国立競技場は、金網に囲まれていた……”封鎖された”五輪スタジアムに思うこと
東京オリンピックが盛り上がっている。東京23区の端に住む記者も、毎日テレビで観戦し、興奮している1人だ。
テレビにはしょっちゅう、国立競技場・オリンピックスタジアムの雄姿が映る。記者にとっては地元開催であり、スタジアム周辺の景色も見慣れたもの。東京五輪には親近感を持っていた。
しかし先日、スタジアムの姿を実際に見て、そのイメージが180度変わってしまった。
開幕6日目の7月28日、国立競技場駅から、五輪スタジアムを見る機会があった。駅の地上出口は片側は封鎖されていた。もう片方の地上出口には、「Tokyo 2020」と書かれた階段や競技場の観客を描いた壁画があり、駅を降りる人を歓迎しているように見えた。
しかし、地上に出た瞬間の景色に驚いた。高くて頑丈な金網に、行く手を阻まれたのだ。警察が目を光らせ、護送車が止まっていた。
まさに「ものものしい雰囲気」。テレビに映る会場のオープンな雰囲気と、現場にある高い金網のギャップ。
競技場を臨む一面に金網が張られ、競技場に近づくことができない。ほかの方角から見ればもう少しオープンなのかもしれないが(実際、一般の人の記念撮影などで、金網越しではないスタジアムもよく見る)、外周の道も金網で塞がれ、回り込むこともできなくなった。
オリンピックスタジアムを金網で囲むのは、セキュリティ上、必要なことなのだろう。各国から選手とメディアが集まった一大イベント会場。万が一にでもテロが起きてはいけない。頭では分かる。
だが、テレビ放送やネットで感じる、”現地開催の身近な五輪”というイメージとは現場は真逆。「拒否された」とという感覚を覚えた。
また、国立競技場周辺はすべて通行止めで、封鎖されている。無関係な車は入ることができない。普段からこの道を使っていたドライバーは、迂回せざるを得ない。
少し前までは自由に通れたはずの道が、厳重に封鎖されている。五輪は、現地の住民からも「守られた」別世界だった。会場に来る”無関係な人”は、信頼も歓迎もされていない。
通行止めや施設の封鎖は、今に始まったものではなく、五輪前から続いてきたものだ。
例えば、毎日のようにさまざまな大規模イベントが開かれてきた「東京ビッグサイト」(国際展示場)は、五輪でプレスセンターとして使う準備のため、一部イベントが中止に追い込まれた。
2019年の夏同人誌即売会「コミックマーケット」(コミケ)の期間が短縮されたことを記憶している人も多いかもしれない。記者も参加したことがある毎年恒例のイベントが、五輪準備の割を食った。
記者は休日、子連れでお台場に遊びに行くことが多かったが、お台場エリアの公園は、今年入ってトライアスロン競技などの準備のため封鎖されてしまい、遊びに行けなくなった。
五輪に伴う交通規制も、数え切れないほどあった。
23区の端に住んでいる記者が実感として思い出せるだけでこれだけあるが、もっと都心部や競技会場近くに住んでいる人は、もっと不便があっただろう。
都民はこれまで、五輪準備のための不便を我慢してきた。その分、開催に何らかのメリットがあってほしいと期待してきたが、新型コロナウイルス感染症の急拡大もあり、ただただ自粛するしかない。観戦もテレビだし、会場にも近づくことも、パブリックビューイングもできない。
記者は五輪の観戦が好きだが、テレビやネットで観戦するだけならば、正直、国内開催でないほうがよかったとすら思ってしまう。複雑な気持ちで見ざるを得ない五輪になってしまったのは、仕方ないことかもしれないが、残念だ。