まない高校に進学してしまったが、そこの授業レベルは自分にとって低く、とても知的好奇心を満たしてもらえるような授業ではない。周りの生徒のレベルも低い。だからイヤだ。だから学校に行かない」と言い張る人がいます。私は毎晩、不登校の生徒さんにZoomを使って授業をしていますから、そういった生徒さんに出会うことがあります。

一般論を言えば、「その高校にしか行けなかったという事実は今さらどうにもならないのだから、今置かれている環境で自分なりに精一杯勉強し、自分で自分の知的好奇心を満たし続けることで、気に入る大学に行けばいいじゃないか」となります。

しかし、本人はそれでは納得しないようです。

ある生徒さんは、「旧制高校のような学問の香りのする高校に進学し、そのような香りを愛でる同級生や先生に恵まれ……そういった環境でない限り、私は行くつもりはない」と言い切りました。

その主張は感覚的にわかる人は、わかるでしょう(私はわかる)。

しかし、おそらく多くの人は、彼女が何を言っているのかわからないはずです。

学問の香りがどうであれ、そんなものは大学に行って匂いたければ匂えばいいのであって、本人が言うところの二流高校にしか行けなかったのであれば、置かれた環境で精一杯頑張るしかないのでは? これが一般論でしょう。

その一般論を本人は、頭では理解しています。「それはそのとおりだ」と言います。

しかし、本人もうまく言語化できないなんらかの気持ちが、「いや、そうじゃなくてさ、学問の香りが云々」と、彼女に訴えかけてくるのです。

科学が語れない人生観

本人にしか分からない気持ち、かつ本人もなぜそういった気持ちに自分が支配されるのかわからない気持ち。そういったものがじつは、私たちの人生を支配しています。

例えば、タバコを吸っている人の中には、その昔テレビでタバコを吸う芸能人を見て「かっこいい」と思った、という動機でタバコを吸い始めた人がいます。

『禁煙セラピー』という世界的ベストセラーには「喫煙をかっこいいと思っているから禁煙できないのだ。喫煙はダサいものだと認識を改めよう」と書かれているので「かっこいい」は喫煙の動機に十分なものなのでしょう。

しかし、「なぜかっこいいと思ったのか(思うのか)」を、本人は十分に言葉で説明できない。「なぜか、かっこいいと思ったし、今でもそう思う」としか言えない。

この「なぜかさ」について、精神科のお医者は言及できないはずです。それを扱っているのは科学ではなく哲学だからです。

「好きに理由はないでしょ?」

私たちはなんらかよくわからない気持ちに支配されて生きている――まずはこういった人生観がないと、「不登校→スクールカウンセラーに相談する→スクールカウンセラーが『学校に行かないのは悪で、学校に行くのは善だ』という思想を開陳する→生徒はますます心を閉ざす」という悪循環に陥るだけで、百害あって一利もないことになってしまいます。

以上の話をもっとも簡単に言えば「好きに理由はないでしょ?」ということです。理由を述べろと言われたら「後付け」で言えなくはないが、しかし、どんなに言葉を尽くして理由を述べたところで、なんらかを言い洩らしている「感じ」が残るでしょ?

その「感じ」があなたの人生を突き動かしており、「感じ」は「感覚」であるゆえに他者と共有するのがものすごくむずかしいのです。場合によってはほぼ不可能なのです。だから生徒は黙って「不登校する」のです。

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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